江戸時代の地方創生


江戸時代は古くから続いた米経済が最終的に破たんする時代でした。
米が税金の基本だった時代からの変革が明治維新といってもいいかな?

江戸時代も半ばを過ぎていくと・・・
貨幣経済が浸透し、流通の安全が確保され、
石高により搾取される末端農民は都市部へ流れ、
経済活動を目指すようになります。

地方から都市へ。都市から江戸へ。
人は流れ、税収を支える農民は少なくなり、
江戸は世界一の人口を抱える都市となります。

おのずと地方の藩財政はひっ迫し、
もちろん幕府の財政も脅かします。

一方、江戸は人口集中で都市として成熟していきますが、
職や住居のない人も増え、治安も悪くなっていきます。

財政破綻前の地方の藩は、地方創生を試みます。
独自の貨幣制度(藩札)や教育制度(藩校)を運用し、
特産品の開発を奨励します。
自治体として独自の商売も始めます。

幕府は、米を生む地方の人口減に歯止めをかけるため、
江戸の人口飽和を解消し、国の財政を支える地方農村を復興するために、
「帰農令」という法律でUターンを促し、最後は「人返し令」という法律で強制退去を進めます。

なんか…
今の時代を写しているようで苦笑してしまいますね。
国が叫び、地方が振り回されているのが現在の地方創生。
今のままじゃ、ちょっと打開は無理かな?と思う。

江戸時代末、独自の知恵と汗によって地方創生に成功した長州藩と薩摩藩により、
国の新しい時代は開かれました。

現在、地方からの声という観点では「おおさか維新の会」が登場し、
明らかに時代の流れ・歴史上の必然の流れに乗ってはいましたが、
肝心の地方創生を成功させてからではないのが難点で、失速しているのが現状です。

現在、新しい時代を開くときが到来しています。
でも、現在の政治経済の原点にある明治維新の理念では乗り越えられない。

歴史の必然は繰り返しています。
現在の行き詰まりを脱却するヒントは、実は歴史でいうと日本中世史にあるに思います☆
なぜか?は、また時間があるときに。

仕事柄、国と時間におわれ、地方創生というものに振り回されている感じがあるので愚痴ってみました(笑)


「先人に学べ」はよく言われる言葉ですが、
歴史は単なるマニアックな人々の知識の泉を満たす快楽であってはだめで、
政治・経済などの打開に必須な道しるべにならなければいけません。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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