人口減少の克服


昨日の日本遺産大学。
いつも良い講座を聞くと、もっと若い人に聞いて欲しいなと思う。

地域の魅力やブランドに触れてもらうと、まちづくりのヒントが一杯。
だから次世代を担う人に聞いて欲しい。
子どもたちにもわかり易くフィードバックもしないといけない。
人口減少の時代でとても大切なことだ。

前々の記事で「天川に行きたい」って書いた。
(毎年行っているが・・・)

奈良県天川村の人口減少。
1985年に2700人だったのが、2016年で1300人。
その内、洞川地区は2005年に791人。2010年に710人。2015年に619人。
5年間隔で100人弱の人口減って・・・・
若狭坊の山修行後の憩いの場はどうなっていくんだ・・・
若狭坊が大先達になる頃には町がなくなっていたらどうしよう。

ちなみに若狭坊が住む小浜市口名田地区の人口は約1800人。
実は天川村と同じような人口減が推測される。
真剣に考えないといけない時期。
昨年、地区に新しい協議会が設立されるということで「メンバーに」とお声がけいただいた。
ありがたかった。
で、「真剣にやらんとあかん!」って強く言ったら事務局の某長さんから「それなら結構!」って・・・
どやねん!!!

てな愚痴は置いておいて(笑)

この人口減の時代。
「産めよ増やせよ」ができなければ、結局UIJターンといいながら地域間競争による生産人口の取り合いをするだけであって。
日本全国で取り合ったり、狭域では市内で取り合うわけだから、実は何の解決にもならない。
減っていく中でも、元気の素として最低限生産性のある地域にしなければいけない。

それが口名田地区の場合、
農業なのか?
瓦などの伝統産業なのか?
元に返って林業や河川漁業なのか?
それらをMIXした新産業なのか??

意識のある人たちと考えて、行動に移していきたいな。
居住に便利なまち・むらじゃなく、住み甲斐のあるまち・むらとして。


ところで歴史人口学でいうと、日本の人口減は4回あったらしい。

1) 縄文時代後期
 小氷河期による気候の寒冷化であり、狩猟採集時代としては危機的だったんだろうな。
 これは、稲作の輸入という新しい食料革命で人口増に転じていく。

2) 平安時代末期から鎌倉時代
 全世界的に中世温暖期であり、小浜のラグーン湊が発展した時期。
 いまの温暖化に近いんだろうけど、洪水・旱魃を繰り返すゲリラ気候は、
 水田耕作には大打撃だったのでしょう。
 これは武士の台頭による生産性向上のための
 新田開発や治水革新によってクリアしていく。

3) 江戸時代中期
 知る人ぞ知る小氷河期で、不作が続いた時期。
 これは明治の産業革命により、米中心の社会からの脱却を図りクリアした。

4)そして現在
 言わずと知れた温暖化時代。次の人口増へ転じる革新は何なのか?

寒冷化減少→温暖化減少→寒冷化減少→温暖化減少(現在)

気候の急激な変動による食料不足と感染症が原因なのですが、
現在の気候変動中による食料問題や感染症の感覚はあまりないですね。

でも、よく考えると「食の安全」は危機的状況であり、それに伴う新たな疾病も増加している。
実は生命的にそれを感じ取って出生率を下げているのかもしれない。
食が減退すると人口を下げないと個体維持ができない。

人口減少の根本を考えたとき、新しい核心のヒントが出てくるような気がする。


短期的な解決策を歴史的視点でいうと・・・

日本人は温暖期には山の恵みに恩恵をうけて生活する。
イノシシやシカをたべて、山菜をたべて、温暖に見合った食料を生産する。
近くの安全安心の食に人の生きがいが出てくる。
ベストセラーとなった『里山資本主義』の世界である。

だから若狭坊は、山に感謝する山伏になったのか?
荒れた田んぼは、たぶん果物栽培がもっとも適している。

歴史にはヒントがいっぱい隠されている

久しぶりの写真無し長文ブログでした。


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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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