山岳信仰と冬山


正月・・・山から歳神様を迎え、
すでに市内では山の口講も終わったところが多くなってきた。
12月初旬に閉じた山に入ることができるようになる。

今日の新聞。
年末年始6日間の山岳遭難事故は49件、死亡者6名だったらしい。
昨年の遭難は22件で、2003年からの統計で最悪だそう。

いろんな意味で気軽に山に入れるようになったことは良いことだと思う。
でも、改めて山の怖さというものを知ってほしい。
山は長い歴史の中で、神から人にパワーを与える地となり、
かつ神が住む恐ろしい場所であることも変わりない。

このこと・・・毎年書いている。
アルプスだけの話では決して無い。

日本の山岳信仰については、いわゆる修験道から語られることが多い。
若狭坊もその端くれではある。

現在の修験道は縄文時代からの固有原始的スピリチュアルな信仰に、
中国・朝鮮半島から入った原始的山岳信仰
仏教、道教、陰陽五行説、シャーマニズムなどなどが習合して成立したもの。

石や木や水などに宿る八百万の神に触れ、その集合体である山を畏怖し
月や太陽を方位に祈り
自然神から仏に化身した権現さまを信仰する。


固有のものを残しながら新化し、平安時代に一つの信仰として成立した。
江戸時代には仏教宗派として位置づけられ、
明治時代の神仏分離で根幹を揺るがされながらも現在に至っている。

いずれにしても、日本人の古層・基層にあるものを最も残しているのではということで、
比較宗教や比較文化、文化人類、民俗などの各専門分野で注目されている。
そして日本人の古層というだけでなく、人類の古層という観点で海外からも注目されているのである。

中央集権化において異質なものを排除していくのが人間の根幹。
さまざまな自然信仰を排除し、一神教に進んでいったのがヨーロッパである。
そして、科学の進歩において自然を制圧していこうというのも人間の根幹。

しかし、日本人は自然の神が住むという山を愛しつづけ、
さまざまな異質の先進思想や文化を巧みに融合させてきた。

今もその根幹に「山」があり、自分を見つめ直したとき、山に力を求める。
江戸時代には、宗教登山は日本の旅行の人気商品となった。

近代国家となり、忘れられてきたようで忘れられていない。
団塊の世代の登山ブームの根幹ともいえる。

仕事に疲れた若狭坊を癒してくれた修験道の根幹ともいえる。


一方、ヨーロッパから流入した近代登山というものがある。
ヨーロッパでは深山や深森は、そもそも魔が渦巻く異境であり、
そもそも山に神が住み不入の地であった日本と何ら変わらないものであった。

日本人はそこに入り、自然と一体となり験を得るという協調をとったのと反し、
ヨーロッパの人々は、設備の充実を進め、闘い、征服するという道に喜びを持つようになった。
極限状態に立ち向かうことに喜びを感じるようになった。

今の日本は、宗教登山と近代登山が融合している。
戦後、山の制覇を目指した大学の山岳部は隆盛した。
日本の百名山もその典型で、百を制覇する達成感をゴールにおいている。
でもどうだろう?
たぶん日本人なら、それだけでない理由や爽快感に動かされている。

山は制覇する場でないことが深層に根付いている。

制覇せず、山とともに生きる宗教登山や
生活に根ざした生業の山民文化では、
冬に山に入ってはいけない期間を設けている。

大峯は9月から5月まで入山できない。
市内の山の口では、12月から1月は入山できない。

この意味を今一度考えて欲しい。
日本人なら。

神仏が暴れる冬山は制覇する場所でない。
遠くから遥拝し、神仏を崇める場である。

冬山に入ることができるのは、認められたほんの一握りの人である。




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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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