お水送りを事前にたどる2


楽しく飲みながら観光を議論した夜にブログ更新している若狭坊です。

昼間は連日のお水送りの取材対応。

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ご住職がおこもり中のため、なぜか若狭坊対応が多くなる(笑)
いらんこと言うと後でご住職に大目玉をくらうので、ほどほどにしております。

ということで静かに遥拝

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あわせて、桜本坊に若峯講の献酒とご祈祷料をお届けしました。
ちなみに、お水送りの主体は下根来区であって、若狭神宮寺はあくまで別当です。
お水送りにあわせて修二会を行われています。
実は古来の在地信仰と渡来思想が融合した源流を見て取れます。

ここが国家がすべてを取り仕切って神仏習合を体系化した東大寺と違うところです。

いまだに『東大寺要録』の遠敷明神の記述から、お水送りは若狭彦神社に根本があるから神宮寺は関係ない!みたいなことを仰る方もいる…らしいです。

苦笑ですね。

そんなことなら、若狭からみて東大寺二月堂お水取りは鎮護する遠敷神社の例祭だと言えてしまう。
こんなこと言ったら東大寺さんは、大激怒するでしょ。

実は、現在の若狭一宮根本神宮寺の歴史は鎌倉時代の中興からで、ここだけでも一宮別当として神宮寺が行じていても何らおかしくないのですか…そんな浅いものでもない。

お水送りが行われる鵜の瀬がある下根来白石の地は、古代若狭比古神が御降臨された根本地で、そこに住む方々は遠敷明神を祀ってきた神徒中です。

彼らの別当として奈良時代創建の若狭比古神願寺が、東大寺と密接につながっていたのです。
若狭神願寺は平城宮と同型の瓦を葺くので、東大寺と同じく何らかの国家関与があったこともわかります。

でも残念ながら二月堂の不退転と同じように、古代までさかのぼる資料が若狭にはない。

しかし、中世には若狭神宮寺と下根来神徒がお水送りを行司じていたことは資料から類推される。

若狭彦神社の春の水分祭とは違うのです。

神仏混淆をすすめた聖武天皇の想いが、良弁と実忠の思想により体言化された我が国の素晴らしい正月行事です。

昨日はそのロマンに馳せて仲間内で五行思想をもとに議論。

陰陽五行では、中心を「土」として、北は「水」、南は「火」、西は「木」、東は「金」とします。
まあ、こんな単純なものではないですが。

「平城京を中心の土」とすると、「北はお水送りの水」、「南は熊野那智の火祭り」になります。

ちなみに南は木ノ国(紀伊国)ですが、火生木で大仏鋳造鍍金に必要な木炭を産み出します。

お水送りでは水剋火で火は重要で、神聖な水のコントロールをしています。
平城京を中心にした北の若狭と南の熊野ラインには、平安京と鞍馬の火祭りもあります。
平安京でも若狭からの水は神聖化されていましたが、鞍馬でコントロールしています。

東大寺大仏造営では「西の宇佐八幡神が自分が草木になる」と宣言されています。
手向山八幡という東大寺の大切な神となられました。

金は南の吉野金峯山や、北の石山など転々と求められた結果、「金は東の陸奥」に一件落着します。

面白いですね。

1300年前からの時空を超えた思想。

さあ、今年も水の国から神聖な不老不死の水をお届けしましょう。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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