若狭小浜「お水送り」2016

お水送りに向け精進潔斎中の若狭坊です。

日曜日は花粉の影響により外には出られず・・・

一日ダウンしておりました。


さて、

明後日に迫ってきました、若狭に春を告げる「お水送り」

お水送りver3

天気予報では暖かくなりそうな感じですが、まだまだ冷え込みます。
十分な防寒対策をしてお越しください。

なにより、松明行列時に、灰や場合によっては火の粉が飛びます。
衣類が損傷することがありますので、燃えにくく、かつどうでもよい服装でお越しを。

お早めにお着きの方は、若狭から奈良へ南下する遠敷地域の
豊かな社寺文化遺産群を拝観くださいませ。

若狭彦姫神社、萬徳寺、明通寺、若狭国分寺などなど。

近くの福井県立若狭歴史博物館では
ミニ展「根来とお水送り」も実施中です。

なお、当日は、神宮寺から鵜の瀬まで通行規制があります。
シャトルバス運行のお知らせをしておきます。

【 行 き 】..
小浜駅17:45 ⇒ 神宮寺18:00
 ・満員になり次第随時発車。最終18:00発。料金は800円。

竜前臨時駐車場17:00 ⇒ 神宮寺17:05
 ・以降最終便19:00発まで15分間隔で発車。・料金は200円。

お時間のある方は、早めに竜前臨時駐車場から散策されるのもいいですよ。
一宮梵鐘、一宮本地の薬師堂、そして若狭彦神社参詣。

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          若狭彦神社

その後、森の水PR館で限定販売の日本酒「鵜の瀬」を購入いただき、
北門(仁王門)から風情ある参道を本堂に向け散策するのがお勧めです。

森水の中
         森の水PR館


【 帰 り 】
鵜の瀬ポケットパーク21:30頃 ⇒ 小浜駅
 ・通行規制解除後、随時出発します。料金は800円。

鵜の瀬ポケットパーク21:30頃 ⇒ 竜前臨時駐車場
 ・通行規制解除後、随時出発します。料金は200円。

お帰りは体が冷え切っていますからバスがお勧めです。
時間があれば「濱の湯」に立ち寄って体を温めましょう。

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      濱の湯 露天アマモ湯

なお、竜前臨時駐車場と神宮寺の距離は約1.5㎞です。

松明行列で歩く神宮寺と鵜の瀬の距離は約2㎞です。

最新情報は若狭おばま観光協会のWEBからゲットしてください。

若狭おばま観光協会WEB

皆様に幸ありますよう。
奈良へ向けてお水をお送りしましょう。

多数のお越しをお待ちしております。

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早朝遠征ウォーキング


金曜の夜は小浜YEGと奈良YEGの交流会。

特別講師として参加してきました。

テーマは「若狭に春を告げるお水送り」
~その歴史を学びこれからを考える~

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奈良との交流ですから。
若狭坊にとっても初めてのテーマでした。

結果は最悪。
久しぶりに訳わからん喋りになりました。
会場のいやな雰囲気を感じましたよ(^_^;)

今年は、これまでにない講演や出前講座ペースで。
4月から25件の講師を務めましたが、やはり日やテーマで調子バラバラです。

来月も3月2日、5日と連続します。
ちょっと頭の整理をいたします。

さて交流会は講演終了後、もちろん酒の交流です(笑)

岳颪があったので、がまんできずに数杯いただきました。
車をおいてお客さんのために早めに退席。

翌朝4時30分から遠征ウォークで車を取りに行きました。
昼間歩くと目立つからね。

4:30 若狭坊の家発
4:45 口名田小学校前
5:00 須縄地蔵堂前
5:15 尾崎集落前
5:30 生守松山ビル前
5:45 湯岡 熊野神社常夜灯前
5:50 小浜駅ロータリー

もう少し…

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6:00 人魚の像前着

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比丘尼さまに南無南無です。

お水送り、お水取りが始まった時代を想い。

なかなか運動になりました!(^^)!

歩行時間 1時間30分
歩行距離 7.9㎞
歩行時速 5.1㎞/h
歩行歩数 11,000歩
消費カロリー 430kcal

と、スマホのアプリは言うてはります。

久々の木曜会♪


冷える朝も休まずウォーキング♪


定点観測。

夜明け前の多田ヶ岳に向かい・・・

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大きく深呼吸して薬師真言で南無南無。

月が沈みゆく飯盛山に向かい・・・・

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馬頭観音真言で南無南無。

もちろん般若心経から、蔵王権現、役行者、不動明王・・・
そして諸山護法善神も南無南無です。


神宮寺修二会の前行としています。


仕事は・・・
残業を避けているので、かなりガツガツで行っていますが・・・
今日は、ボヤ騒ぎでお昼2時間ほど仕事ができませんでした。

が、たいしたことなく良かったです。
仕事より、くぼたん自警団3番の仕事が大切ですから。


仕事が進んでないので悩みましたが・・・

夕方から久しぶりに木曜会にすこしだけ顔出ししました。
毎月第4木曜日に開催される小浜のまちづくりメンバーの懇親会です。

今回の会場は、海の駅・お魚センター内にある

五右衛門さん

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酒も飲まずに、いろいろお話いたしました。

やはり、このメンバーは元気でるし、アイディアも飛び出してきます。

帰宅して、若干興奮気味ですが、

朝ウォークに備えて早く寝ます☆


日本遺産シンポジウムin丹波篠山


若狭小浜も日本遺産第1号に認定されて間もなく1年。

週末土日は、丹波篠山の日本遺産シンポジウムに参加してきました。

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篠山市の日本遺産ストーリーは、

デカンショ節 ー民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶

なかなか面白い切り口です。

城下町として栄えた丹波篠山の地は、本当に文化財豊かな地で、
重伝建や国史跡が2つセットであったりします。

そして生活と一体となって日本の原風景を残していrます。
そこには人情、風土、名所、名産が一体となり
地元の人々はこぞってこれをデカンショ節で愛唱し、
民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域への愛着を育んできた。
その流れは、今日においても、生き続けている。

今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、
丹波篠山の町並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。

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という面白い世界を体感させていただいた2日間でした。

これまで何度も篠山は訪れていますが、
重伝建の視察や史跡整備の視察という単品。

歴史文化基本構想を小浜と一緒にやっているとき、
「原風景」をテーマにした篠山さんを「やるな!!」と思っていたけど、
なかなか、どうして、やはり篠山のポテンシャルは高いです。

見習うところがたくさんありました。

本当ならば若狭坊にとって夜の懇親会が本番なのですが(笑)
今回は、ほかの仕事もあり日帰りピストンでした。

でも、何度も同じ仕事でつながった人たちもいて
同窓会のようで楽しかったです。

日曜の2日目はエクスカーション。

重伝建の河原町を散策し、

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黒豆屋さんをしばし覗き、

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史跡整備のパワーに改めて敬服。

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日本遺産のPRも「やるな・・・」という感じで

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武家屋敷地の御徒士町通の方は初めて行かせてもらったのですが、
復元公開されている屋敷の整備もありいい感じです。

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ただ、茅葺きという建造物の性格上、なかなか維持継承は大変だと思います。

写真ではきれいに見えますが、
空き家で朽ち果てそうな建造物もたくさんあります。

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でも、これは茅葺きだけでなく日本中の課題かもしれませんね。

昨晩は酒盛りパーティに参加できなかったので

お昼は美味しい丹波篠山まるごと丼。

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美味しいお米の上に、地場の山芋と野菜、ゴボウ揚げ。
なにより丹波牛。

おいしゅういただきました。
写真はオシャレ感満載ですが、実はかなりのボリュームがあります。

食後の眠いモードでしたが・・・
しっかり幹事会で懸案事項を議論し、1時間強で小浜に帰りました。
舞鶴若狭道のおかげですね☆

篠山さんが原風景を提唱しているように小浜・若狭も原風景を提唱中。
史跡と重伝建というセットも小浜と同じ。

精力的な篠山さんを見習うところは多いです。
そして、舞若道ネットワークで、どんどん連携させていただければと感じました。


さあ、

明日は3か月検診と検査。

ちと緊張しております(^_^;)


神々の山嶺

『神々の山嶺』

夢枕獏さんの小説です。
20歳代だったか?のときに話題となった作品で、その頃に読みました。

あれから20年。
今年は阿部寛さんと岡田准一さんのキャストで映画公開されます。

映画です

エベレストの現地ロケもあり、早くも話題となっています。

若狭坊は、先週に文庫版の漫画を買って読み直し。
ただいま風呂読書の楽しみとなっています。

マンガです

ストーリー全体は実にシンプルで。

ヨーロッパから派生した競技登山の流れを汲み
日本を代表するクライマーとなった羽生さんが、さまざまな葛藤の中、
前人未到の「山の征服」に挑み続けるというもの。

「なぜ山に登るのか?」に迫ろうとしている作品です。

若狭坊はこれまでのブログの中で、西洋的競技登山と
日本の「神と仏」が一体となる登山は違うとしてきました。

一神教で、他を認めず排除して、競い争う西洋と
多神教で、自然にいる八百万神を感得し、理解と寛容「和」をもって共生する日本。

その象徴を登山と山伏に見てきた。

が・・・どうなんだろう??
改めてそんな単純ではないな!と思った。

本当に西洋登山は、山を征服するという視点だけだったのだろうか?
先を争っただけだったのだろうか?
何よりも、先に登るということから、新しく見えてくるものを望んだのではないだろうか。

西洋的なものであれば、「自己利益の目的」であり、征服の危険連鎖が始まり、いつかは命を落とす。
日本の考えであれば、山で神仏を感得しながら、生活にフィードバックさせていく。
人生につながっていく。

この作品で羽生と山を共にしたものは、
山を引退して社会に貢献するものと山で死んでいくものとの二つに分かれる。
羽生は「生死」と「なぜ登る?」「山の征服」の葛藤を思い続けていく。

これは日本人だけに見られるものではないですよね。
西洋人だって自然を畏怖し、山に神を感じていただろう。
そこから感じたものを、山を引退しても生活にフィードバックしただろう。
何より普通の生活にない「山に登る」という苦行は、人生の糧になる。
「あんな苦しい思いをクリアしたんだから何でも平気さっ」って。
そして麻薬のように、その苦しさを求めて再び山へ行く。

このようなアニミズム・生物原理は、人間には根付いているから。

何より、「人より優れた成績」や「名声欲」は誰でも持ち、
「人のために生きたい」や「社会貢献したい」は人生目標になる。

「山に登る」
いろいろな要素が習合しているな。

ちょっと考えを改めている若狭坊です。
西洋人、日本人とわける何よりも「人間」という動物ですから。
その感性の中で、母なる「海」と「山」は誰にでも偉大な存在です。

「山を征服する」という単純ストイックな人間は、人種に関わらず僅かな人たち。
たぶん、「初制覇・初登頂」の先にある何かの感得を無意識に目指しているのかも。
そしてそれは多くの要素が習合していて、表面化するものは人それぞれなんだろう。

かみやま

今回、改めてマンガを読んで思ったのでした。
ちょっと今までの考えは短絡的で山伏失格だったかな?・・・と。

だいたい、日本の山伏は凄くて特別で、日本は特別な国で、
西洋や中国・半島の思想がおかしいというあたりで山伏失格になるんだろうな。
最近、そういう思想を前面に出して活躍されている山伏さんもいらっしゃる。

当然、これからは、海のそとから文化を受け入れ、
独自のすばらしい思想を完成させた閉鎖的な国である日本から、
東洋・西洋に新しく国を開いて発信する宗教のチカラは必要です。

もちろんそれは、批判ではなく、「和」を基調とする教えから。
結局、日本であれば宗教各宗派の根本に戻っていくのでしょうが、
いまの神官・僧侶・山伏は真剣に考えて、日本社会・国際社会に貢献というものを考えていかんと。
若狭坊の周りには、寺に生まれた若い世代がたくさんまちづくりに携わっていらっしゃいます。
いい流れですね。
人口減の時代。葬式、祈祷で生計をもっている宗教者は、そのままでは近い将来に破綻します。

歴史上の僧侶や神官はまちづりや産業を担った人たち。
山伏は商いや先進事例、新文化に長けた人たち。
各区にある寺は、まちづくりのリーダーがいるべき場で、法事・葬式だけの場ではない。
山伏はリーダーとして生きるため、寺の僧侶ではなく在家という制度を守ってきた。

宗教法人は、ポリシーをもったNPO法人、生産法人への転換が必要になってきます。
そして、檀家と呼ばれる地元だけでなく、全国から世界へと。
山伏は、山で考えをめぐらし、体力をつけ、自信に満ちて社会貢献しなければ。

「お経を覚えている」より「一緒に考えて俗世で動く」です。

と、マンガから飛躍して考えをめぐらした若狭坊でした(笑)


旅の計画は楽しい☆♪

まだまだ、正月です

加茂神社のオイケモノもありますし

オイケモノ

くわしくは、上記「オイケモノ」クリックで過去記事を参考にしてほしいのですが
まあ、山・森の民である日本人らしい正月行事です。

旧暦の正月16日の実施なので、今年は23日(火)開催です。
興味のある方。
小浜市の宮川地区加茂に鎮座する加茂神社をお訪ねください。
国選択無形民俗文化財となっています。

さて、話は変わりますが日本人の療養といえば「温泉」。

暖かくなったら、ちょっと温泉にでも行ってゆっくりしたいな☆
と思っています。
週末の湯治ですから、そんなに遠いところには行けないけど。
北陸だったら、遠くても和倉や宇奈月か・・・
関西だったら有馬だな。
東海方面だったら下呂や知多になるのかな。
山陰の三朝なんかもいったことない・・・。

妄想だけが膨らみます。

元気であれば、目的地+オマケ温泉という旅の計画になるのが若狭坊。
「どこかに行きたい!」が最優先で
近くに温泉があれば、ラッキーみたいなもので。

「いい温泉でゆっくりしたい」って・・・
もしかしたら、旅の趣向自体が老化してきたのかもしれない(笑)
いやいや・・・あくまで湯治ですから。
でも年齢を重ねる度に温泉のウェートは高まりつつある・・・

ただ、暖かくなると仕事関係のイベントも増え
子どもの学童野球も本格化するので、結局妄想で終わるかもしれないな。

そうそう。
毎年の温泉といえば、7月の大峰参り♪
吉野から山上までおまいりした後は、天川村洞川温泉に宿泊です。
とっても雰囲気のある温泉郷です。

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宿泊は光緑園西清旅館さん☆

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なかなかいいお湯ですよ。
丸一日歩いて疲れきった体を癒してくれます。
今年は、精進落としでもそれほど飲まない(だろうから)
今まで以上にゆっくり湯にもつかれることでしょう。

この大峰参りの旅は、例年7月7日~9日。
7日は、吉野の蓮華会蛙飛びに出仕して宿坊に宿泊。
8日は、早朝に吉野発で練行して、夕刻に山上蔵王堂着。
    洞川温泉に下山して宿泊。
9日は、関西名所を旅しながら小浜に帰る

という行程です。

9日は、大きな社寺や西国三十三箇所、話題のスポットを巡るのですが
まあ、若狭坊は大峰が終われば特別興味なく、飲むのがメインでした(笑)

今年はどうなるかな?

話題といえば、NHKドラマ系だな。「真田丸」とか。

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九度町に真田ミュージアムが開館するそうだから、
高野山とセットにすれば1日バッチリだな。
十数年、若峰講に参加しているけど高野山には行ってないし。
講として過去にはたぶん行っているだろうけど。

ちょっと遅れたけどマッサンもいいかな?

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サントリーの山崎蒸留所を見学して一杯やりたい!!
最近の9日の行程では酒蔵見学も多いから。
長岡京市にはサントリーの京都工場もあるからモルツをグビグビもいい!!
まあ、飲むだけでなく近くには三十三箇所の善峯寺、穴生寺もある。
穴生寺は若狭坊の記憶では5年強前に行った記憶はあるな。
ともかく、帰り道として行程は組みやすい。
京都縦貫道から舞若道を通れば、あっという間に小浜に着くからね。


そうそう。
いつも帰りに、吉野路大淀の道の駅にわざわざ寄って
大量に「あら川の桃」を積み込むけど。

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それくらいだったら、紀の川の農産直売所(JA紀の里めっけもん市場)に行くのもいいか?
HPで見ると桃の品揃えは間違いないだろうし、関西最大級の直売所みたいだし。

五条から京奈和道ですぐ。
大淀による手間を省けば、前に書いた九度や高野山とのセットもあり。
結構楽しめる旅になる。
三十三箇所の二番の紀三井寺や三番の粉河寺とセットも考えられるな。
紀三井寺や粉河寺も行っているだろうけど、若狭坊の記憶にはないから。

旬の施設といえば、今年オープンする「京都鉄道博物館」だ。
京都の社寺とセットにして旅程を組むこともできる。

懸案事項といえば、やはり近江飯道山へのお参り。
でも、これはやっぱり別日程だな。
7日、8日と鞭打った体に、さらなる山上参りはしんどい。

と、まあ、1時間ほど妄想したらいくつか案が出てきた。
講元さんに提案してみよう。

連続して参加している講員は「山参り」が目的だからいいのですが、
はじめての人には、「こんな所にも行く」という具体的提案があった
方が来やすいこともある。

2泊3日の温泉旅行+未知の体験と考えたら、40,000円は安い。
何より、「修行」という重みを軽減して来易くなるかもしれない。

人の旅行の目的はさまざまだから、ミステリーな部分と具体的な
部分をうまく示す旅行計画って大切ですね。

今年も7月7日(木)~9日(土)
数年ウィークデー日程でしたが、今年は土曜日が入ります。
帰ってきて日曜日にゆっくりできる良い年回りとなっています。

多くの方にご参加いただきたいですね。

翌日曜日は参議院選挙になりそうで、
若狭坊はたぶんゆっくりできませんが。

歴史街道スペシャル


三寒四温といいますが・・・・

気温20度の世界から、みぞれが落ちる冬空へ。

みなさま、体調管理にご留意くださいませ。


さて・・・

ABC 朝日放送の「歴史街道」という番組ご存知ですか??

若狭坊は歴史好きなので、あの音楽だけが体に染み付いています。

今回、歴史街道スペシャルは、小浜が舞台です。

「若狭に春を告げる神事と小浜の秘法」

お水送りと若狭の社寺が紹介されますよ☆

放送日:2月20日(土)16:55~17:25

お楽しみに~♪

若狭鵜之瀬講社



定点観測。南無南無。

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徐々に夜明けも早くなってきています。
天気が良いと朝ウォークで快調なのですが、
いよいよ花粉が飛び始めたらしく、若干反応が始まっています((+_+))

さて、お隣のおばあちゃんが亡くなり、バタバタしておりました。
うちの亡くなったおばあちゃんと姉妹でして、
一昨年のうちの祖母、昨年にもう一人。
そして連続して今回の不幸。
三姉妹が亡くなったことになります。

逝くときと仲良しです。
向こうの世界で、先立った旦那様含め、仲良くやってくれればと思います。

で、写真は・・・・

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出棺の時においた麻木の送り火。

玄関前では藁を燃やし送り火をして茶碗を割るのですが。

それとは別に出棺の道すがらに並べます。
墓所での送り火の名残ということで、
麻木を半紙で巻いたものに「○○地蔵王菩薩」と六体地蔵を明記。

いろいろ風習があります。

無事にお送りすることができ、
初七日法要、念仏をあげまして、
飲めない若狭坊は失礼し・・・

夜は若峯講の講元さまとご一緒し、若狭神宮寺へ。

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お水送りもいよいよ近づき、鵜の瀬講でした。
今年はパンフレットも一新されたということです。

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写真だけで中身はあまり変わっていませんでしたが(笑)

今年の準備からは、行事の準備などを担う
次世代の人材育成にも努められているということでした。

本当に大きな行事ですが、ボランティアのみなさまに支えられている行事です。

というか、そもそも祭りや行事なんかボランティアですよね。

どれだけ、仲間を作れるか?
それを継続させていく、コミュニティーシステムを構築して守っていくほかはない。

その点、若狭神宮寺は檀家寺でなかったので地元との太いつながりが難しかったのですが
若い人たちが行事に関係していくシステムが出来上がりつつあります。

一時期、感情のこじれのように遠敷地区まちづくりとの連携も途絶えつつあったが
これも、さまざまなつながりの中で新しい道ができつつあります。

観光協会や市が、支援、援助するのもそうだが、あくまで裏方で。

小浜の行事として誇りに思うを超越した行事です。

日本に、世界に誇れる行事であるということを誇りに思って、
地元の方々で作り上げる体制をどんどん推進していってほしいですね。

若狭坊はそういうありがたさを噛みしめて毎年出仕させていただいております。

「奈良まで届け 御香水」

「小浜」世界遺産から日本遺産


もう忘れられつつありますが・・・
若狭小浜は世界遺産をめざしていました。
あえて過去形です(笑)

厳密にいうと世界遺産暫定リスト登載に立候補していました。
世界遺産になるためには、実は国内の暫定リストという候補に入らなければなりません。
が、小浜は残念ながら登載には至りませんでした。
ただ、「落選」したわけではなく、いまだに候補となっています。

正式名称では「世界遺産暫定リスト記載候補カテゴリーⅡ」
いわば、世界遺産の候補物件の候補として宙ぶらりんなのです。

あれから7年。
若狭小浜は、日本遺産の第1号認定を受け様々な取り組みが展開されつつあります。

実は地域に根差した文化財が地域発展・活性化に供するには、
一時的な世界遺産登録によるブームより、
日本遺産認定による継続した取り組みの方がいいのかもしれません。
負け惜しみみたいですが(^^ゞ

実は世界遺産というものは明らかな文化財保護制度。
遺産登録後は、観光人口増で活性化しますが、一気に下降線をたどります。

当初登録の姫路城や法隆寺などの恒久的な単体モニュメントは別ですが、
最近のいくつもの文化財をまとめたストーリー性重視の世界遺産は、
来訪者に非常にわかりにくい。

一方、日本遺産は、文化庁という国の文化財行政のトップのお墨付きをいただきつつ、
そのブランドを活かし観光や地域活性化に主眼をおくという今までになかった制度。

ストーリーも専門性もそうですが、
なんとか一般に分かりやすいようにと試行錯誤されています。

増えつつある外国人旅行客の魅力にせまるテーマも想定する。
地方創生とともに、地域支援もある。
住んでいる人にも身近で産業や教育にもつながる。
今は日本遺産の方がいいような気がします。
でも、そこから「世界に誇るもの」として世界遺産に成長していくものもあっていい。

実は個人的にそのポテンシャルを一番もっているのが
小浜を含む若狭一体「御食国若狭と鯖街道」だと思っています。

さて、昨年登録の「明治の近代化遺産群」、
今年審査予定であったがイコモスの調査を受け申請取り下げとなる「長崎の教会群」、
来年審議予定の「沖ノ島関連遺産群」。
これらは、実は若狭小浜と争って暫定リスト登載となった遺産たちです。

なぜか??北九州、山口などに集中しているのは???ですが(笑)
いずれも政治とは関係のないすばらしい遺産。

でも、世界遺産になって良かったのか??良いのか???
沖ノ島なんかは、保護の観点から世界遺産にすぐになるべきものでしょう。
禁足地ですから「公開」というものとの狭間がむずかしくなるでしょうが。

一方、近代工場や教会は日本遺産になって、多くの活用のもと、
人に接する文化財として生きていった方がよかったのではないか?
日本遺産向きのような気がします。
そこから世界遺産にステップアップした方がよかったような・・・

文化財の保護と活用は、永遠のテーマなのかもしれません。

日本遺産という制度。
保護一辺倒だった近代化文化財保護から、
古いものをパラダイス化して公開していた
古代から近世までの「日本らしさ」「歴史」を継承しています。

日本らしい制度。
世界規模の規範である世界遺産より日本向きなのは当たり前ですね。



かやぶき



朝の定点観測。

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今日は満天の星でした。
冬の澄んだ空気に星がきらめきます。

朝の六時を過ぎると明るくなりつつあります。
夜明けの境界の景色は素敵です。

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さて、FC2のブログには拍手機能がついています。
ありがたいことに、最近は毎日5拍手前後いただけ、
ちょっとマニアックな記事になると10前後の拍手もいただけます。

先週、累計4000拍手を突破しました。

まもなくブログ開設5周年。
こんなマニアックなブログなのに1日100件前後のアクセスがあるのですから
若狭坊も記事の書き込みは緊張します。

感謝感謝です。

ということでイベント??紹介。

若狭坊の家の近くの中名田地区にある

ふるさと文化財の森センターでフリーの講演会

「文化財建造物の屋根保存修理」

ふるさと文化財の森チラシ

茅や檜皮、杉皮など屋根材はいろいろ。
中名田で開催ですから「かや葺き」の話が多いかも。
中名田地区は耕作放棄地を活用し、伝統的屋根材である茅の栽培事業をしています。

小浜でも若狭坊が住む農村地の伝統的屋根材も「かや」です。
これから地域づくりをさらに進める鯖街道根来坂の起点である
上根来の民家も「かや」です。

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茅葺きは、地域で助け葺き替えられていた日本人らしいコミュニティの象徴。

これからの地域づくり。
専門的な話だけかもだけど、キーになりそうなことも出てくるかも。

住むのは大変で、だからこそ消えつつある建物なのでしょうが。
若狭坊。小さい時から茅葺のあのとんがった家と囲炉裏にあこがれています。
あんな家で何か商売したり、地域づくりの拠点として活かしたいな!と。

講演会。
興味のある方はご参加ください。

ちなみに若狭坊は日本遺産シンポジウムで丹波篠山行きの日で参加できません(^^ゞ

鯖づくし


木曜日は文化庁の現地調査事業ということで、

日本遺産「御食国若狭と鯖街道」

の現況把握調査。

金曜日は県立大学小浜キャンパスの研修会&懇親会☆

テーマは

鯖の養殖

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昨年からコソコソと取り組んでいましたが、新聞報道にもあったように試行が始まります。

いろいろとクリアする課題はありますが、何でもやらねば始まりません。

呑めない懇談会で何人かの教授とお話しさせていただき、

鯖ブランドを活かすことでは当然のように一致しました。

そして昨日の土曜日は2月恒例の

濱の四季のバイキング

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ガツガツいきたいところを我慢して

すこ~しずつ、すこ~しずつ、いただいたのでした。

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郷土料理あり、かあちゃんのおばんざいあり、手作りデザートあり

ほんとうに「ほっこり」する地産地消バイキングです。

「鯖のぬた」や「鯖おでん」など鯖料理おすすめです。

期間限定。あと1週間くらいあるのかな?

小浜の食のパイロット施設。

御食国若狭おばま食文化館横

別館『濱の四季』

ぜひ!おすすめです。


「鬼も内」の由来と修験


さあ節分です。

朝少し歩き足りなかったので、仕事終わりに旭座を眺め

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節分ということで八幡さんに南無南無お詣りにいきました。

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多くのお詣りの方と夜店でにぎやかでしたよ☆

住吉おどりの縁起物もゲットし神棚に祀りました。

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さて、いままで「鬼も内」の話を何回か書き込みしてきました。
修験の世界では今でも「鬼も内」といい、
市内の府中では古くは「鬼も内」といっていたとか・・・

さて、「鬼は外」・・・は、我が国の修験道の受け入れも関連するという
実は古い信仰に由来するという説もあります。
古事記、日本書紀の世界で、歴史学として確立した説とはなっていませんが。

倭(ヤマト)の誕生の生々しい部分の第一は神武天皇の東征です。
九州で挙兵した大王は、大和への入国を目指し、
何度かの失敗の後、大和へ入国します。
ここで出雲の伝承なども複雑に関連してきますが今日は省きましょう。

大和入りした大王は、世襲制により日本の統治を始めます。
追いやられた人々は各地で反抗しますが次々に制圧されます。
古くは日本武尊の熊襲や東国制圧であり、
ちょっと新しいものでは坂上田村麻呂の蝦夷征伐になります。

さて、この東征の過程は、いわば日本文化の変革の時期を象徴しています。
争いを嫌い、自然を恐れ尊び、協調・理解と寛容の心をもって生活していた人々を、
生活の革命となった水田耕作をする人々が土地と水を求めて制圧していくというもの。

実は、吉野の民が協力しているように、最後は争いを避けて神武東征は完了するのですが、
このときの申し合わせでは、いつか土地を返してほしい!
領地の確保を確約してほしい!というのが条件だったとか・・・

大王政権は、「炒り豆から芽が出たときに政権交代しましょう!」と約束したとか・・・
そして、もともとの人々は山、杜の奥においやられ「鬼」といわれるようになった。

今の節分行事は、鬼たちに豆をぶつけ、
「芽は出ていない。お前たちの出番はまだだ」
という、年の節目におこなう制圧統治の確認行事。
福は内の「福」は東征した人々のことで、鬼は外で「鬼の人種」を追い出しているのだ。

そして、わずかな鬼の一族だけが和合を願い、「鬼も内」という。
「福は外」とはいわない。
福は外というところは、かなりの抵抗勢力だったさらなる少数派かもしれない。


九州から大和へ入るとき、神武大王の失敗を助け、それでも追いやられた吉野の民。
役行者は前鬼・後鬼を使徒として吉野で国家のための修行を行うが、鬼を恐れた大王に流罪とされ。
壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)は、鬼の血筋を受け、鬼の助けを受けて吉野から出陣し、政権を奪い。
鬼の血を引く行基などの優婆塞や渡来僧の良弁や実忠により東大寺が造られ、
その教えは空海、最澄に引き継がれ平安密教が大成する。
平安時代、鬼の政権が終わりを告げるころ、源義経は頼朝の怒りに触れて吉野へ逃れ、鬼の地で再起を計画し。
再び、鬼の政権を目指した後醍醐天皇は、京を逃れ吉野南朝で再起を計画。

東征の人々によって創り上げられた国であるヤマト。
しかしながら、混血の過程で、鬼の心をもった政権があった奈良・平安時代。
それが忘れられていく鎌倉時代以降。
根本を忘れてはいけないと「自然と共存、異質なものへの理解」
を中世以後に強力に説き始める鬼の修験道。

日本の根幹を忘れかけたとき、政権への蜂起が修験の聖地から起こる。

鬼の修験の力を恐れた江戸幕府は、本山派・当山派という位置づけで一宗教化し、
クーデターで成立した明治政府は、修験道廃止令により、
忘れられつつあるが脅威でもある鬼を抑え込もうとした。

それは失敗に終わったが、鬼の存在と和合の精神は
欧米文化の受容により忘れられつつある。

民主主義の新たな蜂起は鬼の精神を持たなければならず、
それが最も日本(ヤマト)という国らしさが見えるもの。

修験道・山伏というと、今やアヤシゲな宗教と思われますが、
日本古来の自然崇拝と和合の精神をもった日本らしい道徳観を、
先進的であった外来仏教や道教と融合したもので、
かつ宗教というよりは、
日本人の政治や教育の定義であったという生活と密着したもの。

史実として確立された学問上の説ではないにしろ、
隠されてきた歴史を見ようとすると宗教の力が非常に大きいのが日本。

その中でも修験道は歴史のキーを握っている。

子どもの前では、「鬼は外」といいながらも
「鬼も内」とひそかに遠く大峯を遥拝した若狭坊でした。


初めて象が来て「かきまつり」


小浜は初めて象が来たまちだ!と若干売り出している。

184象が上陸した地

伝承を除き、確実な史料にもとづけば、小浜の事例が最も古いから。

でも、本当のところはどうかはわからない(笑)
史料に残らなければ歴史には刻まれないから。

象をつないだ伝承のある内外海地区の主催で

FB_IMG_1454357362926.jpg

「象の駅 かきまつり」開催されます。

知ったメンバーだらけのイベントであるのがプログラムを見るだけで解りますが(笑)
地元の人が地元の遺産や特産品を活かそうとしたすばらしい手作りイベントです。

さて、小浜に象が来たのは応永15年(1408)と小浜の史料には記述されている。
南蛮からの船で、象の他にクジャクやオウムなど珍しい動物が満載。
日本国王である足利義満への献上品である。

京都に象が到着した記述も他の文献にあるので間違いない。
鯖街道を通って、小浜から京都まで
めずらしい動物の行列があったことになる。

これらの動物を載せた大船からの荷あげは、当時港として大成していた
西津大湊または、小浜突抜町から津田入江あたりだと思われる。

でも、このあたりより古いと考えられる内外海の古津に「象つなぎ岩」の伝承がある。

なぜか?
古津に大きな拠点があった時代。
応永年間よりもっと遡る時期に象が小浜に来ていたかもしれない。
古くから大陸に開かれた交流都市だったから。

いや、文献にある応永年間。
巨大な港町として発展を始める西津や小浜に荷あげされた象。
をいつまでも置いておくことができずに、京都へ運ぶまでの期間、
郊外に繋いでお世話していたのかもしれない。
見たこともない奇妙な動物を、いつまでも住宅地に置くことはできない(笑)

いやいや、この応永年間以後。
戦国時代までに象がきて、象繋ぎ岩に繋がれていたことがあったのかもしれない。
その珍しさから再び求められれば、若狭小浜を起点に京都へ運ばれるはずだ。
瀬戸内の水運は不安定な時代だから。
そして若狭小浜は全国を代表する国際的な港町となっていたから。

史実としての「象が来た」と、
伝承の「象をつないだ」。

繋ぎ合わせるだけで、いろいろな想定ができる。
この色々を、徐々に少なくし、1本にするのが歴史の面白さ。

イベントに歴史上の難しいことは何もいらないが、
そのロマンを活かした「まちづくり」を進めてほしい。

ちなみに、小浜から京都に送られた象は・・・
3年後に李朝朝鮮の太宗に足利将軍から大蔵経一揃献上の礼品として贈られた。
朝鮮においても初めての象だったらしい(『李朝実録』)。

いにしえの壮大な象の旅のお話でした。


往ぬる・逃げる・去る


小雨のなかの定点観測

DSC_1778.jpg

いつものシルエットに遥拝、南無南無です。


本当に月日が流れるのは早く・・・

へしこ博士の究極のへしこ講座も、もう3回目だそうで。
大人気の講座なので興味のある方はお早めにお申し込みを。


FB_IMG_1454299684010.jpg


さて・・・
もう2月ですね☆
3月までは更に早くて・・・

よく1月=往ぬる・2月=逃げる・3月=去る

と例えられます。

複雑なんですよね~。

歳をとれば時間が経つのが早く、歳をとりたくないな!
なんて思いますが
一方、早く時が経ってほしいとも・・・

その1
病気の完治には健康体が数年続かないと「治癒」宣言が出ないので
安心のためには早く時間が過ぎてほしい。
その2
若狭坊の年に一度の楽しみは7月の大峯山行での心の洗濯。
だから早く時間が過ぎて7月になってほしい。

でも早く過ぎれば、時間の大切さを感じざるを得ないです。
病気の完治宣言が出るころには50歳やん・・・
本当に今のままでいいのか。
何ができるのか。
たくさん楽しまないと。
たくさん考えないと。

貴重な休みに何もせず、
ノンアルコールで
ぼんやり家で寛いでいると思うわけです(笑)
「おいおい何しとる。色々やらんとあかんやんけ~」と心の声がするのです。


孔子さまは『論語』の中で云うてはります。
私は十五才で学びに目覚めた。
三十才で学びから基礎を確立した。
四十才で惑いがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった。

まだまだ学びも確立できず迷いだらけの40代の若狭坊。
だから、やることは一杯です。

でも、ぼんやりと天命みたいなものは20代から見え隠れしていて
これにブレなく生きてきたことは自負している。

もう少しあせらず自然に歩んでいこう。
新しく何かが見えてきて、今まで見えなかったものも見えてくるかも。
そのためには、ガツガツいかず家で寛ぎ、子どもと散歩するのもいいことです。



プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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