入峯1週間前


さあ、

入峯1週間前です。
今日から酒断ちです。

「えっめずらしい!!」

とお思いですか?(笑)
実は健康診断前なので(*^^)vというのがメインです。

土、日曜日は少年野球三昧でした。

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土曜日はJA杯。
少しだけのアップの球拾いで、左足ふくらはぎに違和感(+o+)
まだ肉離れ完治してないのか・・・

山大丈夫だろうか???

で・・・1回戦負けで・・・

日曜日は朝から少し仕事をして、
練習試合の審判。

雨でズブヌレになる。
入峯前に風邪をひいたら大変だ。

帰って風呂に入って温まり、甥っ子の1歳の誕生日を祝う。

飲みすぎです(笑)

だから酒断ちます(笑)

oziさん

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日本遺産展示会続々と

雨です・・・

ウォーキングに家から一歩出たら雨が降り出しました。

結局歩いていません。
朝から欲求不満の若狭坊です。

さて・・・

海をつなぐ若狭の往来文化遺産群
-御食国若狭と鯖街道-


が日本遺産となって2カ月です。

いくつか展示会ご紹介します。

まずは、若狭町歴史文化館☆

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まあ、ご担当のN江さんらしい切り口で・・・
関わりもあり、精力的に動いてらっしゃった若狭町の取り組みを知っているだけに
非常に興味深く拝見しました。

なんといっても今回の日本遺産は申請してすぐになったんだよ♪
じゃないのです。

長い間の積み重ねがあってからこそです。

歴史をストーリーとして捉え、面的に・・・という文化庁のフレコミ。
新鮮なようですが、実は先進的地方では当たり前のように取り組んでいました。

特に小浜市と若狭町の連携は、20年以上になる。
その頃は若狭一円の連携もあった。

でも、それぞれ各地の文化財保護行政で一杯一杯で。
広域的な意識も薄れ?
結局、今回は小浜と若狭町が認定の対象。

これを契機に、若狭一円の連携を見直したいものです。

若狭一円といえば・・・

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福井県立若狭歴史博物館でも記念展が8月から始まります。

こちらは長年取り組んできた研究を切り口とした展示のようですね。
御食国若狭と鯖街道の深層にせまるものになりそうです。

まあ、それはそれでいいのですが・・・
認定ストーリーの遺産に本当は絞ってほしいものです。

これを見れば、歴史に興味がある方は大満足ですが、
日本遺産に認定されたモノは何?にブレがないように願っています。

で、何で「御食国とサバ街道」なんだ??

認定名称を、わざわざ変えてテーマにするなんて不思議だ(笑)

認定名称は「御食国若狭と鯖街道」です。

まあ、文句ばっかり言っているようですが、
すばらしい展示になることは間違いないでしょう。

専門的で、観光客には若狭の魅力が伝わるしばらしいものに
なるでしょう。
学芸員のスキルとしては最高ですからね。

ただ、これまでの取り組みを深く知っている若狭町との違いは
明らかですね。
歴史を紹介する!と、戦略的まちづくりの発信!

ここが日本遺産のポイントです。

真の日本遺産発信のために情報共有のネットワークは大切ですね。

小浜でも写真展を企画中です。

ですが、小浜で御食国若狭と鯖街道を知る上では、

ぜひ、

御食国若狭おばま食文化館へ

いちばん焦点をしぼり、わかりやすいと自負しています。
切り口も親しみやすい「食」ですから。

熊川宿の資料館も必見ですよ。
若狭町はここと、今回の企画展のコラボにより日本遺産の大半を
カバーしています。
見習わないと・・・

「御食国若狭おばま食文化館」
「若狭町熊川宿資料館」

いずれも直球勝負です。

日本遺産を知るためには・・・

変化球を見る前に、一度直球勝負してくださいませ。

鯖街道の起点


今日は早く目覚めたのに歩かなかった若狭坊です。

眠くて出勤までゴロゴロ・ウトウトしてました。
ダメなやつです。

午前中は「川」をテーマに専門家をアテンド。
小浜の都市成立と河川についてご案内しました。

港と川の歴史は、小浜の歴史と言っても過言ではありません。

午後は日本遺産の打ち合わせ。

AM,PMとも、鯖街道を往復しました。

(ちいさい)熊川宿5_23.11


さて・・・

鯖街道にはネーミングの歴史的定義がありません。

昭和30年~40年代に京都の文化人や文豪が使いはじめたといいます。

ですので、若狭から京に向かった道すべてが「鯖街道」です。

小浜は鯖街道の起点を名乗っています。

DSC_1384さば2

なぜって?

鯖街道は、当初から文化の道として位置付けられていました。
文化を受け入れ、京へ届ける道と・・・

その点、鯖が最も水揚げされたのは小浜であり、若狭の中心、
大規模港である小浜港が文化を受け入れた中心であったのだ
から当たり前です。

でも、広く見れば若狭湾岸各地は鯖街道の起点になります。
そこから、すべての京へ続く道は「鯖街道」なのです。

「西の鯖街道」なんて・・・自らブランド力を落とすようなことは
してはいけないですね。
すべて鯖街道なのに、自ら亜流であると宣言するはどうなんでしょう・・・

また、「京は遠ても十八里」は、明らかに小浜から京都を見た言葉になります。

ブランドとして使うときには、色々考えてほしいものです。

歴史を活かしたまちづくり。

地域創生の時代、どんどん求められていきますが、根本を言える
地方の専門家のスキルはとっても大切になります。

そして、専門スキルだけでなく、広い視野で住民と協働できる人。
残念ながら、私も力不足ですが、その想いを感じ、行動に移している
人というと一人いるかどうか・・・。


ただ・・・

このような、こだわりなしに日本遺産の鯖街道は発信していくこととなります。
人がいなければ、そのスキルを持つ人が市町の境を越えて動かなければいけません。

残念ながら県という団体に、それを求めることはできません。

DSC_1379さば1

若狭は一つ。

そのきっかけに「御食国若狭と鯖街道」がなれば・・・と思っています。

という想いを抱き・・・

いまから木曜会で情報交換です。

今日はシーサイドバーベキューでございます♪♫

刺激を求めて


宿直からの目覚めの朝です。

忙しい休日の最後は仕事場でした(+o+)

土曜日の朝ははPTAのソフトバレーボール大会。

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まぁ親睦ですから・・・
汗をかくほどの運動量もなく・・・
先生を交えて昼食で懇親会。

一人急いで食べて・・・
午後からは福井市での研究会に参加(*^^)v

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若狭坊が専門とする中近世移行期のお話です。

一乗谷はもちろん・・・
平泉寺や福井城(北庄城)など数十年の積み上げがある福井。

再確認もできるし、若狭に活かす再発見もある。
しかし・・・若狭のやつおらんし。

こういうところに顔ださんとあかんのにねえ~。

もちろん宿泊して懇親会にも参加しました。
こちらが若狭坊のメインですから(笑)

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全国の埋蔵文化財担当者豪傑たちと飲むのは本当に楽しい。
もちろん飲みすぎです(笑)
やっぱり、こういう刺激がないと、元気がでない。

いろいろなスキルや仲間の熱さを感じ取って
「よし!!やったろかい!!!」の気持ちを起こさせる。

あまり休日がないので最近ご無沙汰でしたが、
やっぱりこういうのは参加しないとね。

翌日は朝ウォークで北の庄の頃を偲んでみようと思いましたが
結局ギリギリまでホテルでお休み。

2日目の午前中の報告が終わる頃には空腹感。

福井セットだ。おろしそばとソースかつ丼!!!

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そして小浜に帰って、仕事場の宿直。
ひさびさの休肝日でさわやかな朝。

歩きたくても歩けないけど・・・

さぁ、

今週も元気に行きましょう。

大峯まで、あと2週間です。

集中力の維持方法

梅雨です。

6月です。

3か月に1回の季節労働に追い回されています(+o+)

気分が乗りません。

でも歩かなければリフレッシュできない

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霧に隠れ多田ヶ岳と朝日が拝めない。

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日本列島という土俵上では
北の高気圧「太平洋山」と、南の高気圧「オホーツク山」が「がっぷり四つ」

水入りです。

だから雨ふりが・・・


仕事一杯なのに集中力に欠け、注意力も散漫。

一説には犯罪や事故も増えるとか・・・

歴史上では、桶狭間や長篠の合戦があったのも梅雨。
信長は知っていたのか?
でも、本能寺の変を受けたのも梅雨だったりします。

はぁ~、もう少し・・・上手につきあえばお山が待っている。
大好きな夏がまっている。

若狭坊のリフレッシュは
 1.ウォーキング
 2.サウナ
 3.妄想(笑)
 4.おさけ

ちなみに・・・

心身不調を回復するのは梅雨だけに「梅」がいいらしい。

これも日本人の知恵。
旬のエキスですね。

さて梅干し食って妄想しよう!!

あい_20150123_152031

ただし妄想しすぎると出勤できなくなる(笑)


田村道をゆく!

土曜の前行を終え・・・

日曜日は少年野球へ・・・と思っていましたが。

朝に野瀬先達からの連絡。
「田村街道行かへん?」

こりゃ行かなければ・・・
数年前から行こう行こうといいながら実現してなかったから。
この間は市兵ヱさんが単独で行かれたということで
うらやましかったのもあり。

ということで急きょ前行の山歩きとなりました。

くぼたんの引尾という地域へ向かう分かれ道には道標があります。

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施主は江戸時代末から明治時代にかけて若狭瓦で一大を築いた

大枝九右ヱ門さんです。

DSC_1354.jpg

現在の街道(R162)は南川右岸を通るが、古くは左岸の道もあったのです。
時期時期により両方使っているのでしょう。

ということで・・・

8時すぎに道標前を出発。

集落の切れ目から旧屋敷地や耕作地跡を通過する大きな街道を進む。

深道や切り通しなどの街道の隆盛をあちこちに示しています。

DSC_1355.jpg

大きな道です。
荷車も余裕です。

そのまま道なりに進むと何故か山方向へ向かう。

「あれ??川沿いをず~っと・・・という話は??」

進んでいくと数基の炭窯があり、道らしい道がとぎれる。
う~ん。これは炭出しの道か?
あるいは不安定な川沿いをさけたもう一つ古い街道か?
確かに、この谷を左に巻き越えていけば田村の里の和多田方面。

でも道が途切れている。
今回は旧街道を探る調査。

ここで1時間以上、道を探したり尾根をのぼったりした。

もと来た道を少し帰ると、川沿いに向かう細道発見。

ズンズン進むと田茂谷集落対岸の平地に到着。
南川の流れを見つめしばし休息。

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ここから先はかなり荒れているが、道は確実に残っている。

そして、スノーシェルター対岸の山崩れ地区で立ち往生。
残念ながら進めません。

でも、ここは江戸時代の絵図や伝承では、対岸への渡しがあったところ。
もともと難所だったのでしょう。
若狭の大歩危小歩危と例えられていたといいます。

呼び名は「大瀬の渡し」
お不動さんが祀られており、
古くは地域の行者さんが水垢離もされていたといいます。

地蔵堂もあります。

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まあ、道が途切れ進めないので、一旦浅瀬を右岸にわたり、すぐ左岸に戻りました。

戻ると再びしっかりした街道となっていました。

江戸時代の古めの絵図や公式絵図には、
やはり現在の国道がある右岸の道が正式な街道であったようです。

DSC_1362.jpg

でも・・・
江戸の後期に入ると、しっかり左岸の田村街道がメイン赤線で記してあります。

DSC_1363.jpg

不安定な渓谷地ですから、時期時期で使い分けているのでしょう。
まさに街道の難所。

迷った分もあったため、
到着はお昼前。

和多田の地蔵さまにお参りして行程終了です。

DSC_1358.jpg

ここの地蔵さまも由緒が深く、開帳や縁日には
古くから多くのお参りがあったといいます。

今日来た道を通って、くぼたんの山伏もお参りしたことでしょう。
今日はその復活デーとなりました。

しかし中名田はびっくりするくらい密教堂が多い。
田村薬師を筆頭に、多くの薬師堂もある。

さすがに、飯盛山修験の拠点です。
くぼたんとは兄弟ですね。

帰りは現在の街道である国道をボチボチ帰る。

今日のおさらい☆

DSC_1364.jpg

赤は辿った旧道。
点線が道迷いの場所ですが、奥へしっかり道がついています。
炭窯跡が多い場所なので、大々的に炭焼をしていて
その製品出しの道だったか?

あるいは尾根一つを越え、谷を大きく巻いて、また一尾根越えて
田村へ向かう道なのか?
イメージ的には地蔵堂のあたりに到着しそうだ。

ちなみに黄色は飯盛山登拝道です。


帰ってからは、着替えてすぐに
くぼたん米舞倶楽部の草刈り。

暗くなるまでみんなで一杯飲んで
その後、若い子たちのバーベキューに合流。

くぼたんを満喫した休日となりました。

DSC_1360.jpg

飯盛の峯の美しい夕暮れが一日の疲れを癒してくれます。

前行ずくめの週末となりました。


化他行蔵王供千願祈祷


やっと梅雨らしくなってきました。
でも今日は中休み。

朝から前行でテクテクし、思い立ってお詣りへ!

まだまだ行けると思っていたらあとわずかだったので・・・

京都府の綾部市へ向かいました。

DSC_1351.jpg

おおい町から石山を抜けて綾部に入ると谷あいの田園風景の中
素敵な民家の家並みに遭遇します。

こんな風景が大好きです。

1時間強で目的地に到着。

今日のお詣りは林南院さまです。

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3月まで金峯山寺の宗務総長をお勤めされていた
田中利典師の御坊です。

引退を機に

「化他行・蔵王供千願祈祷」を発願され、参籠されています。

脳天堂さまでの法楽採灯護摩にお詣りさせていただきました。


その後、親しくお話しさせていただき、私としても蓮華会の
良き前行となりました。

ありがとうございました。

若狭坊が入峰新客だったのは10年強前。

それから蓮華入峰といえば、総奉行、大先達としてお世話になってきた師です。

いいお詣りをさせていただきました。

「今、自分は何をすればよいのか?」
人のなやみの根幹にあると思います。

それが自然に見つけられる心をつかむ。
改めて、自分の修業の目的が見つけられました。


今後ともよろしくお願いいたします。


「くぼたん」謎解き

ちょっと、末端地域ネタ をいきます(笑)

わが村「くぼたん」のお話です。

「窪谷」の名のとおり、普通は人が住まないようなところ…
なぜ人が住んだのか?
それは人が行き交う拠点だったということ。

多分、地域の方以外は興味ないかもしれません。
でも、松上げ行事を知る上では参考になるかな??

久々の写真なし長文です。

今年に入り、8月23日に行われる「松上げ」の実施日変更の
議論があるので、松上げの根本に迫ってみましょう。

松上げ行事は、京都洛北の山間部である広河原・花背・久多・
美山など、福井県に入ると旧名田庄村各地、小浜市の中名田
地区・口名田地区に分布します。

このため、京都の愛宕神社から若狭小浜に至る道を

「松上げの道」

と呼ぶこともあります。

現在市内では口名田・中名田地区の5か所で実施されています。

単純に考えても、鯖街道は鯖などの海産物が往来した道ではなく、
京都と若狭が文化を共有した道なのです。

ちなみに、火というキーワードから、愛宕権現(現在の愛宕神社)
との関連がよく言われる行事です。
愛宕山は役行者と泰澄の開創を伝え、修験道(山伏)との結び
つきが江戸時代まで非常に深かったところです。

松上げは、元来、火の神である愛宕権現の縁日(本地である
地蔵菩薩の縁日)である8月24日に行われるところが多かった
と想定されます。
ただ、火伏せだけでなく盆の精霊送りや五穀豊穣祈願などと
融合して、8月15日から9月初旬にかけて各地さまざまな日に
実施されるようになっていきます。

お盆に近ければ「精霊送り」や「虫送り」の要素が強く、農家の
嵐の厄日である八朔(旧暦8月1日)や二百十日に行われる場
合は「五穀豊穣」を祈る要素が強いかな。

さて、各地の松上げの「願い」を現況調査すると、ほとんど火伏
せ、五穀豊穣を対等に願っています。
地域に勧請した愛宕社に参詣してから行事を行うところもあれば、
地域の社寺に願いをかけて実施するところ、松上げのみを単体
で行っているところと様々です。

「くぼたん」の松上げは、毎年23日に実施されています。
小浜の地蔵盆が23日に行われるところが多いように、
地蔵縁日の宵宮として実施されている由緒でしょう。

伝聞によると、古くは地域の山腹にある金毘羅宮にお参りをして
実施していたみたいですが、現在は山麓にある薬師堂に参詣し
てから実施されます。

金毘羅権現は山岳信仰と修験道が融合した権現さまで、
海上交通を司るといわれており、船運業者の信仰が厚いです。
江戸時代後期から、南川を川船で瓦が運ばれていたことを思えば、
川を見渡す位置ということもあり、おそらくこの安全を願って地域
有力者(山伏かも)によって勧請されたのでしょう。

南川流域の川近くの山には金毘羅さんを勧請したところがいくつ
もあります。この金毘羅勧請に合わせて松上げが始まったとも
想定されます。
また、江戸時代末頃に、もともとあった愛宕社に金毘羅を勧請
したとすれば、松上げの歴史はさらに古くなるでしょう。

でも、この場合は薬師ではなく地蔵となるのが本地の考え。
現在、松上げを行う前にお参りする薬師堂との関係を真剣に考え
ないと、くぼたんの松上げの歴史は解明されません。
このことについては以下ににまとめますが、江戸時代をさらに遡
る行事であることも検討要素となります。

今の松上げは、藁と竹でくんだ「もうじ」の先にカラスをつけます。
他の松上げには見られない特徴で、これが勢いよく燃えると
「五穀豊穣」だというのがくぼたんの特徴。

愛宕信仰から、地域に根差した豊作祈願に行事自体が移行して
いるのです。愛宕さんとの関係は現在見られないのです。
このことを考えれば、現在議論されている開催日の変更は問題
ないかもしれない。
由緒をしっかり伝え、何より続けていくことが一番大切だから。

これから、下記でご紹介する観音のご祈祷や六所神社祭礼も
現在では近い日曜日の実施になっていますしね。

いずれにしても、愛宕・金毘羅ともに修験道との関わりが深く、
地域の山伏がスタートを担ったということは想像に難くないのです。
今でこそ、山伏は絶滅危惧種・もの珍しいものですが、
明治初年の神仏分離や修験道廃止令前には、深く地域に関わ
っています。飯盛山登拝の拠点として生まれた「くぼたん」には
山伏は深く根付いているのです。

忘れかけていた歴史が、今の若峰講の講員によって受け継がれているといえます。



さて、地域の成立を考える上では、文書などの書物がないのであれば
社寺の成立から想像するのが一番。
社寺には仏像もあれば祭礼もある。これが地域の歴史の根拠ともなります。

松上げでは実施の前に薬師堂にお参りすると紹介しました。
この薬師堂のご本尊は地域で廃寺となった香梅庵のご本尊であったと想定
されます。香梅庵は真言宗寺院としての開創を伝え、江戸時代には興禅寺
末となり曹洞宗に改宗しています。
創建については、地域の産土神としてある六所権現(明治の神仏分離で
廃仏され六所神社になっていますが・・・)との関係が深い。
ちょっと窪谷(くぼたん)の社寺を整理してみましょう。


産土神   六所権現
       西宮社(恵比寿)
 
 六所を勧請しているあたり、神仏習合・修験道との関連が強いですね。
 14世紀初頭から窪谷(くぼたん)の名は見られるので、遅くてもこの頃
 には神社が勧請されていると想定するのが妥当。ただ六所としては
 徐々に勧請しているかもしれない。
 六所の内容は不明だが、薬師との関連を見れば祇園や熊野を含む
 だろうし、松上げと関連づければ愛宕を含むことになります。


神宮寺   牛王山勝願寺(馬頭観音)

 現在も六所神社と寄り添うように観音堂として存在します。
 縁起では大同元年(808)年の創建を伝えますが、
 ご本尊の様式をみると14世紀の作。
 窪谷の地名の出現と合致します。
 くぼたんの成立は鎌倉時代後半から南北朝時代初頭(1250~1320)
 くらいに位置付けられるかな。牛王山を名乗るところを見れば熊野や
 祇園との関連性を見過ごすわけにはいきません。
 また、小浜という都市(港町)が発展していくのと時期が同じであり、
 これまでの飯盛修験の拠点であった飯盛寺や中名田地区田村より、
 南川を遡って最も小浜から通いやすい拠点となっていくことが想定
 されます。これには、飯盛寺の関与が想定され、勝願寺を新しい
 飯盛修験道の拠点として開発したのではないでしょうか。
 南川流域の密教寺院の別当は、いずれも同谷系の谷田寺や妙楽寺
 であるのに、ここだけが飯盛寺別当であることがキーポイントとなります。
 
 しかし・・・
 勝ちを願う寺って・・・
 この名前だけでも曲者です。
 南北朝の争乱と関係あるのでしょうか???

飯盛護持院   醫王山隣慶院(薬師如来)
        香梅庵(薬師如来)


 いずれも、16世紀中~後半の創建を伝えます。
 ちなみに上記の神宮寺勝願寺は、この頃に織田信長に焼き打ち
 された伝承をもっています。文献では現れないので真偽は不明
 ですが、強い権力をもっていたため政治的に迫害された歴史を
 伝えているのでしょう。
 
 あるいは!信長の焼き討ちにあった比叡山や、その他の寺院から
 流れてきた山岳信仰者が開山したことを示しているかも・・・。

 このように飯盛山修験の本拠として発展していく中で、天台宗の
 護持院として隣慶院が、真言宗の護持院として香梅庵が成立する
 と考えられます。
 ともにご本尊は薬師如来。飯盛山登拝の飯盛寺や田村薬師など
 がいずれも薬師を本尊とするところにも飯盛寺との関連が深くみ
 られます。
 また香梅庵跡地からは多田ヶ岳が遥拝でき、多田修験との複合
 により繁栄していくことも念頭におかなければいけません。
 江戸時代に入ると、隣慶院、香梅庵ともに曹洞宗興禅寺末に改宗
 されます。これは、徳川家による修験道法度の制定、寺請制度の
 確定によります。
 家康は、より在家に近く経済まで担う山伏の掌握をするために、
 当山派と本山派に分けてしまい、山から離してしまいます。
 また、在家山伏を掌握するために一つの寺への帰属を位置付けて
 しまうのです。
 これにより山にいる山伏から、里におりて加持祈祷を行う山伏へと
 変化していきます。地域には当然継続した信仰者はいたでしょうが、
 「職」として港町小浜には数十名の祈祷山伏が出てくるようになります。

 このような中、くぼたんを含め、南川流域の近隣既存の密教、修験
 道関係寺院は、曹洞宗興禅寺末寺院として再編成されていくのです。
 再編成されないものは、地域の御堂(地蔵堂、薬師堂、観音堂)とし
 ての道を歩みます。
 これにより、山に入っての修行というものは廃れ、御堂ご祈祷という
 信仰に変化していきます。
 くぼたんの場合、六所権現と勝願寺観音堂をよりどころに、
 地域山伏は続いていったことでしょう。
 もちろん、隣慶院や香梅庵も密教や修験道の影響をすべて払しょくして、
 禅宗寺院として生き残ったとも考えられません。


くぼたん人は、山の民であることには変わりなく、戦後まで主要産業は
林業であり炭焼きでした。
ただ、もうひとつ。江戸時代のくぼたんの産業は「たばこ」です。
たばこは戦国時代末にポルトガルから移入されたものですが、
当初は薬として位置付けられ、山伏によって広まったということも言われます。
陀羅尼助丸などと同じですね。
これの栽培がなぜ「くぼたん」なのか。
ここにも山伏の影が見えます。江戸時代以降といえば、各地で行者講
が流行します。町山伏の布教により地域で講を組んで大峯へお参りす
るのですが、なぜか信仰厚いくぼたんには残っていない。
なぜ??やはり、飯盛山を起点として一人一人に信仰心があり、
大峯とも密接に関係していたからではないでしょうか?

もうひとつ、近代に入り飯盛山稜線で硅石採掘が始まるのですが、
これも山伏と山師の流れからきているのでしょう。
歴史上、鉱山にくわしくなる山伏の出現は必ずあります。

ただ、くぼたん人自体も、山の民から里の民へと移行していきます。
山の経済力を活かし、奥くぼたんから口くぼたんへと勢力を伸ばし、
水田耕作への転嫁が出てくるのです。この中で、香梅庵檀家が口
くぼたんへと移っているのが興味のあるところです。

明治に入り、くぼたんの社寺に大きな転機が訪れます。
いわずと知れた「神仏分離令」による廃仏毀釈です。
そして「修験道廃止令」です。六所権現にあったであろう本地の仏像
は廃棄されたと伝えます。
また、香梅庵は本寺の興禅寺と合寺してしまいます。
おそらく香梅庵の檀家自体が修験道と山離れが強かったのでしょう。
ただ、ご本尊は薬師堂に新たに祀られ、静かに信仰されていくことと
なるのです。
ここで、くぼたんと山伏の歴史は分断されています。

ここを調べることこそ、今の若峰講の一つの源流を探ることになるのでしょう。

もうひとつ、
今のうちに山の地名や山の伝承・伝説をまとめておく必要があります。
ここに歴史が間違いなく眠っています。

一昨年から、飯盛山登拝道を調べ始めているのですがなかなか・・・
休みは忙しいし、一人でできるものでもないですから。
熊もダニも怖いしね(+o+)

前記事の松上げ。
今も薬師にお参りすることを考えれば、六所権現、勝願寺、香梅庵と深く
関係しながら、江戸時代には行われていたかもしれません。

当初、会場自体が奥くぼたんだった可能性さえあります。

いずれにしても、山に根差し、山伏として生きてきたくぼたん。
その源流は随所にみられます。
今でこそ、絶滅危惧種である山伏ですが、
今から500年前~150年前には当たり前として地域に根差していたのです。

そして、その前の源流も小浜にはあるのです。
吉野、熊野、奈良、京都、若狭という深いかかわりの中で。

そして消えかけた歴史は若峯講によって継承されています。

歴史は完全に分断はされませんね(*^^)v

アクセス分析


大峯書き込みが多くなり・・・
知らない人が見れば宗教チックかもしれない(笑)
(そんなことはないのですが・・・)

こんなマニアなブログはアクセス数減るのだろうな?
と思い、本当に久しぶりにアクセス解析をしたらなぜか逆に伸びている。

たしかに地方の歴史まちづくりのことより
ブログなどネット情報があふれる中
よりマニアなネタの方に受容があるのだろう。

地方ブログなので県内アクセスが多いように思われますが
やはり、東京、大阪、京都からのアクセスが圧倒的に多い。

コアな歴史ネタや山伏ネタを入れると圧倒的に東京アクセスが増える。

う~ん、東京一極集中。
でも若狭小浜の情報発信を外へ向けて!がスタートだったから
いいことにしよう!!

地元では、匿名とはいうものの、正体がばれ始めているので、
そろそろタイトル変更して他に移ろうか(;一_一)

こんな内容のないブログに1日50~100アクセス。
情報があふれる時代でもありますが、責任は大きいです。

情報発信だけでなく、自分のスキルアップやモチベーション維持が実は一番かな。

大峯の行場


さあ、入峰1カ月前となりました。

なかなか大峯のお誘いに乗ってくれる人が少なく、
意気消沈的な若狭坊です。
すばらしい祭礼の中心でおみこしが担げるのですが。

「1回、洞川から上がったしいいや」

が結構多かったりします。

「若狭の男 一度は大峯詣り」
の名のとおり、まあ1回行けばいいかな?はよくわかります。

でも、
蓮華奉献という壮大な行事に参加し、奥駈道を吉野から山上へ。

75なびき

洞川上りとは異次元です。
まだまだ間に合います。
七十五靡を一緒にたどりましょう。

さて、初めてお越しの方を新客といいますが・・・
新客には道中、吉野水分神社や金峯神社でありがたい修行があります。

そして山上近くになると表行場から裏行場まで盛りだくさんです。

行場マップ

いい体験ができますよ。
若狭坊は表行場の「西の覗」
裏行場の「平等岩」はもう結構(笑)

でも、いざあたると高所恐怖症の若狭坊でも平気でした。

先達さんに任せれば怖いものありません。
色々詳しく説明をしたいところですが・・・
楽しみを取ってはいけませんからここまでに(笑)

充実した修行のあとのビールは最高です。
若狭坊も偉そうなこと言っていますが、
実は山上からの下りに入ると、ビール煩悩がムクムクと湧き出してきます。

日頃の生活では味わえない体験をどうぞ!


奉仕の喜び、趣味の喜び


週末の朝は、今シーズンのアユ解禁☆
今年のスタートは雨と霧の朝でした。

みなみさん

でも県外ナンバーがバンバン来ていました。
地元より多いですね。
ちょっとさみしいです。

土曜日はおとなりのおじいさんの法事。
もう十三回忌か・・・
早いものです。
個人を偲び、飲み語らう。
田舎のモットーです。

とっても気さくな方だったな★
それと、ビデオや写真が好きな方で、
くぼたんの記録を沢山残された。
大切なムラの宝となっています。

日曜日は・・・
朝から道路脇の草刈り。
終わってからは
竹の新葉のアーチをくぐり・・・

たけさん

林道の整備と河川源流の整備。
自分たちで出来ることは自分たちで。
その後は、酒をのんでの大懇親会。
田舎のモットーです。

いずれも都会の方にすれば億劫なのでしょうが、
小浜の町中でも少なくなっているでしょうが、
地域コミュニティの根幹です。

それぞれが地域貢献している。

夜は少しだけ「くぼたんの歌」のCD印刷のデザイン検討。

歌まである区はなかなかないだろう!
自慢の一つです

CDジャケットに使う写真を検索していたら5年前の
馬頭観音さまのご開帳時の写真発見。

kaityoukinen.jpg

このとき法弓作法の助法をさせていただいた。

houkyu.jpg

ついこの間のような気がする・・・

しかし・・・
毎年同じ行事をこなし、先逝された方々の法事をこなしていると

歳をとるのが早いな。
いまだからこそ・・・
色々やらんとあかんな☆

奉仕の心は忘れずに地域貢献。
でも、そこから自分の楽しみも見つけなければ
「酒」だけでは体こわすからね(笑)

ケガレているかな?


さあ週末だ!
でも何か疲れている若狭坊です。

本日土曜日は、お隣さんの法事。
明日は、区の奉仕作業です。

ハレの場でお酒も出るので元気になるかな?(笑)


さて・・・

最近、公共のトイレでよく見かける張り紙。

DSC_1332.jpg

☑ 気分が沈む、ゆううつな気分
□ 以前楽しめていたことが楽しめない
☑ ねむれない、寝つきが悪い、朝早く目がさめる

お~っ!3つ中、2つのチェック(>_<)

「ケガレ」ですな

「ケガレ(穢れ)」というと、不潔、不浄なものとして考えられがち。
古く日本では差別の対象にもなった・・・

でも、

民俗学では「ケガレ」=「気枯れ」という風に置き換えます。

「ハレ」と「ケ」という言葉があります。
「ハレ」は公式的な場の非日常。
「ケ」は日常。

「ケガレ」は日常の内面の元気がなくなっていくこと。
だから「気枯れ」。
「ハレ」の場で、神仏に接し、仲間と語り、美味いもの食べて飲んでもとに戻る。

「ケ(気)」をもとに戻す。
「元気」になる。なのです。

なにもない週末で、体を休めようとゴロゴロしていたら
「ケガレ」から病気を引き起こすのだろうな☆

毎週末「ハレ」があるというのはいいことです。

そしてもうすぐ年に1度の「ハレ」
大峯入峰修行です。

1年の気回り(運気)で考えれば、若狭坊は5月~6月が最も「ケガレ」のシーズン。

1ヶ月後には、最もハイテンションな若狭坊がご覧いただけます(*^^)v


なので・・・
もちろん、備え付けの「心の相談カード」は持って帰っていません(笑)

プチ読書


まだまだ日々飲み会(笑)

口名田会、某実行委員会の飲み会と連続した朝です。

でも、深酒しないよう速攻で帰っています。
めずらしいことです(*^^)v


さて・・・

東京出張が多くなると新書が増えていきます。
東京着は必ずちょっと早めに設定して丸の内の丸善に行ってしまいます。

昔は八重洲ブックセンターでしたが・・・

帰りの新幹線用に本を仕入れるのと、自分の執筆本があるかどうか
確認してしまうのです(^v^)

でも新書買うものの帰りは結局読まない(笑)

で、軽い飲み会の後はイエの風呂でゆっくり読書となります。


この間買った新書。

DSC_1321.jpg

左は蓮華入峯でお世話になっている前金峯山寺宗務総長の田中利典師の著書。
本当にわかりやすく記述されていて、修験道の入門書としては最高傑作です。

改めて勉強させていただきました。


右の本は新刊でランキング上位にあり、タイトルと帯の紹介に惹かれたが・・・

失敗でした(笑)

「地形で解ける」
今までの歴史学を批判的に「地形」に焦点を絞っていますが
目新しいことがなかった。

歴史学と地理学のコラボは当たり前で、研究者とすると結構普通の本だった。
一般的に教科書の歴史になれた一般の方は、歴史ってきらいだろうけど。
このように文献や地理や気候やさまざまなもので推論を練るのが
実は歴史学の本当の面白み。

歴史に身近な地理から興味をひきつけるということには共感します。

歴史を近いものにする。
歴史ってむずかしいけど、身近な地形から昔のことがわかるんだな!
という気づきを紹介されているのはいいですね。
一般的に楽しむのはいい本です。


新書は・・・
やはり、なかなか接しない分野のものを買うに限ります。

知っているものは・・・
尊敬される人の著書だと共感する。
でも、自分の知識を満足させてもらえないものだとがっかりする。

やっぱり風呂読書は、なにげない紀行文やマンガに限るかな(笑)

もっぱら珍重しているのは「鬼平犯科帳」と「藤枝梅安」なのです(*^^)v

鯖街道プチウォーク


最近は朝ウォークの多田ヶ岳(若狭の龍)の写真が多かったので

今日は対面の飯盛の峯の夕暮れ。

DSC_1323.jpg

ありがたや☆
龍が登っていました。
不吉でなければいいが・・・
吉とみて南無南無。


週末休となった若狭坊。

毎週何かしら予定があります。
前職の方が、完全水曜休ではなかったけど自分時間あったな・・・

水曜登山ができなくなり、山に登れていません(>_<)

時間がない・・・と言いながら、山に登れる人がうらやましい。



ということで・・・

わずかな時間を割いて、日本遺産の若狭街道を歩きました。

お隣の若狭町の天徳寺から仮屋までの旧街道です。

まずは街道沿いの十善の森古墳を南無南無。

DSC_1314.jpg

古くは街道を行く大王や半島の人々が、この古墳を眺めたのだろう。
中国製の鏡や半島系の冠や履、轡などが出土している。

いまは街道松が新たに植えられ景観も意識している。

少し歩くと・・・

DSC_1315.jpg

花崗岩製の「若狭道」の道しるべ。

いくつかの遺物が、いまも現位置を保っています。

街道沿いには、大木と地蔵堂、神社参道の常夜灯がセットになっていたりします。

DSC_1316.jpg

住んでいると当たり前なのですが・・・
歩くと旧街道の遺産はいっぱい発見できます。

暇をみつけて、歩かないと・・・
1時間強のウォーキングでしたがリフレッシュできました。
雑念はいっぱいありましたが(;一_一)

なにはともあれ、歴史の発見は「歩くこと」に始まります♪

代参講

梅雨前のいい天気が続きます。

DSC_1327.jpg

ちょっと朝ウォークの距離と時間を伸ばし始めました。

DSC_1326.jpg

肉離れからちょうど1カ月。

早く治ったつもりでしたが・・・
無理をするといろいろなところに痛みが出ます。

ふくらはぎをかばって変な歩き方をしているのか?
やはり怪我した左足を右足でカバーしていたのか?

少しきつい運動をするとひざ裏や股関節にきます。
筋力が落ちているくらいならいいが・・・
まだ、強い運動するとふくらはぎにも違和感がある。

大峯まで1カ月なのに。
いいリハビリに心掛けないといけません。

さて・・・

今朝の新聞。

DSC_1329.jpg

親しみあるお隣の地区の伝統行事の話題です。

伊勢講(代参)の話題です。
前年に選んだ伊勢の代参者の報告を聞いて飲み
次の代参者を選ぶというコミュニティ行事です。

数年前からの市内の調査で、信仰系の講が意外とたくさん残っていること。
残っているものの変化が著しく、近年消滅していることがわかった。

代参は江戸時代以来の伝統ですよね。
市内でも、伊勢をはじめ、愛宕や熊野、大峯などが残っています。

コミュニティの結束が深い時代。
簡単に旅行に行けないので、信仰をもとに人々が集まり
旅行積み立てをして、大社寺におまいりする資金を集めました。

生業がある中、みんなは行けません。
代表者を選び、お参りいただくのです。
何せ10日から1カ月の旅ですから。

講では、そのお参り報告オモシロ話を楽しみにしています。
今でも、旅行の武勇伝や失敗を酒のアテにすることは多いですね(笑)
江戸時代でいえば東海道中膝栗毛みたいなもの。
長期旅行の楽しい話なのです。

今でいえば代表で海外旅行者を選ぶようなものですね。
イエを空ける代表者の生業はコミュニティのみんなが助けました。
もちろん、代参者は積立金で、多くのおみやげを買ってきます。

だから、講はかなりの資金と結束力が必要です。
講資金は、貸し付けなどの金融業も営み、資金を運用しました。

代表、助け合い、資金運用、おみやげ、おすそわけなどの伝統・・・
飲み語らう(笑)
これからの地域主体のまちづくりの根本が「講」に見えます。

講が行われている中名田地区ではボランティア団体を結成しています。
地域の行事であったり、地域整備であったり、福祉であったり・・・
オレンジ帽子をかぶって、楽しみながら助け合い、飲み語らう。
これも「講」です☆
大切に守ってほしいですね。

さて、ここの伊勢講の特徴は代参者を選ぶのに
扇子にくじを乗せて振り落し
落ちた人が代参者になることです。

おもしろいですね。

扇子は、もともとは「扇」ですから、末広がりでめでたいもの。
古くから贈答の品としても用いられました。

そして正式な場の和服にはつきものですね。
紋付き袴には必ず扇子を持ちます。
歌舞伎や落語でも必ず持っています。

めでたい扇で、正式な講の場ということで持ち合わせた扇子を使ったのか?
飲み語らうだけでなく、儀式として注目されます。

それに
中名田には扇子が付き物だったかもしれない。
和紙の産地ですから。
扇子職人もいたんじゃないかな??
竹林が手入れできないままの時代。
産業として「扇子」や「うちわ」というのも面白いな☆

田村薬師のご朱印なんか入っていたら購入するな(笑)

また、扇子は結界としても使います。

正装で正座をしてあいさつをするときに、扇子は前に置きます。
自分の世界と、他人や神仏の世界とを区分けします。

結界なのです。

ここから見れば、神の結界から落とされたものを選ぶというのも一理です。

ひらひらと扇子を動かすのは、神の乗り物として意識しているかも。
正月、山の神が若葉(ゆずり葉)に乗って舞い降りるように・・・。
依り代なのです。

フォーマルな場の扇子なのか?
神との結界、神の依り代としての扇子なのか??

色々なことが考えられて面白いです。

くわしい行事内容は、リンクさせてもらっている

中名田ブログ係

をご参照ください。

プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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