小浜にある祇園さん

神社シリーズの第二弾は小浜の祇園さんです!(^^)!

小浜市の南川河口の千種区にあり、現在は広嶺神社といいます。
広峰神社ですから、スサノオさまとイナダ姫さまをお祀りしていますが、天神さん菅原道真公もお祀りしています。

ひろみね

船霊さんといわれる北前船模型(市指定)も奉納されていますよ

広嶺神社天王丸


江戸時代には天王社・祇園社と尊称され、藩主や藩士、周辺氏子の崇敬を受けていました。
現在、小浜八幡宮の放生祭(県指定)の出し物は、もともと当社の祇園祭礼の出し物であって、明治になってから八幡宮に奉納されるようになったものです。

江戸時代の広嶺神社祭礼絵巻(市指定)。いまの放生祭の出し物も見られます。

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現在の祇園さんの祭礼は、神輿三基の巡航および境内での鎌鉾取り神事が主なものです。

鉾は悪霊を払う呪力のあるものです。京都祇園の山鉾もそうですよね。鎌鉾は古くからの祇園祭礼の名残を残しているといえるでしょう。小浜の祇園さんで取りあった鉾は、悪霊祓いのために玄関に飾られます。ちなみに京都での祇園厄除けは粽ですね。

さて、謎なのは近世以前の祇園さんです。どうやら「雲月宮」と呼ばれていたらしいのですが…。それと明治の神仏分離までは松林寺という神宮寺があったことも判っています。ちなみに、この松林寺にあった平安末期の千手さん、不動さん、毘沙門さんは別当であった羽賀寺に移されました(現在、不動さんは明通寺にいらっしゃいます)。
いずれも重要文化財です。

186.jpg


188.jpg


134.jpg


そうそうたる顔ぶれです。

前のブログ、「八幡さん」でも書きましたが、この辺りは古代には人が住めない浜地。古代末から中世初頭の、小浜府中や西津が政治経済の中心地であったときに島状になっていた松林の森に勧請されたのでしょうね。ちなみに由緒では、久須夜ケ岳から霊光が千種の森にさしたので、その霊地に勧請したとなっており、この時の霊光が雲の端に月が出るのに似ていたからとか。古そうな伝承です。

霊峰久須夜に関する社寺勧請は、小浜の歴史を考える上でキーポイントです。若狭坊のフィールドは多田ケ岳や飯盛山なのですが、トータルに考えないと…。

ということで、町人信仰は明治の改正で八幡さんへ、武家的信仰は明治創建の小浜神社に移り、現在は、周辺地域の産土神としての位置づけでひっそり佇む広峰さん。ただ、現在残る文化財、あるいは分散した文化財、政治経済の拠点の変遷、小浜湾と羽賀寺、久須夜ケ岳の大明神、多田ケ岳との関係を総合的に捉えるとおもしろい歴史が見えてくるのでしょう。マチの神仏習合の拠点としてとっても興味深いです。

なお祇園さんといえば牛頭天王をお祀りする社。薬師如来さまの垂迹神です。


中世都市祭礼がおこなわれていたということは、少なくても中世まではその大きな意義が小浜の人々に伝わっていたのだろうから。

ちなみに文献上に見える小浜の都市祭礼で最も古いのは、鎌倉時代に西津の津神社(釣姫神社か玉津島神社)で行われていた六月祭です。たぶん広峰さんの祇園祭の先駆けみたいなものです。屈指の港町として栄えていた西津の祭りですから、少なからず祇園さんにも影響も与えているのでしょうね。
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まとめtyaiました【小浜にある祇園さん】

神社シリーズの第2弾は小浜の祇園さんです!(^^)!小浜市の南川河口の千種区にあり、現在は広嶺神社といいます。広峰神社ですから、スサノオさまとイナダ姫さまをお祀りしていますが、

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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