多田ヶ岳山頂

春は必ず若狭の龍・神体山の多田ヶ岳に入峰させていただきます。

入峰前には、登山口の多田寺か妙楽寺のどちらかにお参りし、下山後には若狭神宮寺にごあいさつします。

なぜ毎年登るか??


一つは大峯山の前行で登るというのと、もうひとつは山頂の遺跡確認です。
といっても遺跡は表面上に出ていません。

ただ、登るたびに須恵器の数片を拾うことができます。八世紀から九世紀初頭ですね。
冬の嵐で山上が荒れて須恵器が表出します。

古代から神体山に入りお祈りされていたのでしょう。修行僧が…。
あぁ~調査したい~!

最近、寺院調査や山の寺の議論が考古学あるいは学域を超えて議論され始めていますが、シンポジウムや報告書では信仰の観点を考慮することが抜けていることがよくあります。歴史はいまの価値観で評価し結論づけることがもっともダメなことなのに。そこに人がいて作られたのであれば、信仰というものを最も大切に考えないと、遺跡論を述べることができません。

さて
多田ヶ岳の山上は素敵ですよ。

灌木と大岩があって三六〇度のパノラマ。
空中庭園の様相です。

多田から青葉

小浜湾の向こうに西の神体山の青葉山が見えます。

地図上で若狭の山と社寺を落とすと、かなり方位を意識しながら立地させているような気がします。山に登れば基本的な測量による方位確認もできます。

山で修業すれば方位も意識する。これ今の登山者でも当たり前。
古代の人も、方位や四神の信仰も仏教と同時に入ってきてるから、考えても当たり前なのですがね。面白ばなしで紹介すると結構バカにされます(+_+)

ちなみに、熊野・吉野・飛鳥・奈良・若狭多田ヶ岳は一直線で結ばれるんですよ~(^_-)-☆

そして最後は山上の役行者様にお参りです。

役行者M15神変大菩薩

多田寺の縁起によると、役行者様は多田ヶ岳で一〇〇日の行をされたそうな。
明治一五年に山麓の野代区のみなさまが奉納されたものです。

オン ギャクギャク エンノウ ウバソク アランギャ ソワカ
南無神変大菩薩♪

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No title

多田ケ岳は毎日みています。私のばあさんが大好きな山だった…といって、お寺の坊さんは戒名に岳の一字を入れてくれました。
登ったのは小学校の遠足以来かな。今度、ぜひ誘ってください。

Re: No title

多田ヶ岳って、どこの校歌にでも入っている本当は身近な山ですよね。

わたしも、毎日眺める中で、どんどんすごい山だな~と思い始めています。

多分、ひびわれさんのおばあさんと同じ!

秋には、一緒に山に入っておばあさんに会いいきましょう(*^_^*)
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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