春のイベント


まちづくりって、やっぱり繋がりが大切☆

人とのつながりによって、自分一人では出来ない新しいものが見えてくる。
意欲のある人と行動を共にすると「自分もがんばろう!」になる。

春の若狭おばまも元気です。

仲間たちの取り組みを紹介☆

hesiko.jpg

へしこ博士の「へしこ講座」

四季彩館で小浜を代表する発酵食品の体験ができます。
観光局の市民幹事会のみなさまとは、さまざまな繋がり。
お申し込みは、おばま観光局まで!


ekoeko.jpg

ecoeco自然楽校

おとなの火遊びを含む自然体験です☆

楽しまないと活動は始まりませ~ん。
森林の森PR館で3月23日行われます。


DSC_0284.jpg

日本未来農業のかたち

小浜にはたくさんの若手農業者がいらっしゃいます。
東北の大震災で繋がれた絆をもとに食文化館で物産展行います。
4月13日(日)食文化館マリンデッキにて行います。
新鮮な野菜をお買い求めくださいませ。


DSC_0209.jpg

おやじたちのトワイライトコンサート@食文化館

素敵な音楽と夕日☆
5月17日(土)です。



若狭坊につながりのある人。
みんな頑張っています。


そうそう・・・
3月21日~23日は「おばま落語まつり」

1613967_1402103666705610_727268919_n.jpg


若狭坊チケット持っています。
お届けしますからお声掛けください☆

月亭八方師匠もいらっしゃいます。


スポンサーサイト

テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

比叡山一日回峰

2週間ぶりの休日だ!!

以前から、大阪の「弘法大師の道」シンポの参加を検討していたのですが結局申し込まなかった(^_^;)

ということで天気もいいし・・・「山」でしょ(笑)

永三坊さんからいただいたDVDに触発され・・・
いざ!!急きょ!!! 比叡山へ・・・

若狭神宮寺「お水送り」の前行です。
さらには昨年から続く「七高山」制覇の一環(^^)
やっぱり北嶺修験を歩まないと日本の仏教は語れない。
法然、親鸞、道元、日蓮、栄西と名だたる僧を輩出しているから。


8:30 日枝神社駐車場

小浜にも数多くある日吉・日枝・山王の総鎮守さま。
お参りは最後にしよう!

今日は、比叡山で著名な千日回峰行コースを行きます。
昨年天に召された酒井雄哉大阿闍梨も歩んだ道。
若狭坊が幼き時に「NHK特集」で『何か』を感じた道です。
比叡山お参りは何度もありますが、この道を辿りたかった。
ようやく念願が叶います。

比叡山の千日回峰行は、無動寺を拠点に比叡山ゆかりの拝所を回る約30㎞の山中行。
7年の間に1000日の行をするのですが、5年、700日の回峰と堂での四無行後は、京都市内まで足を運ぶ京都大回りとなります。1日で60㎞から84㎞の行程。超人ですよね。
このため行者は白装束。行ができないときは持参する死出紐・剣で自害しなければならない。

私も1日だけですが覚悟をもって行じます。

本日のナビゲーター☆ スマホの「山と高原地図」アプリ。

1393219776260.jpg

昨年から日帰りハイクで利用します。
アルプスなどに行く時はシッカリ地図やコンパス持参ですが。
このアプリはGPSで位置確認しながら地図標記されるので便利です。
難点はバッテリーでしょうが、万一に備えて行動食とともに予備バッテリーを持ちます。

低山・里に近い山といって安心してはいけません。
神仏がおわす山ですから。

日吉神社から南に進み・・・

8:40 無動寺坂入口をスタート

DSC_0261.jpg

9:00 紀貫之墓の分岐
急ぐ旅路なのでお参りは分岐点から南無南無・・・

DSC_0262.jpg

9:45~ 無動寺明王堂で南無南無

DSC_0265.jpg

千日回峰行の拠点でございます。
お堂の横には、北嶺修験・千日回峰の開祖である相応和尚さまの像がありました。

10:25~ 東塔で南無南無。
根本中堂でしばし勤行です。

DSC_0268.jpg

堂前凍結でコケかけた(笑)

10:50 阿弥陀堂

DSC_0270.jpg

勤行後に、堂と塔の間を抜けて西塔へ向かいます。
山頂に興味のない若狭坊は大比叡をスルー(笑)

11:05 西塔。

DSC_0273.jpg

写真はにない堂です。
天秤棒みたいでしょ。弁慶が担いだらしい(^^ゞ
堂の間を抜けて下ると、すぐ釈迦堂があります。南無南無。

西塔を後に峰道を行く。
素敵な尾根道ですがドライブウェイで所々分断されています。

DSC_0276.jpg

積雪はあるけれど、要所は除雪されている。
すごいことです。
気温が高く、融雪に足をとられ、結構疲れます(*_*)

11:45 玉体杉

DSC_0277.jpg


御所に向かい天皇の息災を願う玉体加持が行われる神聖な場所です。
少し場を外して、ゴミ拾い後に昼食にさせていただきました。

12:20~ 横川中堂

DSC_0278.jpg

しばし観音さま、お不動さま、毘沙門さまを南無南無。

さあ、下山。
清明谷を天台真盛宗本山の西教寺に向かおうかと思いましたが・・・

ここはやはり無動寺回峰コースをということで。

霊山の峰、三石岳・神倉山・神宮寺山を右に置き、

13:25 日吉神社上の八王子山着。

DSC_0280.jpg

日吉神社の奥宮でございます。
すばらしい磐座に向かい、右が牛尾さま。左が三宮さま。


13:50~ 日吉神社で満行の報告で南無南無。

DSC_0282.jpg

東宮から白山宮、宇佐宮、西宮とご挨拶です。

DSC_0283.jpg


いい山行となりました。

今年は伏見稲荷に続く2回目の京都山行となりました。

下山後にメール確認すると防災通知でPM2.5注意喚起が・・・
「屋外での激しい運動は控えましょう」って・・・
まあいいか(笑)

次回は鞍馬寺⇒貴船神社⇒奥院⇒貴船山⇒叡山電鉄で鞍馬戻りの予定です。
(いつになるか分からんけど・・・)
山と社寺、そして与謝野鉄幹晶子ゆかりの品と冬柏亭を見学予定。

若狭坊に近い「山の神仏」と「山川登美子」を感じる山行です☆
お楽しみとしておこう!!

本日のトータル行程。5時間強で15㎞。冬鈍りだな(T_T)/~~~


テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

若狭の社寺の由緒

社寺には縁起というものがあります。
開祖であったり、いわれであったり、変遷であったり。


社寺の威光を示すものなので、誇張されることがほとんどでしょう。
武士の家系図は必ず○○天皇から何代となるし、一般の旧家であっても武士や貴族の出を名乗ったりするのは100%信用はできないものです。

でも、そこから「真」を見つけ出すのも歴史を学ぶ者に必要なことなのです。


若狭小浜のお寺の開祖を縁起や文書から見てみましょう。

神宮寺 和同7年(714) 泰澄の弟子滑元・和朝臣赤麿
羽賀寺 霊亀2年(716) 元正天皇勅願
妙楽寺 養老3年(719) 行基が彫像
    延暦16年(797)空海が再興
谷田寺 養老5年(721) 泰澄
多田寺 天平勝宝1年(749) 孝謙天皇勅願・勝行上人
明通寺 大同1年(806) 坂上田村麻呂
極楽寺(現萬徳寺) 不明【天台宗⇒真言宗】
遠松寺(現円照寺) 不明【天台宗⇒臨済宗】
椿林寺(現飯盛寺) 不明【天台?⇒真言宗】

今年、若狭神宮寺が開基1300年を行いますが、以後続々と1300年ですね(^_^;)

① 考古学上の成果
いずれも平安期の仏像を持っていますが、奈良期まで遡ろうとすると、遺跡が調査された神宮寺のみになります。

② 開祖の考察
結構別れています。越前に行けば泰澄なのでしょうが・・・。
泰澄の存在を全否定はできませんが、中世以降に白山信仰を受け入れていく中での位置づけでしょうか?

妙楽寺は行基から弘法大師という王道を行っていますね。小浜の中では古くからの真言なので。空海の修行経路や渡航を考えれば全否定はできませんが。

明通寺は坂上田村麻呂。近隣にはいくつかの田村麻呂伝説があります。小浜ではやや後発する寺院なので、少なからず関係はあったのでしょうか?

これらはほとんどメジャーな高僧。

特筆されるのは若狭神宮寺と多田寺ですよね☆

神宮寺は何故泰澄ではなくて弟子の滑元なんだろう。
国史では赤麿なのだろう??
神宮寺には周辺地域もあわせ、和朝臣や秦氏との関係が随所に伝説として残ります。
若狭彦神は白馬にまたがる渡来人の姿に表されます。

多田寺は多田ヶ岳で役行者が修行した伝説があり修験根本を名乗った寺院なのに、なぜ役行者じゃないのだろう?
ちなみに多田寺の勝行上人は、同時期に東大寺僧として名が見られます。


多田ヶ岳山麓に早くから開かれた

「多太神社と多太寺」「若狭彦神社と神願寺」

2つの系列が若狭の古代をひも解くキーであることが縁起だけでも判ります。

でも、2寺とも東大寺との関係がみられる。
お水送りの歴史は、若狭神宮寺だけでなく、多田寺との関係も無視できないのです。


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

女性を崇める

久々の長文。
山伏論ですので興味のない方はスルーしてくださいね(笑)




昨年末から市内の「山の口」や「山の神」を取材してきた若狭坊です。

いまでもほとんどが女人禁制を守っています。

山そのものが女神であり、嫉妬深い女神に女性を近づけないというのが定説です。
山の神が荒ぶって、風水害や干ばつをもたらさないように。


一方、女人禁制を解いている伝統行事も多くあります。
放生祭なんかもそうだし、若狭坊のいるくぼたんの六斎念仏なんかもそう。
子供不足という大前提に解かれているように思われがちですが、実は歴史の流れからいえば自然な流れ。
これらの行事は、江戸時代以降の封建的長子(男子)優遇から生まれているものだから。
日本の長い年月の中で、神仏に近い女性を改めて認めつつある流れなのだと思います。

日本では古くから女性を神に近い人としていました。
卑弥呼もそうだし、巫女やイタコもそう☆
小浜の祭礼でも1つ物として女性の子どもが神の使いとして重要な位置を占めていることが多いのです。王の舞や手杵祭なんかがそうです。だから日本の伝統では女性を大切に崇めています。



若狭坊は修験者。

女人禁制といえば大峯山の女人結界が有名です。

洞川結界

多くの修験の山、霊山が開かれてきた中、今も女人禁制を守っているのが大峯山系の山上ヶ岳周辺です。
でも、開かれた霊山は、明治の神仏分離の中で信仰に蓋がなされ、信仰が薄れる中で自然に開かれたというのが主な流れでしょう。
もちろん議論されて開かれた山もありますが・・・。
大峯山は、数多くの役講により、いまも大切に連綿と信仰されているからこそ、女人禁制は続いています。

紀伊山地の霊場と参詣道が世界文化遺産となる時、三本山(醍醐寺・聖護院・金峯山寺)でも女性に山を開く議論が起こっていました。
それとほぼ併行して男尊女卑の典型としてジェンダー論者による開山運動が起こりました。
彼(彼女)らは、禁制という現実の中で論を展開し、強引に入山しようとした結果、大峯の神仏を敬う関西役講や洞川の住人たちと亀裂を生み、女人禁制は今も続いて(守られて)います。
修験寺院や信仰者による前向きな議論も閉ざされました。

kinseikanban.jpg


若狭坊は今回のテーマにあるように女性を崇めています。これが日本の伝統ですから。
「神様・仏様・稲尾(バース)様」という言葉がありましたが
若狭坊は「神様・仏様・奥さま」です(^_^;)

大峯山の女人禁制は、外圧により「解かれる」ものではありません。
信仰する者によって真摯に議論されて「解かれる」ものです。

金峯山寺の信者の半数は女性で、わたしたちも吉野に行けば多くの女性山伏に出会います。
若狭坊が所属する若峰講の現在を創りあげられたのも文野大阿闍梨という女性でした。

行者の中で、いままで女性を蔑視する人を見たことはありません。

だから、修験道を守るものから開山論が出てくれば、山はおのずと開かれるのでしょう。


でも、冒頭の山の神の話にもあるように、「女性が山に入ってはいけない」は、女性と自然を奉る日本の伝統でもあるのです。「そこに山があるから自由でしょ」ではないのです。

もっともらしく、神道・仏教の面からの「ケガレ」を問題視して論破する方もいらっしゃいますが、修験の中ではほとんど見受けられません。
もっとも、神仏習合の一時代として、宗教上の「ケガレ」による女性差別はあったでしょうが、修験道の根本にある自然信仰は、女性を敬うものです。

少なくとも、男尊女卑を旗頭にするだけで、自然を崇め・敬い・恐れる心のない人には山には入ってもらいたくない。これは軽蔑ではなく、あえて女神に対して信仰者が言う日本の教訓です。

2000年以上(いやもっとか?)続いてきた日本の心と、江戸時代以降の男尊女卑が混同し歴史解釈を行うと、このような議論が噴出してしまうのでしょう。どうしても水掛け論になってしまいます。


明治以降、数多くの女人禁制の霊山・修験道の山が信仰者ではない男性や女性に開かれてきました。
いろいろな人が山を楽しむことができるというのはとてもいいことです。
自然の中に身を置くことで人は力をいただけます。
登山を愛する人たちは、わたしは日本人らしい修験道の心をもっていると思っています。
でも、山の神仏を恐れない登山者が多いのも事実です。
女人禁制を解くことが良かったかどうかは数百年後に評価されるものだと思います。
恐ろしい山が開かれた結果、山に神仏を恐れる修行信仰心が薄れ、山は荒れ、多くの命も失われてきましたから。

女性が自然を感得できる場所もあり。
男性は深山で自然(神仏)を感得する。

大峯の場合、稲村ヶ岳という山が女性に開かれています。
高野山が女人禁制の時には、室生寺が女人高野として隆盛しました。
現代の電車に見られる女性専用車両のようなものだと思います。

決して女性信仰者に対して山を排除していない。

「山の女神が荒ぶらないように」という伝統は、恐ろしい山に入ってはいけないという女性を敬う心であり、「女性が山に入ってはいけない」という強い縛りではないのも事実です。
それが守られているのが大峯であり、小浜のような日本文化が浸透する小さなコミュニティでは、年末年始の「山の口」という期間で今も守られているのです。


ジェンダー的に端的な歴史や世界的流れを強行的に論じられると身を引きます。
「女人禁制」は言葉でいえば「女性差別」でしょうが、決して「男尊女卑」ではないので。

山を愛し恐れ、そこに神仏を感じるのが日本人。
男女の区別なく、心があれば、山は迎え入れてくれる。

精神的にも体力的にも男女平等が進み、「女性を敬う」という心の必要性がなくなれば、信仰心を根本として、いずれ大峯も開かれることになるかもしれません。

若狭坊は長い歴史の中で、これを否定する気はまったくありません。
男尊女卑論者でもありません(^_^;)
ジェンダーフリー論を否定もしません。
ただ、「女性を敬う」という日本らしい心が無くなるのも悲しく思います。
山が開かれても、男性先達で女性を敬って山修行できればいいなと・・・。
でも、それが修行になるのかどうか?
修験道という文化の妨げにはなるのでしょう。

「男女パーティーのやわらかい山を愛する修行」が出来る山はいくらでもあります。
多くの女性に山の自然(神仏)を感得してもらいたい。


今は「大峯山」を開く時期でないのは間違いないでしょう。

ただ、どの山であっても、神仏が感じられる山が荒れていくのだけは許すことはできません。
だからこそ、山を愛し、恐れ、山の神仏に対する深い信仰を心に刻んでいこうと思っています。

そのような中に、今の大峯女人禁制が「教訓」として生きている意味があると思っています。


ネットで大峯や女人禁制を検索すると、恐ろしいくらいの端的論点がたくさんみえます。
強行登山当初の頃は、炎上しているブログも多くあります(^_^;)

若狭坊はそれらを肯定も否定もするつもりはありません。
ジェンダーフリー論と伝統文化論は真摯に話し合いをしなければいけません。
伝統文化は長い時間の中で常に変化しているものですから。

どうしても書きたくなった・・・
端的論点で申し訳ないですが・・・

今は間違いなく女人禁制を守るべき。と個人的に思っています。
でも、信者として可能性も考えないといけない。
公的な場を信仰だけで往来拒否することのできる法律など日本にはないから。
「信仰」は自由のみだが、「個人の権利」となれば法的重みは格段にある。
「位置づけ」に問題があるなら、「位置づけ」を明確にしないといけない。

そのような中から、日本の信仰というものを切実に見つめ直すことも必要なのです。

炎上しないことを切に願います(笑)
まぁ、旬を過ぎてしまっていますが・・・
あくまでも信仰者・歴史を研究するもの・日本文化に誇りを持つものとしての個人見解なので。

そして、若狭坊は大峯が女性に開かれることを願う一人でもあるのです。

議論を進めていくべきなのでしょう。
若狭坊にはこれ以上の知識はないので、気分を害した方には深謝させていただきます。


テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

まもなくお水送り☆

立春も過ぎ、雨水も過ぎ、三寒四温の季節なりました。

ということで、若狭に春を告げる「お水送り」も一週間前。

DSC_0257.jpg


行者の一員として若峯講から出仕する若狭坊は若干?(^_^;)精進潔斎しています。

お水送りの紹介や考察については以前にいくつかブログで紹介しています。

その1つ ↓

「お水送りを考える」2013.2.26


まあ・・・勝手なこと書いているのでお気になさらずに(^_^;)


本年の行程だけご紹介しておきます。



平成26年(2014)3月2日(日)

11:00~  山八神事(下根来八幡宮)
五穀豊穣・天下太平などを祈る。
もともとはお水送りを取り仕切る下根来区の講行事。
お水送りと同日にあり、神宮寺が別当を勤めるで一連のお水送りの最初の行事と現在では位置付けられています。
この行事は一般見学は不可です。

13:00~ 修二会(神宮寺本堂)
諸仏諸神を勧請して法華経転読。
一般見学不可です。

13:30~ 奉納弓射(神宮寺前庭)
魔を祓います。
小浜市弓道協会の皆様の奉納弓射大会です。

18:00~ 修二会・達陀(神宮寺本堂)
薬師悔過が修法されます。若狭坊も入堂させていただきます。
大松明が捧げられる達陀があります。

19:00~ 採灯大護摩(神宮寺前庭)
行者衆の大護摩。飯道山行者、若州修験道、若峯講が修法。

19:30~ 松明行列
大松明、中松明を先頭に、参詣者のみなさまも大護摩の火を受け、手松明で「鵜の瀬」に向かいます。

20:00すぎ 大護摩(鵜の瀬)
下根来井太夫神主の四方祓いの後、それぞれの参拝者の松明を焚き上げます。

20:30すぎ 送水神事
鵜の瀬対岸から、神宮寺住職が送水文を読み上げ、宝剣により九字を切って香水を送水します。


マイカーの方
小浜市竜前の企業団地からシャトルバスが運行されますのでご利用ください。
神宮寺から鵜の瀬周辺は交通規制があります。駐車場もございません。

公共交通機関の方
JR小浜駅からは、17:30~18:00の間にシャトルバスが随時発車します。
お帰りも、交通規制解除後の21:30頃から復路のバスがあります。


若狭坊は出仕しております。行中なので愛想を振りまくことはできませんがお声掛けくださいね(^_^)/~

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

KISUMOの鯖おでん

本日☆

食文化館において満を持して

若狭おばま「鯖おでん」

DSC_0245.jpg

お披露目されました。

鯖おでん五か条☆

DSC_0247.jpg

「鯖」は言わずと知れた小浜ブランド。
鯖街道の起点ですから。
京都にいけば「小浜は鯖ですね」といわれる。

特徴は福井県立大学開発(特別醸造)の「鯖しょうゆ」を使っていること。
それに昔にサバ漁で隆盛した巾着網漁から「鯖きんちゃく」が入っている。
もちろん具は地元食材ベースの地産地消。


開発は小浜の意欲あるまちづくりビトが結集した「KISUMO小浜」さん。

KI(来たい)・SU(住みたい)・MO(戻りたい)をコンセプトに小浜の新しいまちづくりを考える人たちです。


若狭坊に年齢が近い小浜を愛する熱~い面々☆

1392788322630.jpg



だしはトマトベースの「情熱の赤」と
昆布ベースのい「癒しの白」の二種類♫♪

DSC_0252.jpg


アドバイザーは料理研究家の若林三弥子さんです。

それぞれ主張があって美味しいですよ~~。

新しい小浜名物になってほしいですね☆


4月から以下の店舗でいただいてもらえるようになるそう。

DSC_0248.jpg


小浜の食のまちづくりを彩るブランドがまた一つ。


情熱の赤はワイン片手に!
癒しの白はもちろん日本酒で!!!

ぜひお試しください


テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

今年は和久里壬生狂言

今年は午年。

ということは子の年と午の年に行われる七年祭☆

「和久里壬生狂言」

DSC_0244.jpg

南北朝時代造立の宝篋印塔 通称「市の塔」の七年供養会の奉納です。


icitouson.jpg

ちなみに和久里壬生狂言は国選択無形民俗文化財☆
市の塔は福井県指定文化財。

塔は江戸時代初期には小浜の東西市場町の守護としてあったため「市塔」といわれ、その頃から能が奉納されていたようです。

その後、同じ小浜の永三小路前市場に移り、京都狂言師の上演も度々あったようです。

明治の動乱や神仏分離など、さまざまな波の中、元あったであろう由緒地である和久里の地に帰った市の塔。

明治時代になり八幡神社前の狂言師から伝習したのが今の壬生狂言といわれます。


戦時や水害などで一時期衰退したのですが昭和53年に復活奉納があり現在に至っています。


国立劇場や御本家の壬生寺でも上演されたほど由緒あるもの。

042.jpg

なんといっても本家の京都壬生狂言にない(元はあった)演目である「狐釣り」「座頭の川渡り」なんていうものも伝習されています。


六年に一度!!

お見逃しなく!!!


今年は4月11日(金)、12日(土)、13日(日)の3日間の上演です。


昔ながらの掛け小屋もステキですよ☆


テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

若狭の語り部☆祝!20周年


昨日は口名田地区青壮年会のボウリング大会の慰労で飲み過ぎた若狭坊です。

ボウリングしてへんのに(笑)


さて、食文化館別館の「お食事処 濱の四季」

現在、毎年恒例のふるさと料理バイキングを行っています。

DSC_0241.jpg

この間、西相生の山の口での伝承料理がすばらしい!とご紹介しましたが・・・

ぬたとか和えものとか煮物とか、小浜の食材を使った伝統的な料理をお楽しみいただけます。

おじさんになると、このような料理が本当にごちそうです(笑)


日本の食文化に危機感が持たれている現在。

できれば若い奥さま方や子どもたちにも楽しんでいただきたいものです。

でも、カレーや唐揚げなんかもあるから構えないで来て下さいませm(__)m

25日(火)までとなっております。

平日はランチのみ。土日は17:00~19:30の夜の部もあります。

健康的で小浜の文化が詰まった「和食」をぜひお楽しみください。



さて・・・

若狭の観光を担うボランティアガイド

若狭の語り部さん

20周年を迎えられました。

DSC_0243.jpg


活動記録をみると若狭坊も、これだけ行ったっけ?

というくらい研修会などの担当をさせていただいていた。


ますますのご繁栄、ご活躍をお祈りいたします☆


テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

加茂神社のオイケモノ

太平洋側は大雪ですが、しぐれ模様の旧暦正月十六日。

加茂神社のオイケモノ(国選択無形民俗文化財)が行われました。

加茂神社☆

DSC_0212.jpg

複雑な配置をしています。

普通は鳥居の奥に本殿が鎮座しますが・・・

ご神木の大杉がみえて、そこで左に直角に曲がると舞殿(拝殿)と本殿があります。

鳥居から直進した山麓には旧神宮寺である為星寺があり、重文の千手様(秘仏)がいらっしゃる。

150.jpg

ちなみに鳥居から神域外をみると、正面には、こちらも神木であるムクの大木越しに神体山の野木山を遥拝します。

156.jpg

じゃあ本殿はどこ向いている?

と考えた時・・・

本日の場である上宮を向いていることが判ります。

周辺には若狭最大級の石室をもつ加茂古墳などがあり、古代からの信仰の一端が残っているのかな?と想いを馳せてしまいます。


さて、この加茂神社で行われる「オイケモノ」

小正月の年占行事です。


まず、社務所に集まり、新しい木箱に物実といわれる種物を詰めます。

「ところ・栗・椎・干柿・団栗・カヤ・ぎんなん」

DSC_0213.jpg

「牛の舌」という餅でサンドして木箱に入りました。

この木箱と神饌物をもち、まずは本殿前で御幣振りの神事。

その後、隊列をくんで上宮へ向かいます。

途中、大蛇がでるということで弓打ち神事。

DSC_0229.jpg

若狭に多くのこる正月の弓打ちですね☆

隊列はさらに進み、山の入り口の神木前で「おーい」と大声。

神域に入るあいさつ・祓いでしょうか?神迎えでしょうか??


ようやく上宮に到着。

DSC_0233.jpg

御神酒が振る舞われ、花餅が「百万石」という掛け声で播かれます。

神籬・磐境を神座とした社殿のない古い形態。

DSC_0234.jpg

お参りの後、さらに奥の神木へ、もう一度弓打ちをして向かいます。

DSC_0235.jpg

神木下の石室から、昨年埋めた木箱を取り出し、先ほど種物を詰めた新しい箱を替わりに埋納。

DSC_0236.jpg

再び社務所へと帰ります。


社務所へ帰着すると、掘り出した古い箱を開封。

DSC_0240.jpg

芽立ちの具合で一年の豊凶を占うのです。

「今年も豊年豊作間違いなし」

代表の言葉に参拝者全員が安堵します。


おもしろいですよね。

狩猟採取の時代からの神事でしょうか?

江戸時代の社寺由緒記には上宮は山の神と記述されていますから、山の神を祀る行事なのでしょうか?山の神を降臨させる豊作行事かもしれません。

弓打ちには大蛇(龍神)信仰も見られます。
また、正月の邪気払いの弓打ちでもあるでしょう。


場所にしても行事にしても色々なものを含んでいる行事です。


でも、それは変わったものではなく、いずれも正月に行う日本人らしいもの。


ただ、全国的に見ても本当に珍しい行事。


大切に守り伝えていただきたいと思いました。


でも・・・寒かった・・・(^_^;)

お参りの方々は今頃「直会」でしょう・・・

うらやましい(笑)

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

気になるライン


お水送りに向けた「鵜の瀬講」での神宮寺ご住職のお話。

お水送りを行う遠敷川の別名は古くから「音無川」

実は、熊野本宮の旧社地である大斎原辺りの熊野川に注ぐ支流が「音無川」

不思議ですよね☆


そこで地図をお示ししましょ!

地図


若狭小浜と熊野が一直線に繋がる。

この線上に、東大寺お水取りと若狭の関係と類似する東大寺創建に関わる金峯山や石山寺が存在している。

この線上に若狭の水が湧く伝承がいくつもある。

線上の一番北側の小浜にも熊野の地名がある。

平城京・平安京からみて、北の若狭小浜、南の紀伊山地の霊場。


古代の人は、今の人以上に方位を気にしている。
都を守る北の若狭小浜と南の吉野熊野なのか??

おもしろいですよね。
歴史文化の共通点も、この線上界隈に数多く見られる。
渡来人の軌跡が顕著に見られたりもする。


一般的にこのような現象をレイラインといいます。

江戸と富士山と日光東照宮、伊勢なんかとの関わりが有名です。
江戸時代くらいまでは、都市建設・信仰と方位や位置は切っても切れないものだったのです。

小浜でも小浜城建設時には鬼門と裏鬼門には寺院を創建しています。


日本では見逃しがちなのですが・・・

意外と海外の古代史研究では、このような事例を真剣に取り扱っています。


日本の歴史研究家はソッポを向く事例ですが、信仰や都市成立をみれば切っても切れない深い歴史がここに秘められているのでしょう。

若狭小浜のお水送りと東大寺二月堂のお水取りの根本はここにあるのかもしれませんね。

もしかすると、若峯講が吉野に出仕する根本がここにあるのかもしれませんね。


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

鵜の瀬講


水曜休みは午前中はカット、午後はゴロゴロしている若狭坊です。

もったいない。


昨晩は「鵜の瀬講」

若狭神宮寺のお水送りも近づいてまいりました。


進行は若狭神宮寺ご住職。

出席者は、観光協会、下根来神徒中、井太夫、神宮寺区や遠敷の皆さん。

修験からは、若州修験道と若峯講。

講事務局のKさんと若狭坊が若峯講からの参加です。

会場は若狭神宮寺の桜本坊。

1392107584965.jpg

若狭神宮寺旧二五坊の一つです。

ちなみに若狭坊は遺跡発掘調査を担当した経緯で、得度した場合は「下之坊」の一山住職に推挙いただけるお約束をいただいております(笑)

講はお水送りの昨年の反省を踏まえた運営打ち合わせ。

DSC_0208.jpg

粛々と終了し、4月実施の開山1300年のご報告。

お水送りから4月の献花・献音・献舞までがBSフジの1時間番組になります。

くわしくは、またお知らせいたします。



直会も早く終わったので、くぼたんに帰りKさんのお宅でさらに直会(笑)

遅くまで申し訳ない限りです。



さて・・・

お水送りに向けてそろそろ精進潔斎ですな!


今年は3月2日(日)


奈良東大寺に続く火と水の幽玄なオコナイ。

ぜひ春を迎える若狭おばまにお越しくださいませ。



テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

くぼたんの山の口

早くも目と鼻に花粉症の前兆を感じる若狭坊です。


日曜日は「伝統行事と食」の映像記録と現地調査☆

わが村、くぼたん(奥)の山の口講の調査でした。


御講が始まる前に宿元へお邪魔しました。


床には、山の所有にかかる江戸時代の争論関係を表装した軸。

DSC_0204.jpg

講の根本資料です。

床には鯛や青物のタタキ菜とともにスリモチ。

DSC_0205.jpg

年末からの市内の山の口の調査でのキーがうるち米で作る「シロモチ」や「スリモチ」です。

くぼたんはスリモチの下に小さなカンジキを偲ばせてありました☆

添えられるお箸は栗の木でつくったものです。



講員21名。その内7名が当人として宿、接待、山の神を代参する太夫を出します。

朝の5時頃から宿の結界を解いて、太夫を主に宿元が随行して山の神にお参りします。

DSC_0061.jpg

磐座の前にご神木があり、その前に椿が二本。
椿に注目縄を張ります。

注目縄、御幣、榊を新調準備し、前にある石囲いの炉で藁をくべて神迎え。

というのが一連の代参です。

今回は、ここは調査させていただいていません。

お参りは雪で大変だったようです。



さて、9時から御講が宿で始まります。

乾杯から最後まで日本酒のみです。

これも、伝統行事の根本としてすばらしいこと☆

そして、膳料理。

DSC_0206.jpg

江戸時代も末、嘉永年間の漆椀と平膳。

なますと青和え、煮しめという講行事らしい伝統食です。

くぼたんの神事の特徴料理に「青和え」があります。

小浜でも珍しい風習ですが、青物の豊作を願っているのでしょう。
(仏事などには通常良くある白和えを用いる)



横にはパックがありますが、これらの中身も全部手作り。

タタキごぼう、鯖とネギのぬた、煮豆などなど。

伝統行事の食が仕出しパックに変わり壊滅的状況の中、すばらしい伝承です。

奥さま方のご苦労は大変なものでしょうが、誇りをもって伝えてもらいたいですね。


気になったのは、椀に朱書された「山」と「八」。

「山」は判るにしても「八」は??


山八といえばお水送り前に下根来で行われれる「山八講」(一般的には山八神事という名が通っている)と共通します。

下根来八幡の長床の講行事で、柱に赤土饅頭で「山」と「八」を書くのです。

お水送り前の「山八」は手向山八幡の略ともっともらしく伝わりますが、若狭坊はず~っと??と思っていました。

山の神迎えと五穀豊穣に「山」「八」の手がかりが何かあるのかもしれません・・・


宴も半ば

太夫が代参の報告を講員にします。
おもしろおかしく伝え、講員もするどいツッコミをして笑いに包まれます。

神迎えの言葉
「モノ申す」

山の神
「どぉれ~」とおっしゃりご降臨されるようです。


そして山の神からお土産にいただいた「大盃」が回され謡がでます。

1391911013424.jpg

盃が回り終わると、椀物としてこれも伝統料理「おおびら」の登場☆


市内でもほぼ壊滅的な昔ながらの講行事を今に伝えています。



講行事としても、神饌にしても、膳椀にしても、膳料理にしても、伝統料理にしても・・・


すべてに興味深い行事でした。

住んでいながら知らないことも多いものです。

(若狭坊はくぼたん住でも、口くぼたんなので)


今日の調査。

もちろん知っている方々ばかり。

仕事であったので、進められるお酒を断るのに苦労しました。

いや・・・辛かったです(笑)


テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

小浜の天狗

天狗といえば「鬼」、「やまんば」と並ぶ日本の山の妖怪☆
でも、祭礼などにも登場する山の神としても知られています。
小浜でも祭礼の道化に天狗はよく登場します。



天狗といえば、赤ら顔に鼻高、葉団扇に高下駄。
くちばしがあり羽の生えたカラス天狗もいます。

ただ、今の天狗のほとんどは山伏装束です。

何故なのでしょう??



古代、天狗は中国からの伝承で流星や天の妖怪でした。
それが山の鬼と山を駆け巡る山伏が中世に同化していったのでしょう。


全国には有名な天狗がいっぱいいます。

愛宕山の「太郎坊」
鞍馬山の「鞍馬天狗」
比良山の「次郎坊」
比叡山の「法性坊」などなど。

他にも葛城山・高雄山・英彦山・秋葉山・大山・富士山など枚挙にいとまがない(笑)

いずれも鬼の子孫であったり、山の神であったり、山を治めるものであったり。
修験道との関わりは深いのです。


じゃあ、小浜の天狗は??

伝説ありますよ。

谷田部裏の大黒山に住んでいたようで、谷田部から滝谷の岩場には腰かけ岩伝承があります。
谷田寺には下りてきて住職と囲碁を打ったらしい。

tengu2.gif

天狗の爪跡がついた碁盤が羽賀寺に伝世しています。
山向うの東勢にも天狗の民話が伝わっています。


飯盛山から後瀬山までの峰。
中世にはかなり修験道の峯入が盛んだったのだろうな☆
今も、谷田部や加斗の山上にはいくつかの行者堂が残り、行者講も行われています。

ふるさとの民話の中にも隠れた歴史が存在します。
だいたい歴史から消される事象は、住民によってゆるやかに民話として伝承されます。

いまの歴史研究家はここから真の歴史を読み解くことを大の苦手としています(笑)

伝えられ文化財、隠された歴史の民話。
これらの融合と解明で、新しい日本の歴史は見えます。
教科書も変わるかもしれません・・・

小浜には連合婦人会さんが聞き取り編集した
『ふるさとのえばなし』『続ふるさとのえばなし』
『ふるさとの昔話』『続ふるさとの昔話』
という素晴らしい冊子があります。

また、今年度はこれらを子どもたちへ分かりやすくと言う取り組みで
「デジタル絵本」の編集も市民有志で進んでいます。

天狗伝承☆

山麓に住む若狭坊が修験者であることも一理あるな(笑)


ちなみに若狭坊は「天狗」ではありません(^_^;)

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

立春寒波に美人時計

暦の上では春なのに寒波(T_T)

DSC_0200.jpg

我が家の前は積雪20㎝くらい?かな??

だいたい走り寒波がクリスマスに来て
成人の日前後に寒波が来て
節分頃に寒波が来て
お水送りの頃に戻り寒波が来る。

まあ普通の流れでしょう(^_^;)

こんな日には・・・

1391309756485.jpg

郷土料理の「のっぺい」(おおびら)が合います☆

暖まって春を待ちます。



食文化館ではお雛様出しました~♫

DSC_0203.jpg

我が家も出しました♫

DSC_0201.jpg

差は歴然です(笑)

ただ、娘に対する願いは強いから。
健康に元気におとなの階段を登ってもらえればそれでいい。

お雛様って切れ長の目の平安美人ですよね~。

というか能面もそうだし、江戸美人画もそうだし、日本美人はふっくら切れ長が基本。


今の美人は・・・

美人時計でご確認ください。

現在、3月4日までの17時台の美人時計は小浜バージョンです☆

1700.jpg

もちろん食文化館も登場♫

美人で暖まって春を待ってくださいませ。


テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

国際港湾都市小浜

いい天気ですぅ~の土曜日☆

お昼休みにウォーキングしました。

小浜湾口をパシャリ☆

DSC_0199.jpg

長い年月にわたり多くの人と文化を迎え入れてきた日本の玄関です。


古墳時代。
若狭町域にある首長墓の副葬品から、全国でも特殊な半島との顕著な交流がみられ。

1110unose077.jpg


奈良時代。
太良庄の如意輪半跏像からは仏教を受け入れていたことがわかり。

216.jpg

お水送りと東大寺の関係から、渡来系僧侶が在来信仰と仏教を融合させる過程で大切な地であったことが判り。

yage.jpg


平安時代
多くの宋人たちの来航記録が残り。

鎌倉時代
羽賀寺には渡来の法華経が残り。

212.jpg

室町時代
記録上初めて南蛮から像が渡来した港であり。

yjimageCA2JO218.jpg

若狭守護の武田氏は頻繁に大陸との交易を進めている。

安土桃山時代
小浜の豪商は大船に乗り総合商社として、豊臣秀吉のもと東アジアを駆け巡り

o0150017212734976176.jpg


日本の港といえば泉州堺か若狭小浜かと例えられるくらいの国際都市になった。
大陸半島からも日本の代表的な港として認知されていた。

教科書では日本文化の受け入れは北九州であり、瀬戸内を通じてもたらされることを学ぶ。

でも、実は日本の文化受け入れで若狭湾岸を切り離すことはできない。

時代や専門で切り離されている歴史専門家は、いずれも若狭の重要性を語る。

これをコーディネートするだけで日本史の中での若狭の重要性が見える。

日本の玄関として教科書に載っていいような輝く歴史だ。



近代に入り、両隣の敦賀と舞鶴が軍港・国際港として開かれる中、
取り残された小浜港。

でも・・・

小浜は国際都市として生きていかなければならない。

それほどのステータスを歴史上もち、われわれのDNAにもそれが引き継がれているから。

私が関わる小浜港の「海の駅」構想。

人と文化が交わる国際的な「場」にしたい!
と常々思っている。

常識にとらわれない異空間でいいと…




テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

なんで「鬼も内」?

まもなく節分ですね☆

食文化館の町家は節分のしつらえがされています☆

DSC_0175.jpg

若狭坊の家でも昔はあぶったガヤとイワシを玄関に刺していたなぁ~

いま、どうだろう?
小浜でも大分少なくなってきたのだろうな?

DSC_0176.jpg

小浜では、小判菓子を食べる風習があります。

五升升に豆と小判菓子を入れてから、神棚にそなえ・・・

そこから豆まき&豆と小判を食べます。

豆をたべて無病息災。
小判を食べて商売繁盛。

という感じですね。


小浜の古い節分の風習を見ると・・・

おくどさん(かまど)にガヤをくべて、

害虫などを一式言いながらパチパチ燃やしていたといいます。

また、水に大豆や籾などを入れて、浮き沈みで豊凶占いをしていたそう。

年初めの豊作祈願行事です。



節分も変わっていくものです。

恵方巻きも日本食文化になっていくのだろうし・・・



昨年も一昨年も「節分ネタ」で書いていますが・・・

古く、小浜の府中では「鬼も内」と言っていたそう。

「鬼も内」は、鬼を神仏やその使いとする社寺で、全国でもいくつか言われています。

著名なのは奈良の元興寺や吉野蔵王堂、天河神社など。


小浜の府中には、これらに関連する社寺は現在ない。

でも、このあたりの修験系の信仰の名残りかもしれませんよね。

鬼の宿があって、修験をつかさどる家があったということでしょうか?

修験者の若狭坊はとっても興味あります。



いち早く神仏習合を受け入れた若狭小浜。

古代末からの吉野から熊野の修験を受け入れる中で、政権中枢の府中に浸透したのかもしれない。

若狭と吉野の関係を示す一端かもしれない。

いろいろなところに若峰講が吉野の蓮華入峰に出仕する一端が垣間見えます。




もう1つ「鬼は内」で言われるのは古い商家ではないか?ということ。

稀ですが「鬼」=「大荷」として、商売荷を外に流してはダメダメ。

ということで「鬼は内」という事例があるそう。


小判菓子とも繋がりますが、港と商売で生きた小浜に根付いたのかもしれませんね。

表日本の若狭小浜は、奈良や京都の窓口として、今の横浜や神戸みたいな存在だったのですから。


テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
地域情報
687位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
中部地方
93位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR