旭座ジャズナイト2作戦会議


若狭坊の職場からは夕日がきれいです。

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この美しさ。共有したい。



さて、昨日はセンチメンタルな思いを胸にしまって、旭座ジャズナイト作戦会議へ!


予算もないのに「やっちゃおう!!」という仲間の寄り合いでした。

ちょっと赤字かも・・・という試算ですが、「旭座をみんなに知ってもらいたい」
「素敵な場所で素敵な音楽を聴いてほしい」「わいわい楽しくイベントしたい」
という思いのもと、詳細の詰めを行いました。

旭座とはどういうものか?
去年のジャズナイトは??

若狭坊・旭座でググってください。
小浜の宝です。住民で小浜らしさを創出できるすばらしい文化遺産です。

なお、旭座再生の会では、先週末にボランティア清掃を済ませ、15日(土)の午後には
放生祭にあわせてビアホールを開業します。

また、旭座ジャズナイトは10月6日(土)18:30~ 白井淳夫氏をお迎えして実施します。
くわしくは後日広報!お楽しみに☆



作戦会議は某区の会館で。

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しっかり各月の掃除当番が記されています。

この町名は、小浜が港町として成立した15世紀ころに出来た地名を継承しています。

永三小路は中世では「三小路」
周辺には、一小路、二小路、三小路、広小路、中小路などがあって、八幡神社門前に
整然と区画された都市街路ができたことを示しています。中世の都市化としては、
大都市に引けをとりません。

鵜羽小路は中世では「二小路」「建小路」
建小路(たてこうじ)というのは、区画の中でも基本線として町立てされた地区の
名称の名残りです。まちの中心ですね。

石屋小路はそのまま。
石は重いので湊近くで加工販売されます。中世では各地から小浜経由で京都へ運ばれる
上荷の比重が高く、帰りの船を安定させるために石(石塔)をつんで、船のバラストと
したと考えられています。
ちなみに、お隣の高浜町日引に日引石というのがあって、この石塔が日本海側諸国に
分布しています。青森から鹿児島まで!
石屋小路から運ばれたのでしょうね。

石屋小路の周辺には大蔵小路や材木町があって、湊が近かったことが一目瞭然。
船で運び湊に近くないと重いもの「石」「米」「木」。

ちなみに、今の鵜羽小路は小浜でもっとも地形的に高い場所で、ここから南川河口に
むけて、突抜町(いまのせくみ屋さん前通り)、新突抜町(今のいづみ町)があった
のです。
どこに突き抜けるか?って河口の湊になんですよね。
今も鵜羽小路からいづみ町を見てください。ものすごく下っていっています。

町を歩き、旧町名とあわせるだけで、小浜のいにしえの景観が蘇ります。

旧つばき回廊とせくみ屋・図書館間の白髭の通りは「塩浜小路」。

小浜の最初の町の東端だったことを示しています。塩浜のとおり浜辺での塩づくりを
想定させます。

15世紀中ごろから16世紀に入っていくと小浜はますます発展。
「和泉の堺か若狭小浜か」と例えられるような日本を代表する国際港湾都市になりました。

まちの発展にあわせて、砂浜が伸びていった今の本町までまちが伸びていきます。
本町も古くは立て町と呼ばれていたようです。鵜羽小路と同じですね。


むずかしい話はここまで。また機会があればご紹介しましょ☆

ジャズナイト打ち合わせが終われば、ワイワイガヤガヤの仲間たちなのでした(^O^)/

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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