若狭能フェス反省会


久しぶりの市民ソフトボール翌日で体の調子が悪い若狭坊です。
実質引退しているのですが、人がいないときだけ助っ人参加しています。
もちろん勝ちました。
が、体は年齢に負けてるということです(-_-;)

今日はちょこっとだけ上根来で作業。

20170824165134fd6.jpg


行く途中、鵜の瀬資料館から行者様が搬出されていた。
秋の特別展において若狭歴史博物館で展示されるらしい。
若狭一の役行者像。
若狭修験の根本本尊ですから、若州修験道はもとより、若峯講もお参りにいかないと。

それはそうと、天空も暑かった。

2時間の作業中、トレッキング下り6名、上り4名、不明客上下7名。
やはりお客様は増えています。

上根来の神社にお参り。
ここでも江戸時代には能が奉納されていたんだな~と感慨にふける。

小浜では中世末から江戸初期には舞が盛んだった。
舞を舞う人を「舞々」といって遠敷舞々村の幸福座が藩から公事免除されていた。

その後、舞が下火になり江戸前期から能が盛んになる。
若狭には今も続く倉座の他、尾古・吉祥・気山の四座があったらしい。
倉座は江戸時代には堅海や田烏などを本拠としていた。

そして根来や太良庄、そして・・・くぼたんからも役者を輩出しています。
今も昔も芸達者がいた村なのです(笑)

10月祭礼の江戸時代の記録見てても・・・
1日須縄、2日田村加茂神社、3日小倉、4日三重、5日坂本、6日納田終、8日桂、9日飯盛、10日遠敷、11日多田と、ほぼ休みなしで倉座ツアーです。書ききれてませんがまだまだ10月は最終の根来まで続いていきます。

能は修験(山伏)とも大きく関わる。

いろいろなご縁を感じ・・・

今日は若狭能フェスティバルの反省会に参加させていただいたのでした。

みんなに、「いろいろ関わって大変だね」と言われます。
もちろん大変なときもあります

けど、これもご縁。
すべてに感謝です。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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