山遭難と神仏

連休中は北アルプスで悲しい遭難事故が相次いだ。
最近の登山ブームと遭難事故でよく言われるのが団塊の世代の登山ブームと山を軽視した軽装備。
でも、それだけなのだろうか?


山には「神仏がおわす」が山伏の世界。
というか、山や自然に神仏がおわすは、古来からの日本人の観念。
日本人は山(神体山)に岩(磐座)に木(神木)に、あらゆる自然に神を見た。
八百万(やおよろず)の神である。そこから化身し、人に悟らせる仏も出た。


山伏は、その山の神仏と一体となり山から力をいただく。
実は団塊の世代の登山ブームにも、この心が少なからず動いていると思う。


自然(神仏)と共生してきた日本人に戻りたいのだ。
単純に俗世間から離れ、自然を感じ、山での爽快感を求めているという一般論の中の奥底に、それは今でも宿っている。


今、ヨーロッパから入り込んだ山岳競技の登山と、日本人らしい山の観念が混在してしまい、わかりづらくなり、何が事故の根源なのかを悟る努力をしていない。


山岳競技は山(神)への挑戦である。わが国でも山は神の領域。これを切り開いたのが各霊山を開いた役行者や泰澄であり、ある時は林業や鉱山、測量に携わった山師。いわゆるプロフェッショナルである。
そもそも、深山への介入は神と一体となれるプロフェッショナルに限定されている。


大峯山寺は九月からの戸閉めを終え、五月三日の戸開けにより、行者の峯入りシーズンを迎える。神仏が荒れる時には山に入らない。若狭坊の住む地域には山の口講が今も数多く残る。一一月~一二月に山を閉め、一年の安全と山の幸に感謝し、一月~二月に山を開ける。山を閉めているときに山に入れば神の怒りをかう。一年への感謝であり、かつ山が荒れる季節を恐れているのだ。


北アルプスはプロ(山岳競技者)の場であり、かつ一部の山は修験者の山である。自然に神を見られない人には入ることは許されない。「入るな」とは言っていない。山伏としては自然と一体となり神仏を見てほしい。山には日本人らしい魅力があるから。
「自然に神を見る」日本の心は正直薄れている。そこに気づき始めている団塊の世代の登山者は決して排除してはいけない。ただ、自然(神仏)の恐ろしさを表面だけの認識で終わらせずに…。


身勝手な人間によって、自然と人間の境界はいつの頃からこれほど明確に線引きされるようになったのだろう。山が吐き出す河川沿いには大きな堤防を造り、堤防下には挑戦するように新興住宅地が作られている。山の口元である山麓谷には砂防堤防を作り人が住む。断層崖や河川氾濫源にも開発が及ぶ。津波に向いてはスーパー堤防を作る。山と田畑の境界には鳥獣害柵をめぐらす。これでいいのだろうか?


「人と自然との共生」が最近よく謳われるが、ほとんどが人間目線からのこと。もう一度日本人の原点を考えてみるべきだ。自然の中にあわす神仏との共存として。このことは宮崎アニメが崇拝される中にもしっかりと生きている。

日本人は決して忘れてはいない。真の人と自然との共生を…。
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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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