楽しく☆そして学術的にも

外来種のブタクサの花粉症に悩み始めた若狭坊です(ーー゛)

意外とデリケートなのです(笑)


今日は朝から市内の蔵を調査させていただきました。

DSC_0027.jpg

明治以後の慶弔時の椀皿類がほとんどですが、医者に関するものや旧家としての文書などいくつか面白いものがありました。

小浜にあってこそ!のものが多いのですが、最近は蔵処分となると見境のない市外業者が価値の評価もせずに漁って行きます。
かといってすべてを文化財として保存収集することもできず、その施設もなく、苦しいところです。



午後は、「地の神講」の調査☆

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来月にいくつか取材して、「伝統行事と食」として映像化します。
お供えものの基本は、ぼたもち。ハレの食は小豆飯。だったようです。

ただ、こちらもほとんど簡素化されており、ロケハンを続けていますが、取材場所が確定していません。

市内では中名田地区に多く残ります。口名田のわがくぼたんにも上窪講が残っています。

北川流域では「大将軍(ダイジョコ)」といいますが、ほとんど廃絶しました。

お隣の おおい町では大島の「ニソの杜」が有名です。ニソのモリは不入の神聖な森ですが、小浜の場合は、家屋敷の前や寺院の参道、山麓や山腹などさまざまです。概ね11月23日が祭礼日となっています。



基本は氏神を媒介としたネットワークやコミュニティー祭祀ですが、いろいろなものが習合しているみたい。


今日の聞き取りは大きな収穫はなかったですが、深谷の新しいお堂に案内してもらいました。

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山の上にあった愛宕・金毘羅・熊野権現を習合してお祀りしています。

DSC_0030.jpg

当然、根本の山上の場所に意味があるのでしょうが
場所にこだわって、お祀りが廃れ堂社が廃絶していくよりは・・・
すばらしい信仰心だと思います。

若狭坊のいる、くぼたんでは、金毘羅・愛宕が廃れてしまっています。
山腹に基礎だけが残っています。
昔はここにお参りして松上げをしていたんだろうな?
里の火災や行き交う瓦船を山から守っていてくださったんだろうな?


静かに南無南無させていただきました☆


堂内には、個々の厄払いの絵馬がびっしり。
権現さんは「歯痛」に良いらしく、お礼参りに奉納された柳の箸もたくさん奉納されています。
地域の神々として大切にあがめられているのですね。


調査の合間は、ひたすらイベント準備や調整。
結構しんどいし、バタバタです。


でも・・・

わたしの根本は学術的なオトコでなくオマツリオトコ。


いや・・・その両輪バランスが常々大切だと思っています。

今日もすばらしい「里の行」でした。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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