日本遺産「御食国若狭と鯖街道」Vol.2

いい天気でGW突入ですね。
29日は少年野球からの中学PTA役員懇親会と、いい休日を過ごしました。

先生方や中学時代の野球部の後輩たちと楽しいお酒でしたよ。

昨日は木曜会@太郎
メインはお好み焼きと焼きそばでしたが・・・

酒のアテのメインはこれ☆

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赤ひも
知る人ぞ知る・・・雑魚です(笑)
グジもカレイもサバもいいけど、これが地域に根差した「食」
なかなか食べられる店はないと思いますよ。

さて、
日本遺産ご紹介しましょう。

最初のカテゴリーは
若狭街道 ―御食国若狭の原点と鯖街道のメインルート―


小浜から畿内を結ぶ公式ルートは、小浜⇒若狭町三宅⇒熊川⇒今津
あるいは熊川⇒朽木⇒京都
というもの。

小浜から県境の熊川まで御食国若狭と鯖街道を示す遺産が点在しています。

若狭は古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれます。
膳臣一族の奥都城とされる脇袋古墳群をはじめとする大規模古墳群が、この街道沿いに点在しています。

上中古墳

古くから大陸半島との交流があったことが出土品からわかります。
半島と畿内を往来する街道沿いにあるのが注目されますね。

その後「御贄」や「御調塩」を都に貢納する御食国のひとつとなり、
海産物や若狭湾岸で生産された大量の塩が、若狭国府のあった小浜から運ばれた道なのです。

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若狭は古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれ、
「御贄」や「御調塩」を都に貢納する御食国のひとつでした。
膳臣一族の奥都城とされる脇袋古墳群をはじめとする古墳群は
近江国との国境に源流を持つ北川沿いに築かれており、
北川沿いに開発された若狭街道では、古墳群に囲まれるように
都との往来が脈々と行われています。

そしてこの道は、軍事上も大きな役割を果たしており、
戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、
この街道から越前朝倉攻めに向かったことで知られます。

後の天下人たちが意気揚々と通った出世街道ともいえる道です。

街道往還の要となったのは熊川宿。

熊川宿(若狭街道)

江戸時代には一日千頭の牛馬が通ったといいます。
また、鯖の旬や豊漁時、京都や近江で鯖が大量に求められる祇園祭などの時期には大渋滞だったようです。

その熊川には町並みだけでなく

立派な住宅建造物や

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京都との交流を示すお祭り

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食の国ならでは
奈良県の吉野よりも良質とされた葛生産

kuzu.jpg

などなど、交流や食文化をしめす遺産が眠っているのです。

都に食を供給していた若狭。
その原点から繁栄までをたどることのできる遺産群です。

ストーリーを構成する文化遺産は
岡津製塩遺跡、若狭街道(中身いろいろ)、上中古墳群、熊川宿(中身いろいろ)、
三宅の火見櫓、瓜割の滝となっています。

清らかな水。
食を生み出す原点。

若狭は水の国です。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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