北前船がやってきた!

先月青森を出港した北前船「みちのく丸」が小浜港へやってきた

小浜に残る古写真や大阪の海洋博物館で見るのとは、また違った趣き。
そりゃ自走航行できる日本で唯一の北前船だから、そのリアリティーの差かな?

市民有志の実行委員会による歓迎セレモニーが盛大に行われていた。

船は…もちろん見る限り忠実に復元されている。
小浜港にず~っといてほしい…そんな気持ちにもなる。

みちのく丸2

江戸時代に入り西廻り航路が開発されると、日本海側各地の船持ち商人が奥州・松前
まで下る北前船の航行により繁栄していく。

若狭小浜では古河屋などが有名だ。

当時は、北国からにしんなどの海産物を、若狭小浜からは茶や米、わら製品、若狭瓦
などが運ばれていた。

ちなみに、小浜が最も繁栄していたのは江戸時代・北前船の頃とよく勘違いされるが…

ちゃうちゃう。

小浜が繁栄していたのは、京都と直でつないで北国や海外と交易していた中世から江戸
初期のことである。
西暦1400年代には南蛮船を僅か一年で新造する造船技術まで小浜にはあった。
千石積の北前船どころではない。

「西廻り航路ができて困った・・・」と江戸時代初期の小浜廻船問屋は嘆いている。
その影響か小浜の船持ち商人は激減するのだが、これを糧として新たな商売を始めるの
が北前船の商人である。

ちなみにいつの時代の小浜の商人も廻船をするのが大商人の証。
でも廻船問屋ではなく、今の時代でいう総合商社であった。
政権との関わりも非常につよい大企業であった。

小浜の国内・国際港機能が死んだ今。
約2000年、日本を代表する港であった若狭小浜は今まさに歴史上の転換期を迎えている。

上手に転換でき、日本の玄関であった若狭おばまのステータスは守られるのだろうか。

港に守られていた商人気質は未だに抜けないから商社自体が現れないどころか
攻めの商人気質がまったくない小浜。

いつまでも若狭の中心と思ってしまう政権気質。

政治経済とも若狭の中心でいるためには、市民全体の意識改革が必要なのです。
歴史的にはそういう時期に来ているのに…。

船が来た!昔は良かった!で終わらないようにしないとね

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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