古事記編纂一三〇〇年

今年は古事記編纂一三〇〇年の年。

ちまたの本屋には数多くの記紀(日本書紀とあわせ)の書籍が並んでいます。

なにせ、謎だらけの古代史。訳すだけならよいのですが、いろいろな読み取りかたがあるので、諸説さまざまです。

暇なときに購入して見るとおもしろいですよ。


さてさて、古事記。

これは天武天皇の命を受け稗田阿礼が読術するものを太安万侶が編纂したといいます。
教科書で習った古い記憶(*^_^*)こんな知識はあまり歴史研究には必要ないが(笑)

ちなみに記紀には、びっくりするくらい若狭の記述がありません。当然いくつかはありますが。
対外への玄関として、御食国としての塩と関連した記事は敦賀(角鹿)がよく登場します。

記紀の記述は、おそらく卑弥呼の時代から天武天皇に至るまでの王族の歴史を記しているので、深く若狭は関連していなかったのだろうか。あるいは意図的に封印されているのだろうか?

このあたりを推論する本もいくつか出ています。読み物としてみると面白いです。

ただ、考古学上、若狭の王族の歴史は三~四世紀がかなり空白の時代なので、記紀とも符合します。五世紀になってから若狭を統治したという膳臣の時代、若狭の首長墓が出現し、膳臣の記事も登場するという感じ。


さてさて

この編纂した太安万侶。もともと多氏一族だったのを太に改姓したといいます。

そこで気になるのが小浜の多田(多太)ヶ岳と多太神社ですね。

IMG_8897.jpg

若狭と奈良とのつながりは、文献も考古学上も西暦七〇〇年前後から強くなっています。
膳臣の時代は、畿内というより大陸や半島、北九州との交流が顕著。

飛鳥奈良時代では吉野の天武天皇もそうだし、半島でいうと新羅との関係から読み取ることもできるでしょう。このあたりから、聖武天皇の東大寺建立までが若狭の注目の歴史です。政治と深く関連した文化や信仰、そこに息づく対外交流。小浜の歴史の源流ともいえます。

ただ、記紀では多氏の関連氏族についの記述は抹殺されています。
ここに何かあるかもね~。

ちなみに多太神社といえば、兵庫県加西市と石川県小松市も有名。

加西市の南の加古川市日岡神社では若狭の水が湧く伝承がある。

すべてが薄い線でつながっています。
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まとめtyaiました【古事記編纂1300年】

今年は古事記編纂1300年の年。ちまたには数多くの古事記や記紀(日本書紀とあわせ)の書籍が並んでいます。なにせ、謎だらけの古代史。訳すだけならよいのですが、いろいろな読み取

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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