蓮華会と蛙飛び


さて、私たち若峰講が毎年出仕する「金峯山寺の蓮華会」についてご紹介します。

奈良県吉野山の「金峯山寺の蓮華会」は、毎年7月7日早朝に、
大和高田市の「奥田の蓮池の蓮取り行事」に始まります。
古くは6月9日に行われていたようです。
この奥田の蓮池は、開祖役行者の産湯に使われたといわれています。

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子どもたちが小さい時から七夕には不在にしている若狭坊です((+_+))
小さいとき子どもの短冊の願い事に、「パパがお山から無事帰ります
ように」と書いてあったことが、嬉しく、懐かしく思い出されます。

この蓮の花を、吉野山一山の僧侶が蓮を迎え、金峯山寺蔵王堂に
その蓮を供え蓮華会を執り行ないます。
この行事に際し、若峰講員は蓮華を供えた蓮華宝輿と蓮華桶を
担い入堂します。

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翌日には、8日に大峯奥駈道の沿いにある「靡」と呼ばれる拝所に
蓮を供えながら、全国の修験者や体験参加者とともに山上ヶ岳・
大峯山寺まで蓮を運びます。

7日、行列を組み上堂し、蔵王権現さまに蓮を献花、法会の後、
蛙を人間に変える修法「蛙飛び」の儀式が堂前で行われます。

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蛙とび行事は、『昔、金峯山へ登っていた男が修験の法を侮辱
したところ、大鷲にさらわれて断崖絶壁上に置き去りとされて
身動きがとれなくなったのを、通りがかりの修験者が男を蛙の
姿に変えて救出し、蔵王権現さまの法力によってもとの姿に戻
した』という伝説を行事にしたもので、日本三大奇祭にも例えら
れる珍しい行事です。

この行事は、室町時代の記録『当山年中行事条々』(竹林院所蔵)
の6月の項に「同(六月)九日、禅衆ノ役ニテ、蓮華ノ迎ニ下向。
往古ハ奥田ニテ延年在之、近年者丈六堂マテ下向シ、蓮華ヲ蔵
王堂奉入、其夜験競アリ、番張等堂家方役」の記事があります。

江戸時代の、正徳3年(1713)成立の『滑稽雑談』や文化12(1815)
年頃からまとめられた『大和國高取領風俗問状答』にも奥田から
蓮を運び、蔵王堂に供え、その後「蛙とび」の行法のあった記録が
残っている伝統行事です。
明治時代の神仏分離令や修験道廃止令により若干の中断は
あったようですが、室町時代から今日までほぼ連綿と続けられて
いる行事です。

大峯奥駈道の道沿いの拝所に蓮を供える行為は、山の神に花を
供える古風な山への信仰形態が認められます。
また、蛙が山伏達の験力でめでたく元の人間の姿にかえるという
「蛙飛び」は、修験者の護法の験競べです。祭の日に地域住民を
寺内に招き入れ演劇的要素で楽しく、そして修験者の力を知らし
めるという行事かもしれません。
「蓮華会」は古式にのっとり、「蛙飛び」は演芸的要素が強い。
若狭坊が住む奥窪谷の六斎念仏もそうですが、伝統的信仰要素
に楽しむ要素を組み込んでいくというのが民俗行事の発展形じゃ
ないかな?と思っています。でも突拍子もないことをしているので
はなく、しっかりとした伝承を背景に実施しています。まったく意
味がないわけではないですから。

それに、吉野では蛙が地霊を示す動物とされ、蓮華会が行われ
る日に吉野山では各家々で「柿の葉寿司」を作り食されていたと
いいます。
季節、旬の変わり目を大切にする日本人の心が、この行事には
あります。

よく、大峯詣りに行く!というと、洞川から2~3時間かけて山上
詣りするという一般的な講の集団参詣や代詣を考えがちですが、
蓮華会への参加は別物。

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普通には体験できない大峯一山を舞台とした壮大な歴史的行事への出仕です。

だから…世俗では体験できないものがあります。

参加表明、待っています!!
 
若狭以外の方。
8日の入峰は一般参加を本山で受け付けています。
そちらで。
7日の法会と蛙飛びは翌日の入峰に思いを馳せて見学してくださいませ。

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蓮華奉献入峯@若峰講の行程です

今日もいい天気☆

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南無南無☆


さて、この間、先達会議が終了しましたので本年の入峰案内です。

【大峯山(蓮華奉献入峯)参拝のご案内】

 大峰山一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場でありました。
道場としての大峰山は、単独の山を指すものではなく吉野から熊野へ続く
長い山脈全体を意味し、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つ
「大峯奥駆道」として知られます。その中でも山上ヶ岳の頂上近くには
修験道の根本道場である大峯山寺(山上蔵王堂)があり、山全体を聖域
として現在も女人禁制の伝統が守られています。
 7月7日に吉野では、金峯山寺の蓮華会(蛙とび行事)が盛大に行われ、
翌日は吉野から山上までの蓮華奉献入峯が行われ、拝所に蓮華をお供
えしながら登拝します(奈良県無形民俗文化財)。
 若峰講は毎年この行事に参加し、蓮華宝輿(御輿)を奉納する大役を
担います。
 六根清浄を唱え、古代からの自然の世界、南北朝の盛衰史などを偲び
ながら、世俗を離れ密教の中の練行はまたとない機会です。
この機会に一人でも多くの人が参拝登山に参加されますようお勧めします。

7月7日(火)
5:00~   貸切バスで参加者ピックアップ
         (小浜市内~上中駅各地)
11:00    吉野山着(各自昼食)
13:00    本坊にて着替え
         (ケーブル駅に御輿おろす)
15:00    蓮華会行列(御輿・蓮華奉献)
15:30    蔵王堂にて法会・蛙とび行事
16:30    採灯大護摩供
17:30    夕食
19:00    櫻本坊ご本尊前にて道中安全護摩供
21:00    入浴・就寝
  宿泊: 奈良県吉野町吉野山1269  
        大峯山護持院 櫻本坊

7月8日(水)
3:00   起床・朝食
4:00   出立
      登拝道中練行・約24km・約11時間
15:00  大峯山寺(山上蔵王堂着)着
     本堂勤行・採灯大護摩供
17:00  下山
19:00  洞川温泉着
19:30  精進落とし懇親会
  宿泊:奈良県天川村洞川257 
        光緑園西清旅館

7月9日(木)
8:00  洞川温泉発

関西各地名所見学

17:00頃 小浜着

経費:
    概算45,000円(初日に集金後、最終日に精算して残額を返金します)
携行品:
    白地下足袋、登山に適した服、リュックサック、米(五合)、
    雨具(カッパ、ポンチョ)、数珠、水筒など
    ※ 白地下足袋、白衣、数珠などは吉野でも購入可能。
      飲料は水筒持参ではなくペットボトルが多くなっています

7月7日、8日は行です。終始先達の指示に従っていただきます。


ということで、参加表明お待ちしております。
コメント者に連絡先をつけていただければ、こちらからご連絡差し上げます。
つらい修行ですが、新しい発見もたくさんあると思います。

宗教としての強制的な勧誘などまったくないので(笑)
人生に一度の体験としてどうぞ。

内容などは過去ログ

カテゴリ⇒若狭坊の大峯修行

を参考にしてくださいませ。


リハビリ


まだ週末3連チャン飲みの不摂生が響いている若狭坊です。

さて、肉離れから3週間。
ようやく普通にしていても痛みが消えたので
リハビリ朝ウォークを再開しました。

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ひさしぶりに多田大明神に南無南無です。

まだ、ウォークというよりお散歩です。
大きく息を吸い、小鳥たちのさえずりを聞き、登る太陽を待つ。

5月中は様子をみて、6月からは7月の蓮華入峯の前行としてガシガシ歩こうとおもっています。

リハビリは大切ですからね。
山中で再発したら大変ですから。

さて、
おしゃべりもリハビリです。

先週、市内の重鎮メンバーの前で話しして撃沈でしたので
今日は職場対象に午前、午後の二本立て。

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リハビリのつもりがリハビリにもならず撃沈です。
知ってる人ばかりの前での話は一番まとまりがないものになります((+_+))

夜は、いつもお世話になっている某会社で意見交換の懇親会。

これもリハビリどころではなく飲みすぎになりました(+o+)

体は大切にしないと・・・
四捨五入で50歳ですからね(笑)

慌ただしい週末でした


週末の疲れが残っている月曜の朝です(+o+)

金曜日は、東京日帰り。

なぜか仙台牛タンラーメンをかき込み

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向かったのは・・・

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2年ぶりですね。
また、頻繁に通う仕事となりました。

急いで帰って・・・

マーメイドJazzフェスの打ち上げ@はまかぜプラザ

ちょっと遅れての参加でしたが

飲めや歌えの大騒ぎ。

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気がつくと夜が明けている((+_+))
片づけを少しして、急いで帰る(笑)

少しだけ仮眠して若杯者の田んぼへ

恒例??(2年目だけど)の焼き鯖を差し入れ。

家に帰ってひとっ風呂あびて、夜は若峯講の先達会議。

今年の行程などを検討後、また飲む(笑)

帰って即寝して・・・

日曜日は自警団の区内点検。
そして・・・昼からバーベキュー(笑)

日が暮れる頃に、帰ってきて、家でイノシシ肉のバーベキュー。

早起きしてお片づけしてブログ更新です(*^^)v

さあ、1週間がはじまるよ☆♪

登山・修行・生業


まもなく若峰講の大峯修行です。

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毎年、7月7日~9日まで、吉野金峯山寺の蓮華奉献入峯に出仕します。

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23日に先達世話人会議が予定されています。
終了後に、本年の行程などもご紹介したいと思います。
多くの方に体験いただきたいので。

若狭坊は何回目だ?11回目かな??の予定です。
30代半ばから行っています。

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若峰講は若狭国の小浜市域と
若狭町旧上中域のメンバーで構成される、いわゆる行者講です。

でも、ただお参りするだけでなく、
「蓮華奉献入峯」という大きな行事の構成員となります。

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小さな区に沢山の行者講がありますが、若狭を代表する行者講なのです。
地区の行者講にも所属し、若峰講にも出仕する方がたくさんあります。

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若狭坊が住むくぼたんの人が多い若峰講。
若い時から誘われていたのですが、ヒラリ、ヒラリとかわしていました(笑)

なんでかって??
だってしんどいやん(笑)
山登りって。

それに信仰って面倒やし(笑)

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ということで敬遠していたのですが

『紀伊山地の霊場と参詣道』が世界遺産となり、
「どうしても一度はいってみたい!」
地域の先輩も父も再三誘うし、まあ1回体験してみよう!

そんな他愛もない考えで参加し、今に至っています。

いまや正月みたいなもんで、若狭坊の生活に欠かせないものとなりました。
本当にシンドイのに、なぜ行くのか?
この辺りは、修験道に目覚めた記事として、今までいくつか紹介しています。

取っ掛かりは、レクレーション登山とスポーツ登山の間くらいでスタートしたのです。

登山とは?何でしょう??
散歩の延長としてのレクレーション登山が、隆盛しています。
有酸素運動・新陳代謝・森林浴みたいな感じかな。

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そこから極みを目指す人はスポーツとしての山岳競技に移行します。
今のレクレーション登山が中高年に多いことを考えると、
そこから甘い考えで競技的に挑んでいくという悪い構図になっています。

昔は、山岳部とかワンダーフォーゲルとか学生登山が主体だったのにね。

登山と違う目的で山に入るものには、2つあります。

1つは生業。
狩猟採集であったり、鉱山開発であったり、測量であったり、林業であったり、薬もそうかな。

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もう1つが修行というものになるのでしょう。

若狭坊はおそらくまだ100%修行ではない。
山に入っているときには修行だけど前後の目的にはレクレーション要素が多い。
体力確認って面でスポーツ要素も持つ。

山に入り修行すると無心に近くなるが、心地よい風や新緑に癒されることもある。
いわゆる森林浴要素ですね。
でも修験として言い換えれば、自然と一体となり自然から力をいただく。
きびしい修行に耐えることは持久スポーツの面をもつ。
修験で言い換えれば、体を極限に追い込み「無」になり悟りを開く。

修験者として験力を身につけようと今は思っていない。
昔からの日本人らしい考えや気持ちを持ちたいと思うだけ。
ということは深い宗教的なものでもない。
たぶん修行が足りないのでしょうが。
でも、ここが在家を認める修験道の一つの特徴だと思っています。

若狭坊は登山が趣味になりました。
ただ、レクレーション登山ではありません。
常に恐ろしい神仏の領域に許可を得て入り、
力をいただくという心をもつようになりました。

これだけでも進歩なのでしょう。

でも、最初は軽い気持ちでもいいのです。来てください(笑)
楽しい仲間と、新しい境地を開く旅行となること間違いなし!
若狭坊が先達としてご案内します。

若狭小浜の方はぜひ若峰講へ。

全国の方は、一般修行として体験できますので金峯山寺のHPを参考にしてください。

日本遺産「御食国若狭と鯖街道」Vol.5


日本遺産最終シリーズです
4番目のカテゴリーは・・・

若狭の浦々に続く鯖街道
 ―都の祭りや伝統を守り伝える集落―

鯖街道の起点には、当然のように交流の遺産が多いのですが
海岸部、農村部にもその影響は波及していまして、
祭礼や伝統にその色を残しています。

なによりも、京都ですでに廃れた文化が色濃く残るというのが
すばらしいところ。

食を生み出す日本らしい原風景の中に、祈りの場所である
神社仏閣が数多く残り、集落と一体となっている。

民俗文化財の宝庫と例えられる、祈りの聖地なのです。

たとえば

王の舞

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平安時代の京都の祭礼には王の舞が出ていますが、今は残らない。
でも、若狭には密集して残る。

和久里壬生狂言

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もちろん京都壬生寺から伝わったものだが、京都ですでに演じられなく
なった演目が登場する。

六斎念仏

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いまでも各集落に残り、独自の発展をとげている。

松上げ

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鯖街道の一つは、京都愛宕から若狭小浜への道。
この道沿いに「松上げの道」と例えられるほど集中している。

地蔵盆

生活の一つとなり辻々に地蔵が祭られ、子どもと大人のコミュニティ
形成の大きな要素となっている。

数え始めればきりがありません。

また、「鯖街道・御食国」という食を支えた技術も伝承されている。
鯖のなれずしなんかは、その典型です。

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日本の歴史上、ほとんど政権都市であった京都との交流から生まれた
文化が息づく町。

それが日本遺産

「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群」
  ―御食国若狭と鯖街道―


です。

まあ、全国探してもここにしかない日本を代表する歴史ストーリーが
あるまちなのです。

「マーメイドJazzフェス」笑顔で終了


大きなイベントが終了しました

マーメイドJazzフェスティバル
~若狭のうみおと~


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半年以上前から有志で企画してきたイベント。

心配された天候もなんとか回復し
肌寒い中、多くのみなさまの支えのもと無事に終えることができました
本当に素晴らしい仲間に感謝です☆

若狭坊は京都までメインのフラプラさんをお迎え。
ほとんどのプログラムを見ることができませんでした。

アゼリアさんのビックバンドの迫力を少しだけ体感させていただき、
メインまでの幕間のタヒチアンダンサーのオープニングを
少しだけお手伝い♪

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決して、きむにぃはダンサーのお尻をさわろうとしているわけではありません(笑)

竹あかりキャンドルもよかった。

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子どもたちとワークショップでつくりました。
でも、きむにぃとあこちゃんにほとんどお世話になりました。

絶対何かでお返しするからね☆

しかしメインのフラプラは圧巻でした。
片づけ終了後、再び京都までお送りしましたが、
とても楽しい方々。

小浜も好きになっていただきました♪

深夜1時、京都着。
帰ってきて2時間ほど仮眠して
朝から、片づけ。

その後は少年野球の応援。
残念ながら決勝で敗退してしまいました。

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まあ、次につながります。

すべてが笑顔で次につながります。

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日本遺産「御食国若狭と鯖街道」Vol.4


さて、またまたちょっと空きましたが
3番目のカテゴリーのご紹介です。

3.針畑越え 
  ―最古の鯖街道の歴史的景観―

小浜と京都をつなぐ最短で最古のルート。
沿線にはさまざまな伝承と神社仏閣が並びます。

若狭街道から南に折れ遠敷谷を行くルート。

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その交差点は遠敷の町並みがすばらしい景観で残っています。
正直、熊川宿には負けていません。

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「かぼちゃ(カンボジア?)街道」
「わに(和邇?)街道」なんていう意味深な土地名も伝えています。
港だけでなく街道拠点として交易の場だったんです。

最古は若狭国府に直結した町。
そこから街道交差の要衝として栄えるとともに
一宮の門前としても栄えます。

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遠敷市庭は、中世には若狭の経済の大きな一翼を担っていました。

そこから南進すると若狭彦姫、神宮寺、白石神社などの由緒ある寺社。
針畑越えの峠道には、若狭彦の降臨を示すゴザ岩なんかがあったりする。

お水送りを仕切る秦氏の伝説や、良弁和尚生誕伝説、八百比丘尼の伝承など
古代の我が国を知る上で面白いです。

いわば海外と都をつなぐキーを若狭が握っているのです。

お水送り・・・

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まさにそうだと思います。
謎を含みつつ、面白い鯖街道ルートです。
もちろん、御食国としての成立とも関わるのでしょうね。

海幸山幸の伝説、聖なる水、これらは「食」の根源で。
不老不死の八百比丘尼伝説がある。
遠敷は小丹生で、「水銀朱」は不死の薬とされた歴史もありますから。

さて、今日はジャズの一日だぞ♪♪

戸開けする日


春です・・・というか
台風一過して、もう初夏ですね☆

各地の霊山は戸開式を終えたところが多いです。

すでに三月に行われているところもあります。
大峯の戸開式は毎年5月3日と決まっています。
卯月8日に開く山も結構あります。

一般の山でも「山開き」ってありますよね☆

冬閉じていた山を開け、山の神を里に迎えるのです。
そして、ようやく山に入ることができるようになります。

富士山なんかは、江戸時代だと毎年6月1日の戸開けで
江戸の人々は、近くの富士塚に登拝したといいます。

若狭坊はケガのため、まだ多田にも登拝できていません(>_<)

さて、山開きもそうですが、小浜は海に開かれていた地。

現在ある御食国若狭おばま食文化館が海に向かって門型をしているのも、さまざまな文化を受け入れてきたことを誇りに思い、それを継承する!という理念から生まれています。

その食文化館横に新たな交流広場「海のガーデン」がオープンします。

土曜日はオープニング

マーメイドJazzフェスティバル

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たくさんのアーティストが集結します。

実行委員のみんなが練ってきたすばらしいイベントが、海の扉を新たに開けます。

「音」があふれる若狭小浜を目指して。

「音」は人の心を豊かにします。

いつの時代も元気な都市には、音があふれていた歴史があります。

若狭坊は裏方の裏方で、イベントの大半を見ることができませんが(笑)

楽しみです。

ビックイベントです。

食ブースやクラフトマーケットもあります。

16日(土)はぜひ若狭小浜の海のガーデンにお越しください☆♪

むかわり


肉離れから10日。
普通に歩けるようにはなりましたが
いまだに左足のふくらはぎ内に違和感がある若狭坊です。

リハビリはいつから始めたらいいんだろう??
変な歩き方していたせいだろうか・・・
足首や股関節にも違和感が出つつある((+_+))

さて、週末は・・・

好天のもと、くぼたん米舞倶楽部の田植えでした。
耕作放棄地をみんなで解消して稲穂舞う郷づくりをしようと始めた。
もう何年になるんだろう??

地域の土、地域の水に育まれたうまい米を食べるためには
働かないと(笑)

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だんだん耕作面積も増加し、生産組合でもいいような気もしてきたが・・・
ここが「くぼたんスタイル」

いいんです。
地元で消費する分を仲間で楽しく作って。
呑めれば(笑)

日曜日は・・・

祖母のむかわり

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早いもので、もう1年です。

仏さんのお膳です。

法事におまいりいただいた方々のお膳は料理屋さんにたのみましたが。
仏さんにまつっているような伝承料理も大皿でありました。

昼酒は酔います(笑)
夕方から区対抗ソフトボールの打ち上げに少し合流して呑み(笑)
くぼたん米舞倶楽部の田植え祭で呑み(笑)

即寝して朝を迎えています(笑)

朝ウォークを肉離れ休み中なので・・・

風呂に入ってスカッとするか!(^^)!

日本遺産「御食国若狭と鯖街道」Vol.3


さて、ちょっと空きましたが
2番目のカテゴリーのご紹介です。


鯖街道の起点 
    ―湊町・小浜の賑わい―

鯖街道は若狭から京都へ向けてのルートですが、
元来、若狭国中心地で、中心的な港と市場があったのは若狭小浜。

この小浜には、鯖街道を媒介としたさまざまな遺産があります。

海外や日本海側との「海の道」の結節点。
都とつながる「陸の道」の結節点です。

いつの時代も往来により新しい文化を取り入れ、日本の先進地でした。

海外との交易、日本海沿岸交易、都の文化。
日本の歴史を時代ごとに面白いストーリーで表現できます。

たとえば、文献上、我が国に初めて像がきた港としても知られます。
でもこれは面白ストーリーであって・・・

実は室町時代のこの舶来品満載の海外大船が難破するのですが
わずか1年で新造される。
このような大船を造るドックがあるような日本を代表する湊町だったりする。

まあ、海に囲まれた日本ならではの国際都市だったのです。

室町時代の早くに、6月祭として祇園祭礼のようなものが
行われているような都市だったりする。
その名残を示す祭礼が今も数多く伝世している。

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羽賀寺は奥州日本将軍の安倍氏と深いかかわりがあったりする。
日本海交易が生んだ交流です。

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戦国期には「泉州堺か若州小浜か」と例えられるような大都市となり
江戸時代以降も、その都市としての機能を守り伝え
今も湊町風情を残す町並みをつたえる。

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そのような都市だからこそ、豪商が伝えた「組屋盆」から若狭塗が派生したり

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京都壬生寺の壬生狂言が残っていたりする。

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街道は交流の場。

その接点にある若狭小浜の文化財は、
すべて交流を切り口にストーリーが組み立てられます。

若狭の社寺群なんかも、まさに交流が生みだした遺産です。

この交流を柱に、「新たな交流の場」として
日本遺産の名のもと、若狭小浜は国際都市として再出発します。

GW満願肉離れ


天気に恵まれたGWでしたね。

若狭坊はお参りのGWでした。


5月2日☆
米舞倶楽部のこなし田&草刈りでしたが・・・
すでにお参り予定を入れていたため、早朝から成相山へ!

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お参りの方は、やや少なめ。
少しだけ天橋立を望みボーっとしてから・・・

青葉山松尾寺。

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若狭おばま周辺で年忌に塔婆供養にお参りする風習があります。
本尊馬頭さまと青葉神社を南無南無し・・・

青葉山を越えて中山寺さまにお参りしました。
ご住職不在でしたが、番外にご朱印いただきました。

午後からは、完成した海のガーデンの散水作業。
天気いいから。オープニング前に芝枯らしたら大変ですからね(*^^)v


5月3日☆

少年野球の一日練習へ行く。
途中で抜け、あれこれしていると・・・

ピギッ・・・

バットで左ふくらはぎを殴られる感覚・・・

やっちまったね。肉離れです。
1週間前から違和感があったのですが・・・

しばらく安静、運動なしですね。
肝心の大峯までに完治させなくてはいけないので。


5月4日☆

テーピングをほどこし安静。
でも安静でも呑める(笑)

足を引きづり、弟の家で甥っ子の初節句を祝う。

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近くに赤ちゃんがいるは本当にいい♪
笑顔が絶えず、なごやかになりますから。


5月5日☆

満を持して、西国三十三番の谷汲山へ満願結願のお参り。

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精進落としの鯉をナデナデして、足を引きづり階段を下りる。

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まだ安静にせんとあかんのに(笑)
でも・・・回復早いな・・・
しばらく歩けんかな?くらいの重傷だったのに。

そしてそのまま、本当に久しぶりの家族サービス旅。

信州です。

でもまずは善光寺お礼参りです(笑)

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絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来像の前立さまが7年に1回のご開帳中♪
すごい人です。
回向柱に並ぶ人の列が進まないので、
先に家族で満願のお礼を外陣から。

お参りが終わりご朱印をいただこうとしたら

「約2時間待ちです」・・・((+_+))

結局、納経軸をお預けし、家族は門前ショッピング。
若狭坊は代表で回向柱の列にならび、内陣も参拝させていただきました。

前立本尊と無事に結縁です。

あとは、美味いもの食って、温泉入って、子どもたちの行きたいところ付き合って、

遠くの常念岳と燕岳を「のぼりてェ~」と眺め・・・

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若狭坊のGWは終わりましたとさっ。

さて、足動かしすぎ!!
しばらく安静です。

山で再発したら大変だからね☆

高齢化率

今・・・

全国の地方都市が人口減少問題に直面している。
本当の地方創生が求められている。

小浜の高齢化率(65歳以上人口の割合)は30%を超えた。

最近まで4人に1人という割合だったのが、3人に1人の時代です。
子どもを産む世代も減少する。
高齢者はまだ増加傾向。
高齢化率はまだ上昇していきます。

小浜でも私のすむ口名田地区は、お隣の中名田地区、旧市街地の小浜地区
についで高齢化率が高く、35%を超えています。

住みよいところなのに・・・
それを、どんどんPRしなければいけない。
誇りある、活気ある口名田を創造しなければいけない。

わたしの住む、くぼたんは実は高齢化率が低い。
子育て世代が外に出ず、活気のある地域として知られている。

くぼたんモデルを、口名田へ・・・そして小浜へ発展させられないだろうか?

地域循環型で楽しく集い、楽しく語る。
地域で若者も子どもも育てる。
自主性も芽生える。
中高年も元気な若者から力を与えられる。

ふと思った。
(本当はいつも思っているが!(^^)!)

まあ、分析より行動だな☆

日本遺産「御食国若狭と鯖街道」Vol.2

いい天気でGW突入ですね。
29日は少年野球からの中学PTA役員懇親会と、いい休日を過ごしました。

先生方や中学時代の野球部の後輩たちと楽しいお酒でしたよ。

昨日は木曜会@太郎
メインはお好み焼きと焼きそばでしたが・・・

酒のアテのメインはこれ☆

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赤ひも
知る人ぞ知る・・・雑魚です(笑)
グジもカレイもサバもいいけど、これが地域に根差した「食」
なかなか食べられる店はないと思いますよ。

さて、
日本遺産ご紹介しましょう。

最初のカテゴリーは
若狭街道 ―御食国若狭の原点と鯖街道のメインルート―


小浜から畿内を結ぶ公式ルートは、小浜⇒若狭町三宅⇒熊川⇒今津
あるいは熊川⇒朽木⇒京都
というもの。

小浜から県境の熊川まで御食国若狭と鯖街道を示す遺産が点在しています。

若狭は古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれます。
膳臣一族の奥都城とされる脇袋古墳群をはじめとする大規模古墳群が、この街道沿いに点在しています。

上中古墳

古くから大陸半島との交流があったことが出土品からわかります。
半島と畿内を往来する街道沿いにあるのが注目されますね。

その後「御贄」や「御調塩」を都に貢納する御食国のひとつとなり、
海産物や若狭湾岸で生産された大量の塩が、若狭国府のあった小浜から運ばれた道なのです。

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若狭は古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれ、
「御贄」や「御調塩」を都に貢納する御食国のひとつでした。
膳臣一族の奥都城とされる脇袋古墳群をはじめとする古墳群は
近江国との国境に源流を持つ北川沿いに築かれており、
北川沿いに開発された若狭街道では、古墳群に囲まれるように
都との往来が脈々と行われています。

そしてこの道は、軍事上も大きな役割を果たしており、
戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、
この街道から越前朝倉攻めに向かったことで知られます。

後の天下人たちが意気揚々と通った出世街道ともいえる道です。

街道往還の要となったのは熊川宿。

熊川宿(若狭街道)

江戸時代には一日千頭の牛馬が通ったといいます。
また、鯖の旬や豊漁時、京都や近江で鯖が大量に求められる祇園祭などの時期には大渋滞だったようです。

その熊川には町並みだけでなく

立派な住宅建造物や

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京都との交流を示すお祭り

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食の国ならでは
奈良県の吉野よりも良質とされた葛生産

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などなど、交流や食文化をしめす遺産が眠っているのです。

都に食を供給していた若狭。
その原点から繁栄までをたどることのできる遺産群です。

ストーリーを構成する文化遺産は
岡津製塩遺跡、若狭街道(中身いろいろ)、上中古墳群、熊川宿(中身いろいろ)、
三宅の火見櫓、瓜割の滝となっています。

清らかな水。
食を生み出す原点。

若狭は水の国です。

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プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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