国際港湾都市小浜

いい天気ですぅ~の土曜日☆

お昼休みにウォーキングしました。

小浜湾口をパシャリ☆

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長い年月にわたり多くの人と文化を迎え入れてきた日本の玄関です。


古墳時代。
若狭町域にある首長墓の副葬品から、全国でも特殊な半島との顕著な交流がみられ。

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奈良時代。
太良庄の如意輪半跏像からは仏教を受け入れていたことがわかり。

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お水送りと東大寺の関係から、渡来系僧侶が在来信仰と仏教を融合させる過程で大切な地であったことが判り。

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平安時代
多くの宋人たちの来航記録が残り。

鎌倉時代
羽賀寺には渡来の法華経が残り。

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室町時代
記録上初めて南蛮から像が渡来した港であり。

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若狭守護の武田氏は頻繁に大陸との交易を進めている。

安土桃山時代
小浜の豪商は大船に乗り総合商社として、豊臣秀吉のもと東アジアを駆け巡り

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日本の港といえば泉州堺か若狭小浜かと例えられるくらいの国際都市になった。
大陸半島からも日本の代表的な港として認知されていた。

教科書では日本文化の受け入れは北九州であり、瀬戸内を通じてもたらされることを学ぶ。

でも、実は日本の文化受け入れで若狭湾岸を切り離すことはできない。

時代や専門で切り離されている歴史専門家は、いずれも若狭の重要性を語る。

これをコーディネートするだけで日本史の中での若狭の重要性が見える。

日本の玄関として教科書に載っていいような輝く歴史だ。



近代に入り、両隣の敦賀と舞鶴が軍港・国際港として開かれる中、
取り残された小浜港。

でも・・・

小浜は国際都市として生きていかなければならない。

それほどのステータスを歴史上もち、われわれのDNAにもそれが引き継がれているから。

私が関わる小浜港の「海の駅」構想。

人と文化が交わる国際的な「場」にしたい!
と常々思っている。

常識にとらわれない異空間でいいと…




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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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修験僧

隣の京都、綾部市の住人です。若狭の山々や史跡をめぐっていて此のブログにたどり着きました。古代からの遺跡や奈良時代からの社寺・仏閣や盤座等の古代宗教の名残もあり魅力的な地域ですねー。私は無心論者ですから信心深くない人が寺や神社や山をうろうろしているので、あるお寺で住職から尋ねれれたことがあります。「お参りに来られたのか拝観なら、・・・うろうろされると過激派・・・」服装も真紅のライダージャケットでしたから・・・(笑)千石山への3ルートのひとつ神谷も地名といい、にわか古代史ファンとしては妄想、推理をするのがたのしみです。久須夜ヶ岳から蘇洞門の逆登山は梅雨明けにたどり着くと神聖な場所で感動しましたが復路に熱中症になりかけて大変・・・天国から地獄でした。(笑)  

Re: 修験僧

中島さま

コメントありがとうございます。
本山である金峯山寺の現在の宗務総長の田中利典師は綾部市林南院のご住職。
わたしも仕事の関係でよく綾部には行かせていただいています。ご縁を感じますね。
若狭のお山にお詳しいのですね☆うれしいです。

若狭町の「神谷」

いろいろ伝承があっておもしろいのですよ。
あそこの山は、古くから小浜湾の漁師の山アテの目標となっていました。
漁師さんの信仰を今でも受けています。

昔の人は、この山に何を思ったのだろう???
考えるだけでワクワクします(笑)
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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