若狭小浜の石造物

この間から資料調査やウォーキングに出ると目につくもの。

それは石造物。

宝篋印塔から五輪塔、宝塔、層塔、石仏などさまざま☆
地域に根差してしっかり守られています。

そうそう!
この間、空風輪だけになった五輪塔石造物をご紹介しました。

地輪や水輪が礎石や漬物石になったため、使いにくいものが残ったと
いいましたが・・・

よく見てみましょう☆

NCM_0877.jpg

いずれも前掛けされてるんですよね(^O^)/
ちなみに同じ場所にあった石仏群は・・・

NCM_0878.jpg

同じなのです。
地元の人は、石仏(地蔵・如来・菩薩)も五輪空風輪も「お地蔵さん」
に一まとめしてらっしゃいます。

このあたり、京都に近いため、近世ごろから地蔵盆が盛んです。
地域に根差して守られています。
子供の成長が難しい時代。
水子成仏や子供の息災を願いまつられたのでしょうね。

ヒトガタにみえますもんね。空風輪。

生活に活かされたものと信仰に残ったものが融合しているんですよ。



さて・・・
若狭小浜の石造物の石材は、鎌倉時代から南北朝頃まで花崗岩が主体となります。
その産地はよく解りません。おそらく湖北から若狭東部なのでしょうが。


これは南北朝期のもので、若狭で一番有名な大型宝篋印塔☆壬生狂言が
行われ有名な和久里区にあります。

0401.jpg



南北朝以降、明治時代まで流行するのが高浜町の日引石です。
安山岩質の凝灰岩で加工しやすいものです。

南北朝期に大型塔が作られ始めますが、室町期となると一尺から一尺五寸に
規格された小型石塔になります。



これらの石塔や石仏が若狭小浜の主体なもので、海岸部では戦国期から若狭蘇洞門周辺の花崗岩が使われ始めます。
また、越前笏谷石(緑色凝灰岩)の流入も始まります。


ちなみに日引石。
南北朝期から室町時代に日本海側諸国にもたらされています。

日本海側屈指の港町だった若狭小浜。
諸国の物資が小浜に集まり、下荷のバラストとして船につまれたのですね。
小浜の町には中世の石屋小路という町名が湊近くにあります。

こういうものに色んな歴史がかくれているんですよ。
楽しいものです。


ちょっと宣伝すると若狭坊も一部執筆した「日本石造物辞典」が刊行されました(^O^)/


sekizobutsu1.jpg

定価二一,〇〇〇円
小浜の石造物は、南北朝までで、年号があってという縛りがあったので
三点のみの収録ですが、近隣の市町のものも入れてあります。
興味のある方は必見ですね。

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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

いいですね、これ。形は変わっても信仰としては継続されている、ということですね。

前掛けは全部白なんですね。

Re: No title

kanageohis1964さま

おもしろいですよね(笑)
信仰の継承のひとつの「かたち」ですよね。
歴史の変遷のなかの一つともいえますし。

地蔵の前掛けといえば色々な意味で「赤」なのでしょうが、
なぜ白なのかはよくわかりません。

当然、赤もありますし、若狭小浜は化粧地蔵地帯なので、
きらびやかな前掛けもあります。
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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