平成版若峰講縁起

記録に留めるだけ。

興味ない方はスルーしてくださいね。




小浜・若狭町を拠点とする修験の講。「若狭若峰講」。
なぜ、若狭若峰講中は奈良県指定無形民俗文化財になっている「金峯山寺の蓮華会」
で重要な役目を果たすのか??

蛙飛び行事では御輿を出し、翌日の峰入りでは桜本坊から入る。
一昔前までは、奥田からの蓮運びもしていたようだ。
行事の根本である「蓮華」を守っているのである。


若狭と吉野のつながりは深い。奈良時代の東大寺や大仏創建を例にとれば、吉野金峯山は大仏の金が求められたところ、若狭は遠敷(小丹生)の地名からもメッキの水銀朱(丹)が求められたところによく比定される。
金は結局金峯山では発見できず、近江石山寺で願ったところ陸奥にそれが求められることとなった。
一方、若狭も水銀丹を供出したことは不明であるが、二月堂お水取りの若狭井や遠敷神社からも密接な関係が知られるのは周知の事実である。
なお、お水送りに先立つ山八神事では、いまでも清浄地の土を舐める儀式があり、鉱山師の関与も否定はできない。
ちなみに、飛鳥奈良時代に吉野が政権と密接につながっていたのは史実で明らかであるが、若狭では多田ケ岳で修業し多田寺を開基した僧勝行が、のちに東大寺僧となっているし、若狭神宮寺(当時は神願寺)の奈良時代の瓦は平城宮と同じものを使っているなど、お水送り・お水取りの他にも非常に深い文化信仰の交流の痕跡を示している。
なお、東大寺建立で金が求められた石山寺にも若狭の水が湧く伝承があるし、江戸時代に至っても若狭小浜の水が奈良の秋篠寺前に湧き出したことが井原西鶴の「西鶴諸国はなし」に登場する。

これらの由緒地は、地図上に定規を落として見ると南の熊野吉野、飛鳥、奈良、小浜と一直線につながる。
政権都市奈良を中心に、方位や四神を信仰した当時の人々からみると、南の聖地 熊野吉野、北の聖地 若狭なのである。多田ケ岳山麓に古い社寺がこれほど密集する所以である。

若狭の聖地は多田ケ岳を中心に周辺の山にまで波及し、中世にはその教えを広め修業するために各山麓で山伏が勢力をもつようになる。
飯盛山麓では法海に飯盛寺、窪谷に勝願寺、上田岩井谷に熊野那智神社という拠点が、山頂に磐座がある野木ケ岳周辺の太良庄、野木、宮川地区には多くの社寺の拠点が、上中地域の神谷や天徳寺、箱ケ岳山麓周辺にも拠点が栄える。
これらの地域の人々が、今も若峯講を支えているところに歴史の継続が垣間見られる。
なお、小浜の修験の系譜には、前記の在郷(在家)山伏とは別に、根本多田ケ岳の多田寺を中心に活動したものと、小浜の町に接した神明神社を拠点に活動した町山伏がいた。
江戸時代には四〇名を越える山伏が小浜に住んでいた記録がある。職としても山伏は成立していたのである。現在の小浜のもう一つの講 若州修験道の系譜である。

東寺太良荘関係の文書中には、南北朝時代や室町時代の太良庄山伏の活動が数多くみられる。
このような拠点山伏が、地域への商活動や布教活動を通じて庶民により構成する行者講を作り出し、江戸時代には地域それぞれの行者講が大峰詣りをすることにより「若狭の男は一度は行者詣り」という文化を生んできたのである。

さて、若狭の人たちはいつの頃から金峯山寺蓮華会に関わってきたのだろうか?それを示す資料は吉野にも若狭にも今のところ見当たらない。しかしながら、職とした町山伏、多田ケ岳の山伏とは一線を画した在郷山伏は、古代から連綿と続く吉野と若狭のつながりを示しているようでならない。なぜなら、より吉野大峯に近い位置で活動していたから。たとえば大峰山寺の戸開式に阪堺の役講が主役をとるように、蓮華会には若狭の山伏の関与が古くからあったのではないだろうか。古代からの信仰を引き継いで…。

そして、明治の神仏分離や戦前戦後を通して、蓮華会行事自体の衰退や若狭の人々の関与が薄れてきた中で、戦後、若狭町で霊力を持っておられた文野美登先生と当時の金峯山寺管長によって復興されたのではなかろうか。文野先生の霊験と若狭のステータスによって再編復興された若峯講の歴史はすでに五〇年。歴史にその足跡を刻みつつある。しかし、その奥底には古代からの深いつながりが横たわっている。歴史を絶やすことはできないし、若狭の山伏としての誇りを若峯講員として持ち続けたい。
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歩けや歩けの週末(^^♪

最近ず~っと、村づくり&仕事の週末でしたが、土曜日のプチ仕事を除き、久々にまったり~なの週末でした。この後は秋まで週末にはほぼ何か入っているので…

貧乏性は何しようか…なやみになやんで…ひたすら歩いていました。両日とも2万歩以上。
いい前行になりました。というか山に入ったらよかった(-.-)
ちなみに体重は減りません(*_*;が体脂肪はグングン下がっています。

とういことはさしたるブログネタもなく。
朝夕のお散歩「神体山」シリーズです。

まずは恒例の多田ヶ岳。
若狭坊の居住地からは裏多田になります。表は若狭の龍。水を吐き出す神のおわす山。

古代、吐き出す水を制するため、山麓には多くの社寺が作られました。
神聖な水は、奈良東大寺に届けられます。

鏡多田5月

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若狭坊の家から多田を遥拝し、反転すると聖地飯盛山。
中世以降の修験のにおいが山麓に点在する山です。
山は見えませんが神々しい日の入り。あそこには神仏がいらっしゃいます。

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今年の夏の村づくりウォーキングは三世代で散策の予定です。



ちょっと遠征して若狭の西のご神体。青葉山。
左手です。霞の中に先端の山頂だけが見えます。

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山麓には西国三十三ヵ所の松尾寺や若狭中山寺。
青葉山から飯盛山にかけては三面八臂の馬頭観音坐像の密集地域。
海に開いて特別な文化地域を形成しています。
若狭らしく…鉄塔と送電線が痛々しい。これがなければ古代の風景と何ら変わりません。

さて、散歩域で撮ってない地域の神体山は久須夜だけだなぁ。
ひまなときに散歩してみよう。
ちなみに久須夜は市街地からよく見えます。山頂のテレビ塔や通信塔が痛々しいですが。

山頂まではエンゼルラインという観光道路がありますが、長いことがけ崩れで封鎖中。
久須夜大明神。たぶん一人になりたいのでしょう。

遥拝南無南無。

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小浜にある祇園さん

神社シリーズの第二弾は小浜の祇園さんです!(^^)!

小浜市の南川河口の千種区にあり、現在は広嶺神社といいます。
広峰神社ですから、スサノオさまとイナダ姫さまをお祀りしていますが、天神さん菅原道真公もお祀りしています。

ひろみね

船霊さんといわれる北前船模型(市指定)も奉納されていますよ

広嶺神社天王丸


江戸時代には天王社・祇園社と尊称され、藩主や藩士、周辺氏子の崇敬を受けていました。
現在、小浜八幡宮の放生祭(県指定)の出し物は、もともと当社の祇園祭礼の出し物であって、明治になってから八幡宮に奉納されるようになったものです。

江戸時代の広嶺神社祭礼絵巻(市指定)。いまの放生祭の出し物も見られます。

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現在の祇園さんの祭礼は、神輿三基の巡航および境内での鎌鉾取り神事が主なものです。

鉾は悪霊を払う呪力のあるものです。京都祇園の山鉾もそうですよね。鎌鉾は古くからの祇園祭礼の名残を残しているといえるでしょう。小浜の祇園さんで取りあった鉾は、悪霊祓いのために玄関に飾られます。ちなみに京都での祇園厄除けは粽ですね。

さて、謎なのは近世以前の祇園さんです。どうやら「雲月宮」と呼ばれていたらしいのですが…。それと明治の神仏分離までは松林寺という神宮寺があったことも判っています。ちなみに、この松林寺にあった平安末期の千手さん、不動さん、毘沙門さんは別当であった羽賀寺に移されました(現在、不動さんは明通寺にいらっしゃいます)。
いずれも重要文化財です。

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そうそうたる顔ぶれです。

前のブログ、「八幡さん」でも書きましたが、この辺りは古代には人が住めない浜地。古代末から中世初頭の、小浜府中や西津が政治経済の中心地であったときに島状になっていた松林の森に勧請されたのでしょうね。ちなみに由緒では、久須夜ケ岳から霊光が千種の森にさしたので、その霊地に勧請したとなっており、この時の霊光が雲の端に月が出るのに似ていたからとか。古そうな伝承です。

霊峰久須夜に関する社寺勧請は、小浜の歴史を考える上でキーポイントです。若狭坊のフィールドは多田ケ岳や飯盛山なのですが、トータルに考えないと…。

ということで、町人信仰は明治の改正で八幡さんへ、武家的信仰は明治創建の小浜神社に移り、現在は、周辺地域の産土神としての位置づけでひっそり佇む広峰さん。ただ、現在残る文化財、あるいは分散した文化財、政治経済の拠点の変遷、小浜湾と羽賀寺、久須夜ケ岳の大明神、多田ケ岳との関係を総合的に捉えるとおもしろい歴史が見えてくるのでしょう。マチの神仏習合の拠点としてとっても興味深いです。

なお祇園さんといえば牛頭天王をお祀りする社。薬師如来さまの垂迹神です。


中世都市祭礼がおこなわれていたということは、少なくても中世まではその大きな意義が小浜の人々に伝わっていたのだろうから。

ちなみに文献上に見える小浜の都市祭礼で最も古いのは、鎌倉時代に西津の津神社(釣姫神社か玉津島神社)で行われていた六月祭です。たぶん広峰さんの祇園祭の先駆けみたいなものです。屈指の港町として栄えていた西津の祭りですから、少なからず祇園さんにも影響も与えているのでしょうね。

小浜市にある八幡さん

二三日は八幡さんのご縁日。
今朝のウォーキングの若宮神社お参りは心をこめて「南無八幡大菩薩」

桂八幡

ちなみに参道右手は舞堂で、若狭の田舎の神社には必ずといっていいほど存在する。
田楽や遠敷の舞々、能、地歌舞伎などが行われていたのかな?五穀豊穣を祈り、感謝して。
今の春祭りなどでは、浦安の舞を行っているところが多いです。

小浜の八幡さんといえば港町・城下町にある小浜八幡宮。

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若狭地方最大の秋祭りといわれる「放生祭」が有名です。

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ちなみに「放生会」は行われていません。祇園祭礼の出し物や近世の出し物が巡航します。境内には放生池もありませんが、前には豊かな小浜湾。復活させてほしいな「放生会」。日本らしい神仏習合行事なのに。


で、由来なんか色々調べると谷田部区に元宮があったような感触です。
「谷田部」↓「八幡辺(やはたべ)」。
小浜の古い大字は古代に起源はあるような感じ。小字は中世のものが多いですが。
ちなみに今も谷田部には若宮八幡宮があり、併設のお堂には県指定、平安末期の大きなお薬師さまがいらっしゃいます。


もともと「小浜」は名前のとおり小さな浜。
浜堤も未発達で、南川北川の両河川がそそぐ不安定な古代には人が生活した痕跡が考古学上ありません。地名自体も鎌倉期に入ってから文献上出てくるものです。

古代の官道は、遠敷にあったであろう若狭国府から、この不安定な地「小浜」を迂回し、谷田部を通って勢坂峠に入ったのでしょう。そして一つの拠点として八幡神社があったのでしょう。南川が作り出すラグーン湊を持ち、国府に次ぐ政治・経済の拠点を形成していたかもしれません。中世になって「小浜」が開かれ、道が浜辺を通る(近道)ようになり、谷田部から小浜へ八幡が勧請されたのです。一部の文献にも見られる伝承です。


小浜のもうひとつの古い八幡さんは、松永八幡宮。ここは謎のベールに包まれています。どこにあったのか??どのような活動をしていたのか??諸説さまざま。史料も少ない。有名なのは日本三大絵巻(伴大納言絵巻、吉備大臣入唐絵巻、彦火火出見尊絵巻)がこの八幡宮にあったということ。それだけでもおもしろいですね。


いずれにしても『続日本紀』なんかを見ても若狭小浜は、日本でもっとも古い部類で八幡神を勧請していると考えられています。国学者で郷土の偉人である伴信友先生の『八幡考』に詳しいです。


東大寺と宇佐八幡、東大寺と遠敷明神・・・八幡神の受け入れ、小浜(日本)の古代の歴史上でも八幡さんと東大寺はキーポイントを握っています。


八幡さんの本地仏は阿弥陀如来さま。
戌年の守護仏も阿弥陀如来さま。
「オン アミリタ テイセイ カラ ウン」
「なむあみだ~ぶ~つ~」

村づくりな週末

いい天気。日食もみれそう・・・

今日のウォーキングの景色。

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なにげない日常の日の出。見る角度を変えると感動するものです。
大日如来さまに感謝
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」

さて若狭坊は…

金曜日は旧名田庄四ヶ村球技大会の打ち合わせから、口名田体協の理事会。
土曜日はミニバスケットボール開講式。
日曜日は自警団地域点検パトロールという村づくりな週末でした。

日曜は・・・西相生白寿会(老人会)も奉仕作業。

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地域の公園の草取りです。ここではくぼたんの運動会が40年続けられています。

自警団は・・・

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市道の邪魔になる木々の伐採と、お手製ガードレール作成。
行政に文句いうまえにできることは地域でする!がモットーです。
行政がやってくれんことはなおさら地域でするというのもモットーです。

で…
終了すれば集会所の外では老人会が、中では自警団が一杯やる。

なんか毎週のんでるなぁ(^^♪
これが地域づくりの第一なんだろうなぁ

散歩の一コマ。
人がいるから地域も生きる。

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小浜の人口減!どう食い止める??

今日は小浜を想い辛口若狭坊で行きます!!!

我が国全体のことですが、小浜も人口減の時代。
わたしが仕事についたころは市内人口3万4千人ほど。
今は3万1千人強。20年ほどで3千人減、人口割合で約10パーセント減です。

ひどいですね。
これからこの人口減はもっと多くなるのですから。

これを食い止めるのは無理としても、どう緩やかにするか?というのがこれからの行政経営で最も大切なところなのです。

わたしの住む「くぼたん」は、小浜の150の行政区の中でも、比較すると山里の小さな農山村。たぶん人口規模は150行政区の中の下くらいかな?と思っていたら50番目くらい。中の上なのです。ここから、世帯分離して核家族化した新興住宅地の行政区を分離するとベスト20に入ってくるような大?集落になっています。大集落を目指している気は住んでる人にはまったくないでしょう。他の集落が死に始めているのです。

「くぼたん」の地域コミュニティーの結束はたぶん小浜の中でもベスト5に入ると自負しています。これは三世代が交流する場が多いこと、これらを繋ぐ民俗行事がしっかり残っていること。それだけではなく、おそらく100年もたてば民俗行事になるような、世代間交流の行事を次々に興していることだと思っています。このため驚くほどの20代から30代の世代が村に残り活気をもたらしています。イコール子供も多いことになります。みんな「くぼたん」が好きです。現代社会の中で不便であっても。

歴史を大切にし、世代間で話ができる。ここから新しい取り組みも生まれてくる。これが地域に愛着を持つ根源。地域に誇りを持ち、住む場所が好きになることが人口流出を防ぐ大きな手立てです。

だから、小浜全体を見れば、地域に誇りをもてる社会を作り育てること。
これが一つの根本的ウェートであり、全国的にも特出した歴史文化を全面に出すことは大切なことだと思っています。

今こそ、「歴史文化を活かす」という小浜らしさの投資が必要なのです。
単一的な予算行政チェックばかりしていると金太郎飴みたいな町になって、人口減はますます進みます。

現在、最も人口減が激しいのは「まち」と呼ばれた小浜地区。
中世末から近世初頭には、今の神戸や横浜のような大都市だったのに…。
今や24区中、くぼたんより人口が多いのは2地区程度です。

小浜(若狭)の歴史は、湊に裏打ちされた商活動、それと密接に関係しあった行政組織があったからこそ発展し、その恩恵は「まち」が最も受けていました。だから、2000年も続いた湊の機能が死んでしまった今、「まち」は大きな過渡期に差しかかっています。

このことに「まち」の人はごく一部しか気づいていません。商活動と行政が歴史上ずーっと密接に関係してきたから、今でも行政依存が最も大きい地域です。村人が当たり前のように自分たちでやっていることを行政に頼り、自分の住む町の未来を考えることができない。湊が死んだので商業経営自体も新鮮なことが考えられない。湊町として栄えた歴史による悪のみが残ってしまっています。地域の誇りではなく、地域のおかしなプライドのみが残ったともいえるでしょう。すべての人がそうではありませんが。

「まち」で地域づくりにがんばる人は当然います。でも井の中の蛙だから「むら」のまちづくりを蔑視する方も稀にいます。がんばっている人を動こうともせず批判だけする人もいます。すべてがそういう人ではないですよ。でもそのようなことを耳にする度に悲しい思いになります。市内各地域でまち・むらづくりにがんばる人との交流がある若狭坊の個人視点です。これで「まち」の人が気分を悪くしたら申し訳ない。でも少しでも色々なところに目を向け行動に移してほしい。一人ではなく仲間が手を繋いで。それだけの気持ちです。

「むら」の人は言います。そんな「まち」ばかりに行政投資は必要ない。元気な「むら」に投資をと。

でも、よく考えてください。ある時期は今の横浜や神戸のように栄えていた「まち」。それを示す全国でも稀な文化遺産を数多く残しています。そして今でも鉄道の駅や大きな宿泊施設は「まち」にあります。小浜の顔なのです。

行政との共存が進んでいたからこそ、いい意味でも悪い意味でも利便性のみを追求した基盤整備が進んでいます。もう「まち」に道路や駐車場はいりません。既存の宝と基盤を活かし、大きな行政投資なく、小浜らしい歴史文化を活かしたまちづくりが出来る地域なのです。小浜の顔として。

このまま放っておいたら「まち」は死ぬでしょう。全国でも特異な歴史文化を持つ小浜らしさを出し、必要最小限の投資で済まし地域活性化を図る。そういうまちづくりは「まち」でしか出来ないのです。

「まち」の人!動きましょう。何から動いていいか判らない人は意識持ちましょう。人が集まらなければ元気な「むら」から人材を積極的に引っ張りましょう。地域外の人だという疎外は絶対してはいけません。意見もしっかり聞きましょう。「むら」の人!大きな視野で小浜を考えましょう。驚くべき空家数、その中心にあるつばき回廊跡地。憐みの目で助けてあげるという観点でもいいです。小浜は一つ・小浜の未来のためですから。

そして批判ばかりする皆さま。大きく将来を考えてみましょう。原発依存をなくすという考えを持つならなおさらね。行政経営チェックも大きな仕事だけど、町の将来に対する小浜らしさの創出に関する提案が全然ないよ。そんなんじゃ全然議論が進まないのでは??

財政難の小浜では、地域から突出した社会保障制度で住民をケアして住みやすさを創出することは厳しいです。観光を考え交流人口を増やす。雇用拡大を図るために企業誘致をする。人口減には効果的なもので、当然全国の自治体が取り組んでいます。でも、そのブランド力を作り出すものは小浜の場合、元気な歴史文化都市であり、かつ住む人が地域に誇りを持つことで人口流出も防ぐのではないでしょうか?

日本酒で乾杯!

若狭坊はお酒大好きです!(^^)!

「酒は飲んでものまれるな!!」がテーマですが、最近はヤバいことになりつつもあります(+_+)

酒といえば日本酒。
日本文化は米文化ですから、わが国の酒はと聞かれれば日本酒というのは当たり前ですよね。「日本」が冠につくお酒ですから。戦後の三増酒の時代から、今は昔ながらの純米酒へも移行してきており、本来の日本酒の旨さや蔵による違いもわかりやすくなってきています。日本酒を毛嫌いしていた方にも是非おすすめです。

日本文化の面では…。
さすがに神前にはビールやウイスキーは供えないでしょ。
国家安寧や五穀豊穣や家内安全を祈って神前にお祈りするのは、やはり日本酒です。

でなぜ乾杯は日本酒で…かというと。
「みなさまのご多幸を祈念して乾杯」の祈念は神に祈りを捧げるもの。
日本人なら日本酒が当たり前でしょうということです。
神さま・仏さま・ご先祖さまに祈念しているのだから。

ちなみに会合ではさまざまな挨拶(礼講)があり、乾杯を合図に飲み会(無礼講)に移ります。無礼講に移る前に、自然におわす八百万の神に感謝する。日本人ですよねぇ~。

で、お世話になっている先生から勧められて入会したのがコレ!

日本酒で乾杯推進会議

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会員心得は・・・

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入会無料!さまざまな案内もあります。

みなさまも日本人なら入会されたらいかが?

日本酒で乾杯推進会議HPは ⇒ こちら

代表は御食国若狭おばま食文化館名誉館長の石毛直道先生。
コラムを書かれているのは、若狭坊が尊敬する先生の一人。
小浜の食のまちづくり条例の生みの親でもある民俗学者の神崎宣武先生です。

ちなみに若狭坊はアルコール何でもOKですが、やはり日本酒が一番と思っています。

自然と歴史の関係は?

人類の歴史を考える上で、文化財施策上や住民活動で自然を位置付けることのウェートがどんどん高くなってきています。ただ、一般の歴史研究家にはこの考えが大きく欠如しているところがあり、ここが大問題だと思っています。


そもそも文化財保護法のカテゴリーには、建造物や美術品やお祭り、行事の他に、希少な動植物、巨木などを指定する天然記念物、自然の摂理を顕著に示す名勝などの自然系のものもあります。


また、人と自然が共生して育んできた景観については、文化的景観というカテゴリーも近年制度として生まれました。


世界遺産は、自然遺産と文化遺産というカテゴリーに分かれますが、近年は文化的景観としての考えが強く、主要な文化遺産と遺産を取り巻く自然遺産を一体的に保護する政策が必要になっています。昔は複合遺産というものでしたが(今も複合遺産はあります)。


住民生活に近い歴史まちづくりでは当たり前の意識ですが、研究者にはまだまだ程遠い。
歴史研究者はどの分野でもこの意識を強く持ってほしい。狭域研究の時代は終わりました。そして生きる教訓として住民にフィードバックしていく時代です。
若狭坊の今の仕事はそのようなものが中心です。いい仕事をさせていただいています。


人は自然の摂理と共存してきたのです。私たちの生活を取り巻く衣食住はすべて自然から生み出されるものですから、人が作り出す歴史と、たえず生きている自然が関連するのは当たり前。今の歴史は人の切り口で見てしまうからダメなので、地球や国の歴史を広い視野で真摯にとらえなければ。


これを日本人らしくもっとも判りやすく示していこうという考えが神仏習合で、わが国ではそこから山伏の活動も生まれています。日本の歴史の摂理を教える一つの方法として生みだされたのです。山伏は歴史上、裏の世界に存在した時期が多く、さらには全国を行脚するため商活動や流通などにも携わったため悪山伏のイメージが歴史上植えつけられている部分もあります。ただ、出家僧だけでなく在家としての活動として認められている点が、より庶民に近い部分ではないでしょうか?だから中途半端な活動は歴史上で山伏悪を生んでいきます。神仏習合の根本が言えるように、そして行動に悪がないように若狭坊も気をつけなくっちゃ。


今日も春の香を胸いっぱいに受け蓮華入峰前行ウォーキング。

目を閉じ、耳を澄ませば・・・

ひばり・ツバメ・カエルの鳴き声。サギ・キジが飛び立つ音。ハチが蜜を求め飛び交う音。小川のせせらぎ。揺れる葉の音。花や若葉の香。ふりそそぐご来光。

自然に力をもらい、長い歴史の中の一コマに生きる自分に感謝です。


そして、歴史のほんの一端で自分にできることは、人と自然とが真に共生する日本人らしい生き方や誇りを取り戻してもらえるように、歴史まちづくりを進めることと山伏として生きることだと思っています。ちなみに私がこのような気持ちを持つようになったのは大峰山の蓮華入峰に行くようになってからです。だから、知人や友人には「わからんけど何か感じることもあるから」と勧めてしまうのですよね。


やはり若狭坊は変わりものなのだろうか。

そろそろ、山伏シリーズの書き込みは一休みしよう。
理屈くさくなるから… ^_^;

神社へのおまいり!

若狭坊は山伏です!
日本人の心、ニッポン教ともいえる神仏習合を心がけています。
宗教者ではありません。自然におわす神仏と一体であった日本人でありたいだけです。

今、山伏(修験道)は仏教の一派に位置づけられます。
実際そんなことはどうでもいいのですが…。

でも私の実践する修験は、般若心経から観音経、諸真言などを唱えますので、仏教の一派でいいのでしょう。細かくいうと神社(寺院と一体となった)を拠点としていた山伏もいるのですよ。一概には仏教と位置付けられないのです。それが神仏習合なのです。


では、みなさま神社ではどのようなお唱えを?
私は山伏なので神社でも般若心経から祀られる神の諸真言を唱えます。


ただ、山伏装束でない時には声をだして仏典を唱えることはできません。
神社の人が怒ってくるかもしれませんから。


明治以降の国家神道を実際今も継続している一般の神社では、ありえない話なんですよね。ほんの一〇〇年強の歴史であり、それまでは神仏習合だったのに。


で、今の神社詣りは二礼二拍手一礼!
最近当たり前のようになってきてますが、各神社で祭神が違うのだから、それにあったお参りの方法があっていいのです。
日本の神様は八百万(やおよろず)です。
ちなみに出雲や宇佐八幡は四拍ですし、伊勢では八度拝など大きなところでは特異性を残しています。小さな地域の祠などでも特異性のあるお参りはいくらもあります。
四礼八拍などもあり、四の倍数がキーポイントかな?四方八方の八百万の神へ捧げる?

だから八幡神社では南無八幡題菩薩でもいいのです。
日吉神社・日枝神社では南無山王大権現でいいのです。

ただ、歴史の中で作られた「二礼二拍手一礼」を批判する気はまったくありません。
地域に見合った神へのお祈りや神饌があっていい。一元化する必要がないと思うだけで。
一元化は地域の文化を否定し、無くし、歴史を消してしまうことだから。

あと、お寺で柏手がタブーも・・・。
神社での柏手は神を呼び出す喜びのサインでもあり、邪気をはらうことでもあります。
寺では、仏に加護を願う合掌が基本ですが、密教作法では手を打つ行為はいくらもあります。
浄土宗や日蓮宗のお寺で密教的なお参りをしてもいいでしょう。
日本仏教の根底にそれらはありますから。

邪気を払う柏手は、神仏習合の日本文化です。


みなさんの家には神棚もあり仏壇もありますよね。
生まれた時には氏神に宮参りし、死ねば菩提寺が執行する葬式で送られますよね。
困った時には、「神様、仏様」お願いします、同列で唱えますよね。
稲尾様もバース様も一同列になっちゃうこともありますよね(^^)

日本文化では、神も仏も人も自然も一体のものなのです。


神の場所では神様に、仏の場所では仏に願いをかける想いが基本にあれば、その思いをかけるお参りの方法は神仏習合でもいいのです。というか千年以上そのように行われてきたのが日本人の歴史です。否定する人は否定すればいいし、残されてきたものを守ろうと思う人は守ればいい。どこかで融合するでしょう。

と思います。

田植え終了

ほんとに朝が心地よい季節です。
恒例の多田大明神カット。

鏡多田5月

田植えを待つ水田に映りこむ姿が神々しい。

わが「くぼたん」は霊峰飯盛山南東麓の登拝起点であり、かつ多田ヶ岳を遥拝できる。
イコール、霊峰を結ぶゾーンに所在するパワースポットなのです。

で、田植えは…土曜日は寒かったですが、日曜は晴天。
日本らしい共同経営での農村復活をめざす「くぼたん米舞倶楽部」の田植えも4度目を迎えました。耕作放棄地を少しでもなくそう。くぼたんの人にはくぼたんの米を食べてもらおう。開拓してもらった先人や豊かな自然に感謝しよう。田んぼを楽しもう。何より集まって飲もう!という会です!(^^)!
生産組合とは一線を画した「むらづくり団体」なのです。

荒れ地の開拓から、農業研究、特産品検討、子供たちとの生き物調査など活動の幅は広い。

田植えは…
機械中心なのでサクサク進む。

田植え2012

補植から、草刈り、鳥獣害柵設置など一通りが終わると…

田植え直会

例のごとく長時間一杯が始まるのでした。
ごちそうは、朴葉飯と猪鹿肉の焼き肉、魚市場から直で仕入れ豪快に捌かれたお刺身。
海の幸、山の幸、般若湯を満喫でした。

写真は朴葉飯。

朴葉飯

ほのかに朴の葉の香りが移って、この季節といえばコレ!みたいな。
殺菌作用があるので、古くから野良仕事や山仕事のケータリングなのです。

わがくぼたんは50軒強の典型的な農山村田舎集落。
くぼたん米舞倶楽部は40代から70代のメンバーで打ち上げわいわい。
お隣では20代から30代の地域野球クラブのメンバーがわいわい。
何もないと、何かを理由づけて集まり、飲むのです。伝統です。

若狭坊は両方に属すのでいったりきたり。
世代間の垣根を越えた話ができる場、それぞれの活動を認め合う。

ほんとに仲のよい地区です。

地域のコミュニティーは三世代交流がしっかりできている所こそ元気。
地域コミュニティーの再構築には、お祭りなどが大切だとよくいいます。

みんなが楽しみ一致団結して取り組み、そして打ち上げがあるから。
そのような意味合いも含め、今年からは民俗行事の悉皆調査に着手します。

ちなみに、わがくぼたんはいつもお祭りみたいなものです。

日本人らしい?コミュニティーのモデルケースにしてください^_^;

くぼたんサイコー!

時の鐘

早朝勤行ウォーキング3日目です。
約1時間、近所をてくてくしています。
気持ちいいもんです。子供の時からたいして近所の景観は変わっていません。
自分の根本に戻れます。地のパワーですね。

でも、人も文化も当然緩やかに変わっています。
車社会の現在、歩いたり自転車に乗ったりすると色々な発見があります。
健康によく、地域を知ることもできる。おススメです。

今日は・・・
まずは多田ケ岳を望み多田満山護法善神に南無南無。
今の時期、水田に映る若葉の山がとてもきれい。

その後、菩提寺興禅寺で南無釈迦牟尼仏。
中世若狭守護であった武田氏の被官であった寺井氏の菩提寺。
近世には、高僧を出し、名田庄谷で大勢力をもった曹洞宗寺院です。

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最後に若宮社で南無八幡大菩薩。
水田のなかにポツリと浮かぶ神社の森。

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須恵野四名と呼ばれていたこのあたり近郷の信仰を集めた若宮社。
須恵野や末野という地名は古くから焼き物をしていた土地の名。
このあたりは焼物の里として古代は須恵器を産出し、近世からは若狭瓦の産地。

全国的に若宮神社は別名を陶器神社といわれる。
歴史を示しているんですよね。南川の河岸段丘下の豊かな粘土を守ってくれています。

ウォーキング中には、5時の朝鐘が近在の寺院から鳴り響く。
朝の時報ですね。

今の時期11時30分と18時にも。
スタート、お休み、おしまいの時報。
農耕される人々への時の鐘である。この鐘をもとに活動しています。
ちなみに朝のあいさつは「おはようさん」
昼のあいさつは「おあがんなぁ~」(お上がりなさい)
夕暮れのあいさつは「おしめぇなぁ~」(お終いなさい)

いいあいさつでしょ!

子供の時からの当たり前の音とあいさつ。

これも小浜文化であり日本文化であり、若狭坊を育んだ文化です。

さあ…この早朝ウォーキング勤行!いつまで続くかな。
とても気持いいけど夏場は?やし二日酔い入ればアウトだね(-.-)

おづきようか

昨日は「おづきようか」(卯月八日)!

仏教ではお釈迦様の誕生日をお祝いする灌仏会。
市内の寺院でも行われていました。お墓参りも。

うちの仏壇にもお寺からの甘茶と飴がお供えしてありました。
(毎朝の勤行でないと気付かない私もバカなものですが…)

また、地域によっては山の神の祭日として、高い山からお祈りする
日となっているようですね。

あぁ~、山登りたかったなぁ~。

そして、この日は、市内では天道花(テントウハナ)の風習があります。
でも・・・
ほぼ絶滅状態。
ほんの一〇年ほど前までは、当たり前だった風習ですが…。

ようやく探し出し(といっても若狭坊の地元くぼたん)。
いろいろお話を伺いました。

テントハナ

家先に長い竹竿をたて、その上に季節の花(つつじ、ふじ、しゃくなげ)をくくりつけます。

地元では「おづきようか」といって、灌仏会と混同していますが、お釈迦様に花を
手向けるという意味と、やはり田植えがひと段落し、太陽に花をたむけるという意味
もあるんでしょうね。

わがくぼたん。五〇軒ばかりの小さな集落で、二〇年ほど前は全戸に捧げられていたと思う。

でも、昨日ぐるっと回って四軒しか確認できなかった。
かくいう若狭坊の家も、九〇歳を越えたおばあちゃんが寝たきりのためしていない。

日本人らしい。太陽信仰と農耕儀礼・仏教行事が習合したいいものなのに。

来年は自分でささげてみよう。テントウ花。

山遭難と神仏

連休中は北アルプスで悲しい遭難事故が相次いだ。
最近の登山ブームと遭難事故でよく言われるのが団塊の世代の登山ブームと山を軽視した軽装備。
でも、それだけなのだろうか?


山には「神仏がおわす」が山伏の世界。
というか、山や自然に神仏がおわすは、古来からの日本人の観念。
日本人は山(神体山)に岩(磐座)に木(神木)に、あらゆる自然に神を見た。
八百万(やおよろず)の神である。そこから化身し、人に悟らせる仏も出た。


山伏は、その山の神仏と一体となり山から力をいただく。
実は団塊の世代の登山ブームにも、この心が少なからず動いていると思う。


自然(神仏)と共生してきた日本人に戻りたいのだ。
単純に俗世間から離れ、自然を感じ、山での爽快感を求めているという一般論の中の奥底に、それは今でも宿っている。


今、ヨーロッパから入り込んだ山岳競技の登山と、日本人らしい山の観念が混在してしまい、わかりづらくなり、何が事故の根源なのかを悟る努力をしていない。


山岳競技は山(神)への挑戦である。わが国でも山は神の領域。これを切り開いたのが各霊山を開いた役行者や泰澄であり、ある時は林業や鉱山、測量に携わった山師。いわゆるプロフェッショナルである。
そもそも、深山への介入は神と一体となれるプロフェッショナルに限定されている。


大峯山寺は九月からの戸閉めを終え、五月三日の戸開けにより、行者の峯入りシーズンを迎える。神仏が荒れる時には山に入らない。若狭坊の住む地域には山の口講が今も数多く残る。一一月~一二月に山を閉め、一年の安全と山の幸に感謝し、一月~二月に山を開ける。山を閉めているときに山に入れば神の怒りをかう。一年への感謝であり、かつ山が荒れる季節を恐れているのだ。


北アルプスはプロ(山岳競技者)の場であり、かつ一部の山は修験者の山である。自然に神を見られない人には入ることは許されない。「入るな」とは言っていない。山伏としては自然と一体となり神仏を見てほしい。山には日本人らしい魅力があるから。
「自然に神を見る」日本の心は正直薄れている。そこに気づき始めている団塊の世代の登山者は決して排除してはいけない。ただ、自然(神仏)の恐ろしさを表面だけの認識で終わらせずに…。


身勝手な人間によって、自然と人間の境界はいつの頃からこれほど明確に線引きされるようになったのだろう。山が吐き出す河川沿いには大きな堤防を造り、堤防下には挑戦するように新興住宅地が作られている。山の口元である山麓谷には砂防堤防を作り人が住む。断層崖や河川氾濫源にも開発が及ぶ。津波に向いてはスーパー堤防を作る。山と田畑の境界には鳥獣害柵をめぐらす。これでいいのだろうか?


「人と自然との共生」が最近よく謳われるが、ほとんどが人間目線からのこと。もう一度日本人の原点を考えてみるべきだ。自然の中にあわす神仏との共存として。このことは宮崎アニメが崇拝される中にもしっかりと生きている。

日本人は決して忘れてはいない。真の人と自然との共生を…。

GW(GTW)終わり

終わりましたね!ゴールデンウィーク。

若狭坊の居住地域は農山村。
ということは…GTW(ゴールデン田んぼウィーク)なのです(>_<)

小浜というところのGW。
ご紹介したように、町場の人はお祭り。
村部の人は田植え。
観光のまちなのでサービス業の人は休みなし。

結構、個々ではみんな大変なGWだと思ってる。
世間のGWは小浜人にはあまりないよね~。ちょっとした息抜きくらいの
時間があるかないかでしょう。だからみんなよくガンバリマシタ(@^^)/~~~

若狭坊…
GWで一度行きたいのが、大峰山寺の戸開式。

9月に閉じられていた山上蔵王堂の戸が毎年5月3日に開かれ、行者のシーズン
となります。護持院さんと阪堺の役講が主役ですが、一度お参りしたいな!
この日は秘密の行者さんも開帳されます。

ちなみに7月の蓮華入峯でも、新客(初参加)の方には秘密の行者さんの
参詣の機会が設けられます。

だから是非きてね!

さあ…、個々の田んぼも植え終わりなので、来週は「くぼたん米舞倶楽部」の
田植えだよ~ん。

今朝のお散歩のカット。米舞倶楽部圃場からの多田ヶ岳遥拝。南無南無。

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来週は田植え後に野上がりで一杯やることでしょう(*^_^*)

写真は昨年の野上がり。
ごちそうなどありません。

IMG_0253.jpg

唯一のごちそうは朴葉のおにぎり

野良仕事、山仕事にはこのおにぎりは必需品でした。

あたたかいご飯を若い朴の葉でつつんだこのおにぎり。

山村の初夏の味です。

山いかんと・・・

ゴールデンウィークですね。
若狭坊はいつもどおり。

特別旅行など行くこともなく。
日々のことをこなしています。

今日は立夏。暦の上では夏でっせ。
今日・明日は天気もよさそう・・・。

どこか行こうか?

そうだ。多田ヶ岳登ろう。

山に挨拶いかんと。
新緑の山は気持ちいいものです。

前修行もあるしね!

お城祭り

小浜は春祭り真っ盛りです。

村部では五穀豊穣を祈り、神輿や浦安の舞、豊栄舞が各地で奉納。

そして…
今日からは、都市祭礼のトップを切って「お城祭り」

若狭小浜城跡に鎮座する小浜神社の祭礼です。
出し物は県指定の雲浜獅子と各地区の棒振大太鼓。

獅子は、関東にある三匹獅子舞で、大老酒井忠勝が小浜へ国替えの
ときに同行させたといいます。
お城祭りの棒振りは三人棒が主流。小浜でも珍しいです。

はい雲浜大太鼓の棒振り!

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国登録文化財の山川登美子記念館と伝統行事!
小浜らしい素敵な空間を創出しています。

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大太鼓を叩くのは、小浜のまちづくりの巨匠APECさま。
今日も雨。明日も雨の予報。
雨男APECさんの本領発揮です^_^;
筋肉痛と飲みすぎにはお気をつけくださいまし。

この後、連休は西津祭りや椎村神社の祭礼(王の舞)など小浜は祭り一色。
秋の放生祭になんら遜色がありません。

ブログ1周年

数日に1回のブログ。

いちおう続けて1周年♪♪


今日はちょっと嗜好をかえて。
最近、小浜でお魚以外で何か…ってよく問われるのでご紹介。

老舗のメニューを…

わらじかつ丼だぁ~!

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川崎区(若狭フィッシャーマンズワーフや食文化館がある)に新装開店しました。

やわらかいトンカツがイケます。多くのセットメニューもあるし、ボリュームもあるし。
店は転々としましたが、子供の時からの味です。
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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