中世墓の調査

今日は一日中世墓の調査。

全国の南北朝時代までの中世石塔の集成辞典が出ることになり
若狭の執筆を担当している。

お隣の若狭町から調査スタート。

無悪(「さかなし」と読む)の五輪塔から、神谷の層塔へ。

NCM_0021.jpg

この九重石塔婆は、応安国一揆(一三七一)の供養塔。

次に中世荘園で有名な太良荘へ。

NCM_0023.jpg

御所の森と呼ばれる聖地に単独である。
鎌倉期の荘園上層の人の墓か供養塔なのか?
小浜で一番古く大きな五輪塔である。

次は多田にある五輪塔。
曽我兄弟の供養塔といわれる。近くの多田寺には多田満仲の供養塔もある。
真相は謎ですが・・・。

NCM_0031.jpg

小浜の五輪塔は鎌倉時代のもので花崗岩。

若狭町のは南北朝時代で日引石という高浜町産の凝灰岩。

南北朝期以降、若狭地域西部の石塔は日引石になる。
というか、北は十三湊から、南は長崎や鹿児島の坊津まで分布している。

なぜ?かといわれると、大型船運が発達し、若狭小浜から出る大船のバラストとして使われるから。

南北朝期に一つの船運発達の転機があるよう。小浜湊にもこの時期に石屋小路という町名が現れる。

石塔と石材だけでも隠れた歴史が見えてきます。
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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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