若狭湾の津波二

昨晩、小浜の中世末から近世初頭の伝承や近世中ごろの出来事を記した
「拾椎雑話」を紐解いていた。

ものすごく面白い本で、室町時代から江戸時代を研究する上では、不可欠
なものである。一八世紀半ばの出版である。

何に注目したかというと「津波」(*^^)v

津波に関する記述はないんですよね。もちろん天正大地震を含めてね!
かなり伝承関係も丁寧に書いている書籍なのに、二〇〇年弱前に起こった
かもしれない大津波にはまったく触れていない。

この本には一七世紀半ばにおこった「寛文近江若狭大地震」の記録を
つぶさに記している。著作から約一〇〇年前の出来事である。

建物崩壊やら液状化やら大きな被害があったらしい。古文書なんかでも
この地震では小浜城が損壊していることが判っている。
震源は京都から若狭にかけての花折断層から三方断層といわれ、三方
五湖周辺では隆起や水没の記述もある。

ちなみに「拾椎雑話」では、
一.汐が引くと津波がくるという話をうけて大勢が高台に避難したこと。
二.ある老人曰く、「津波は東南の海にはあるが北の海にはない」と
  いって住民を落ち着かせたたこと。
が記されている。

古くからの伝承や、中世末からの連続した大震災によって、「引き潮津波説」
「日本海の津波希少説」が流布していることが判る。

ちなみに、小浜は大きな半島に囲まれ、湾口が小さく湾の懐は大きいので、
津波の影響を受けにくいという。
小浜の港町自体も中世の街路などの都市区画を良好に近世まで引き継いでおり、
津波の被害を受けた形跡を都市史、歴史地理的にも示していない。
港の社寺にも多くの中世以前の遺産を現存させている。

どうしても、小浜が天正大地震で津波の大きな被害を受けたとか考え難い。
フロイスが書いた「長浜」は、若狭からの話と近江の長浜が混同したのだろう。

では、吉田兼見は?
天正大地震が断層連動型だとすれば、海底の小さな断層が起こした突発的
な津波が若狭湾周辺のどこかの狭域を襲っていることは否定できない。

ちなみに、今まで携わった発掘調査では、津波の痕跡を見たことがない。
(というか注目してなかったから、再度土層図や写真で確認すべきか?)
熊川断層が動いた形跡を示す調査事例もない。

若狭の考古学担当者仲間と議論したいところだ。
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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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