「雲浜」の由来


今朝の南無南無

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ここ2日間は寒い朝勤行です。

さて、週末は・・・

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優勝候補に完敗しました。
近くにはない強さを体感し、次のステップにいくことを望んでいます。
気付きがあったかな?

ただ完敗だっただけに本人もそうなのでしょうが、親ももやもやしてます

でも仕事は進む。

今日は雲浜小学校へ資料調査および寄託資料の受け取り。

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「雲浜」って全国に唯一の素敵な地名ですよね~。

よく、幕末の志士である梅田雲浜に由来があるの?と聞かれますが、
実は雲浜は号であって本名は源次郎義質といいました。

ということで、地名を号(本名の他に使う名)にしているのです。
小浜藩を出てからも、出身の地に想いがあったのでしょうね。

で、この雲浜の地名はいつから?なのか??

江戸時代半ば編纂の『拾椎雑話』には、
「最近、小浜を雲の浜と呼ぶが、もともとは竹原の地で漁師が住んでいた場所で下竹原だった。城をつくるにあたって、下竹原は西津に移しました」と書かれています。
伝承では、城のあった下竹原の漁師が浜に網を干すと蜘蛛の網のようであったので、いつしか「蜘蛛の浜」となり、雅字をあてて「雲浜」となったといいます。
素敵ですね。

元禄時代には、若狭八景に「雲浜朝霧」が詠まれ、その後すぐからは「若狭八景」ではなく「雲浜八景」へと変わっていきます。
文人の雅が「蜘蛛」から「雲」へ変化させたのでしょうか?

ただ、近くの千種の森には、中世初頭段階で牛頭天王がお祀りされており、別称が「雲月宮」だったことが判っています。
もっと古い時代から「雲」とは関わりのある地域なのです。

月が籠もる宮。
これもまた素敵ですね。

月読神(ツクヨミ)と記紀神話を考えると、御食国につながっていったりする。


いや・・・

もしかすると、「浜に籠もる」という根本的なものが「雲浜」の語源だったら。
海が育む美食を支えた地としての意味があるのかもしれない。

地名は面白い。

籠もるといえば、お隣の丹後国、元伊勢の籠神社との関係とか・・・
籠もるといえば小森とか子守にも関係し、籠神社と同じように水分神との関係も。

ほら、吉野水分神社につながってきました。

ということで、次回は吉野と修験道のお話しへ続く・・・

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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