奥窪谷の六斎念仏


みなさまご先祖様をお迎えされましたか?
お迎えされたら霊前で酒を酌み交わしてくださいね☆


さて

昨日は久しぶりに「奥窪谷の六歳念仏」のミタマにお邪魔しました。

「ミタマ=御霊」。精霊をお迎えする盆行事です。

六斎念仏については何度も書いていますがもう一度確認。

そもそも六斎念仏とは、月の内に6度ある仏教斎日
(8日、14日、15日、23日、29日、30日)
に念仏をあげる行事。

講を結成し「六字名号」のもと追善や逆身の供養を願うのです。

今は盆の追善の意図をくむため盆行事となっているところがほとんどです。

残っているところは
紀北高野山山麓や南大和吉野川流域。
奈良盆地。
京都近郊。
湖北鯖街道沿い。
若狭一円となります。

南の六斎念仏は、密教声明や融通念仏と絡んだ古いものといわれます。
京都から若狭は、まさに鯖街道を通じた文化伝播ですね。

窪谷の六斎念仏は十年ちょっと前に市指定から県指定にかけて
若狭坊が調査や事務を担当させていただいた思い入れのある行事。
(もちろん地元というのもある)


盆の精霊迎えや葬送儀礼に限定されるところが多いのに対し、
窪谷は1月16日の仏法始めから10月の鉦納めまで、
毎月14日の六斎日に宿を回って行われている。

宿の仏前に掲げられる講のご本尊は六字名号。

DSC_1496.jpg

やはり、ここが民俗行事としてすばらしいですよね。
そもそも講行事は地域結束が基本です。
派手なことはなしにしても、集まることが大切です。

そして・・・
窪谷の六斎のすごいところは独自に芸能発展しているところ。

前の記事に書きましたが、盆踊りや縁日祭礼と融合しています。
面をつけたり神楽の囃子が入ったりします。

踊り念仏・芸能念仏というと京都のイメージ。
でも、この芸能念仏が鯖街道を通じて若狭にもたらされていません。

京都の六斎は、干菜寺系と空也堂系に分類されますが、
若狭のもともとの伝来は不明にしても、干菜寺系の支配下でした。

干菜寺系は芸能念仏を強く否定しています。

そもそもの伝統を持ちながら、かつ地域で独自発展する。
文化の根本をいつも窪谷の六斎念仏に見てしまいます。


さて、奥窪谷は20数軒の集落。
23軒で保存会を結成しています。
ここを毎月、宿が移動していくこととなります。

13日は18:00に宿に集まり、窪谷川の両岸にある集落を右回りに各戸を巡ります。
各戸では、仏壇のある座敷で家族が待っていらっしゃいます。

DSC_1477.jpg
     (小学生が打つ一六斎)
DSC_1473.jpg
     (青年の二六斎)

DSC_1470.jpg
     (大人の三六斎)

途中、霊園の六地蔵前や無縁塔前、寺院(隣慶院)本尊前でも打ちます。

18:00出発で宿に到着したのは23:00。

DSC_1494.jpg

今年の宿は親類の市兵ヱさんということで・・・
遅くまでお酒をいただいて・・・
しまいました・・・

ありがとうございました。


これぞ伝統行事です。

守るものは守り伝える。
変えるものは時代にあわせて変えていく。

すべてが「伝統」ではないですよ。

そのあたりを見極める力のある人がいるときに
伝統行事は新しい方向に歩みます。

守るにとらわれすぎで、根本の行事が継続しなければ・・・
どうにもならないから。

そして伝統行事のもつ意味を伝承するのはもちろん大切ですが。

一番大切なのは「集う」ということ。

今の世の中。

コミュニティの集う は無くさないよう努力するのが

若狭坊の務めだと思っています。




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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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