気になるライン


お水送りに向けた「鵜の瀬講」での神宮寺ご住職のお話。

お水送りを行う遠敷川の別名は古くから「音無川」

実は、熊野本宮の旧社地である大斎原辺りの熊野川に注ぐ支流が「音無川」

不思議ですよね☆


そこで地図をお示ししましょ!

地図


若狭小浜と熊野が一直線に繋がる。

この線上に、東大寺お水取りと若狭の関係と類似する東大寺創建に関わる金峯山や石山寺が存在している。

この線上に若狭の水が湧く伝承がいくつもある。

線上の一番北側の小浜にも熊野の地名がある。

平城京・平安京からみて、北の若狭小浜、南の紀伊山地の霊場。


古代の人は、今の人以上に方位を気にしている。
都を守る北の若狭小浜と南の吉野熊野なのか??

おもしろいですよね。
歴史文化の共通点も、この線上界隈に数多く見られる。
渡来人の軌跡が顕著に見られたりもする。


一般的にこのような現象をレイラインといいます。

江戸と富士山と日光東照宮、伊勢なんかとの関わりが有名です。
江戸時代くらいまでは、都市建設・信仰と方位や位置は切っても切れないものだったのです。

小浜でも小浜城建設時には鬼門と裏鬼門には寺院を創建しています。


日本では見逃しがちなのですが・・・

意外と海外の古代史研究では、このような事例を真剣に取り扱っています。


日本の歴史研究家はソッポを向く事例ですが、信仰や都市成立をみれば切っても切れない深い歴史がここに秘められているのでしょう。

若狭小浜のお水送りと東大寺二月堂のお水取りの根本はここにあるのかもしれませんね。

もしかすると、若峯講が吉野に出仕する根本がここにあるのかもしれませんね。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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「相生」名の由来

何故か最近「お誘いしているような」ブログに感じるので書きますが(笑)
若狭坊さんのご自宅がある集落の名が何故「相生」と付いたのかと察するに、やはり神体山、多太ケ嶽、霊峰、飯盛山を挟んでちょうど中間(真ん中)に位置していること。また河川の流れや山の稜線を龍に見たてて、その気の流れ「龍脈」から吉祥地を判断する古えの地相学、風水から見て相生の地係で大きく蛇行する南川=「龍」の気(風水上では河川の龍脈は直線的より龍のように蛇行した形のほうが気の力が大きいとされる)が流れ留まる開けた場だったことから「相い応じて生ずる」(陰陽五行"相生"説)からそのような集落名が付いたのだろうと「私は」推察していますが、、、、、

違うかな?(笑)

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Re: 「相生」名の由来

妙吉祥さま

相変わらず深いですねぇ~。相生の地名については常々疑問に思っており、何故いきなり明治時代に相生が登場するのか?ここの解明はライフワークにしたいな!と思っておりました。やはり行きつくところは妙吉祥さまのおっしゃるところに行きつきますね。また色々ご教示いただければと存じます。
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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