多田ヶ岳前行


梅雨の合間、今年は遅くなったけど多田ヶ岳に登拝☆
同行は、市兵衛さん、永三坊さん。

DSC_2199.jpg

もちろん大峯修験、若峯講の仲間であり、蓮華入峰の前行です。

多田ヶ岳は、若狭の修験根本道場であり、若狭坊がいつも遥拝しています。
でも、多田寺を本拠とした山伏さんは、いまや皆無。
さみしいですね。

年に一度は多田ヶ岳。
年に最初の山は多田ヶ岳。
若狭坊の取り決めです。
今年は遅くなってしまいました。

コースは、真言宗妙楽寺から登拝する野代コース。
野代には今でも行者講があり、山頂の行者・不動尊は、野代の先人がお祀りしたものです。
今年は野代の方も数名が若峯講にご参加いただけるとか・・・・

9:00集合で、参道から妙楽寺を南無南無して登拝開始。
あいかわらずの悪路をゆっくりと・・・
11:30には山頂着。行者尊に勤行をして昼食としました。

DSC_2197.jpg

天候悪くて、朝から中止も検討しましたが来てよかったです。
ガスも流れて見晴らしもよかった。

さて、多田ですが、古代の記録には多太と書かれています。
延喜式神名帳では、若狭は一宮の若狭彦姫より先に記載されています。
古代密教寺院が多田山ろくに相次いで創建されることを考えれば
仏教伝来前の神の山が「多太」だったのでしょう。

摂津に多田の地名があり、同じく多太神社がありますが関係は不明。
多田源氏発祥の地となっていきます。
ここの多太神社の祭神は大国主神の子孫「大田々根子命」を祀っています。

この神は、大和三輪氏の祖先と考えられ、
須恵器生産とも関係する人物という説もあります。
伽耶国の陶工の渡来と関係するのでしょうか。

仏教伝来以前。
海に開かれた若狭の匂いも多田にはあるということです。

小浜湾からは素晴らしい三角錐のランドマークとなる山ですから。

ということで、今日は山頂で8世紀の須恵器杯蓋の破片発見!!!
今までで一番大きな破片かな??

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奈良時代にはふもとから神仏を敬う人々が登拝していたということです。

1300年過ぎても、日本の心は続いています。



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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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