平成版若峰講縁起

記録に留めるだけ。

興味ない方はスルーしてくださいね。




小浜・若狭町を拠点とする修験の講。「若狭若峰講」。
なぜ、若狭若峰講中は奈良県指定無形民俗文化財になっている「金峯山寺の蓮華会」
で重要な役目を果たすのか??

蛙飛び行事では御輿を出し、翌日の峰入りでは桜本坊から入る。
一昔前までは、奥田からの蓮運びもしていたようだ。
行事の根本である「蓮華」を守っているのである。


若狭と吉野のつながりは深い。奈良時代の東大寺や大仏創建を例にとれば、吉野金峯山は大仏の金が求められたところ、若狭は遠敷(小丹生)の地名からもメッキの水銀朱(丹)が求められたところによく比定される。
金は結局金峯山では発見できず、近江石山寺で願ったところ陸奥にそれが求められることとなった。
一方、若狭も水銀丹を供出したことは不明であるが、二月堂お水取りの若狭井や遠敷神社からも密接な関係が知られるのは周知の事実である。
なお、お水送りに先立つ山八神事では、いまでも清浄地の土を舐める儀式があり、鉱山師の関与も否定はできない。
ちなみに、飛鳥奈良時代に吉野が政権と密接につながっていたのは史実で明らかであるが、若狭では多田ケ岳で修業し多田寺を開基した僧勝行が、のちに東大寺僧となっているし、若狭神宮寺(当時は神願寺)の奈良時代の瓦は平城宮と同じものを使っているなど、お水送り・お水取りの他にも非常に深い文化信仰の交流の痕跡を示している。
なお、東大寺建立で金が求められた石山寺にも若狭の水が湧く伝承があるし、江戸時代に至っても若狭小浜の水が奈良の秋篠寺前に湧き出したことが井原西鶴の「西鶴諸国はなし」に登場する。

これらの由緒地は、地図上に定規を落として見ると南の熊野吉野、飛鳥、奈良、小浜と一直線につながる。
政権都市奈良を中心に、方位や四神を信仰した当時の人々からみると、南の聖地 熊野吉野、北の聖地 若狭なのである。多田ケ岳山麓に古い社寺がこれほど密集する所以である。

若狭の聖地は多田ケ岳を中心に周辺の山にまで波及し、中世にはその教えを広め修業するために各山麓で山伏が勢力をもつようになる。
飯盛山麓では法海に飯盛寺、窪谷に勝願寺、上田岩井谷に熊野那智神社という拠点が、山頂に磐座がある野木ケ岳周辺の太良庄、野木、宮川地区には多くの社寺の拠点が、上中地域の神谷や天徳寺、箱ケ岳山麓周辺にも拠点が栄える。
これらの地域の人々が、今も若峯講を支えているところに歴史の継続が垣間見られる。
なお、小浜の修験の系譜には、前記の在郷(在家)山伏とは別に、根本多田ケ岳の多田寺を中心に活動したものと、小浜の町に接した神明神社を拠点に活動した町山伏がいた。
江戸時代には四〇名を越える山伏が小浜に住んでいた記録がある。職としても山伏は成立していたのである。現在の小浜のもう一つの講 若州修験道の系譜である。

東寺太良荘関係の文書中には、南北朝時代や室町時代の太良庄山伏の活動が数多くみられる。
このような拠点山伏が、地域への商活動や布教活動を通じて庶民により構成する行者講を作り出し、江戸時代には地域それぞれの行者講が大峰詣りをすることにより「若狭の男は一度は行者詣り」という文化を生んできたのである。

さて、若狭の人たちはいつの頃から金峯山寺蓮華会に関わってきたのだろうか?それを示す資料は吉野にも若狭にも今のところ見当たらない。しかしながら、職とした町山伏、多田ケ岳の山伏とは一線を画した在郷山伏は、古代から連綿と続く吉野と若狭のつながりを示しているようでならない。なぜなら、より吉野大峯に近い位置で活動していたから。たとえば大峰山寺の戸開式に阪堺の役講が主役をとるように、蓮華会には若狭の山伏の関与が古くからあったのではないだろうか。古代からの信仰を引き継いで…。

そして、明治の神仏分離や戦前戦後を通して、蓮華会行事自体の衰退や若狭の人々の関与が薄れてきた中で、戦後、若狭町で霊力を持っておられた文野美登先生と当時の金峯山寺管長によって復興されたのではなかろうか。文野先生の霊験と若狭のステータスによって再編復興された若峯講の歴史はすでに五〇年。歴史にその足跡を刻みつつある。しかし、その奥底には古代からの深いつながりが横たわっている。歴史を絶やすことはできないし、若狭の山伏としての誇りを若峯講員として持ち続けたい。
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まとめtyaiました【平成版若峰講縁起】

記録に留めるだけ。興味ない方はスルーしてくださいね。小浜・若狭町を拠点とする修験の講。「若狭若峰講」。なぜ、若狭若峰講中は奈良県指定無形民俗文化財になっている「金峯山寺...

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Re: 拝読

スケサンさま

一人でも多く若峰講に来ていただきたく、好き勝手書いています。
まだ帰って一週間で山気分で切り替えできていません(笑)
今後ともよろしくお願いいたします。
もちろん来年も!
機会があれば若狭の山、ご一緒しましょう。
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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