雪大丈夫かな?

大雪になるらしい…

この間の雪は丹後で降って、若狭は抜けて、越前降って。

と今まで通りだったが…



小浜の雪も増えてきた。
市内は40センチ前後だが、文化財の多い村部にいけば1メートル近くかな?

1メートルになると天然記念物の樹木や建物も危うくなってくる。
ちょっと心配。
老朽化している「旭座」も心配。

今日は午前中に近代化遺産活用写真パネル展の準備。
そして来年度の観光戦略会議。

で…
今から大阪出張です。
ただいま京都駅通過。


夜中には帰ってくる予定なんですが。

雪が心配だぁ~!帰ってこれるのかな?

スポンサーサイト

高成寺防火訓練

今日は文化財防火訓練でした。

文化財防火デーにあわせた査察に続く事業です。


会場は安国高成寺。
いわゆる安国寺です。

全国に一律に作られたお寺といえば奈良時代の国分寺が
有名ですが、もうひとつは南北朝の安国寺です。

足利尊氏、直義が南北朝争乱で亡くなった人たちを供養
するために各国に一つ寺院と仏塔(利生塔)を作りました。

若狭安国寺は創建後わずかで一時衰退しましたが、守護の
大高重成が復興。その氏姓の一字をとって高成寺となった
のです。
ちなみに利生塔は、明通寺と神宮寺の争論のあと、神宮寺
につくられたといいます。

さて訓練。
観音堂から出火した想定です。
寺院さまの通報後に、初期消火および模擬文化財搬出。

NCM_0047.jpg

若狭消防と小浜消防団が到着後は放水訓練を実施しました。

終了後は、消火器取扱い訓練とAED講習。

NCM_0054.jpg

寒かったけど、よい訓練になりました。

観音さまも一安心。
まもなく春には観音様のビックニュースが飛び込む予定です。
小浜にまた一つ宝が・・・
こうご期待!!!!!

NCM_0045.jpg

語り部さん

今日はボランティアガイド「若狭の語り部」さんの新春のつどいに出席しました。

旭座の保存復元活用の話を若干させていただき、昼食後に意見交換。

旭座のみならず、小浜の伝統文化のさまざまなお話ができた有意義な一日となりました。みなさんのパワーはすごいです。いつも元気をいただけます。

すばらしいまちづくりの同志!!


いまから地域のボランティア除雪に出動しま~す!
ボランティアが当たり前の地域に生まれたことも感謝です!

建築都市デザインからみるまちづくり講演会

ちらしより。

テーマ:旧旭座を活用したおばま観光づくり戦略

講 師:宗本晋作さん(立命館大学准教授)

これまで、小浜市は、福井銀行玉前支店などの近代の貴重な文化遺産を数多く失ってきました。これを教訓にして、今後、こうしたことを繰り返さず、後悔することのないよう市民全体で考えていかなければならない時期にきています。
市内に残っている「旧旭座」のような芝居小屋は、最盛期には全国に3,000以上あったといわれていますが、現在では全国でも30数か所を残すのみとなり、県内でも「旧旭座」が唯一残っているものです。
建物の残存もよく、復元活用することができる貴重な文化財です。

そこで、「旧旭座」という地域資源を活用したまちづくり戦略「旧旭座を活用したおばま観光づくり戦略」を検討している立命館大学准教授であり、世界的にも実績のある宗本晋作氏をお迎えし、ご講演いただきます。


と き:平成24年2月7日(火)19:00~20:30

ところ:小浜市働く婦人の家(咲楽館)3階大会議室


おもしろそうですねぇ~!!
昨年、市民と行政が協働でジャズナイトやワークショップを開催した文化財です。

旭座外観(ブログ)

旭座内観(ブログ)


どんな提案が出てくるのかな??

文化財防火査察

今日は文化財の防火査察でした。

昭和24年1月26日、法隆寺金堂の火災により壁画が焼損したことを教訓として、1月26日は文化財防火デーと定められて各地で防火のさまざまな取り組みが行われています。

小浜は指定文化財管理者が多数あるため、今日から3日間。累計7班体制で管理状況を消防署、関西電力とともに査察します。そして週末に防火訓練を実施します。

毎年、寒くて大変です。

NCM_0038.jpg

こちらは遠敷大般若経の収蔵庫。
平安時代初頭のもので、もともと明治の神仏分離令で若狭一宮から引っ越したもの。

若狭の神仏分離と廃仏毀釈。わりと分離後も派手に壊したり捨てられたりはない。
厚い信仰のもと、静かに隠れて守り伝えられた。

NCM_0041.jpg


こちらは多田寺。
若狭でもっとも古い木造の薬師三尊をお祀りする。

知る人ぞしる若狭修験根本寺院でもある。

2011012411100000.jpg

仕事の途中であるが本堂右の行者堂で南無南無。

NCM_0040.jpg

今日の最後は寒修行で有名な発心寺へ。
修行僧が10名ばかりいらっしゃる。
昔は外国人修行僧がたくさんいらっしゃったが、今日はお見かけしなかった。

NCM_0042.jpg

わたしの好きな風景。堂の入口の桧笠の並び。修行道場なんだな~という感じが好き。


という風に10件ばかりの社寺をめぐる。
お寺は寒い(+_+)

かなりの寒気!また風邪ひいたかな~。

中世墓の調査

今日は一日中世墓の調査。

全国の南北朝時代までの中世石塔の集成辞典が出ることになり
若狭の執筆を担当している。

お隣の若狭町から調査スタート。

無悪(「さかなし」と読む)の五輪塔から、神谷の層塔へ。

NCM_0021.jpg

この九重石塔婆は、応安国一揆(一三七一)の供養塔。

次に中世荘園で有名な太良荘へ。

NCM_0023.jpg

御所の森と呼ばれる聖地に単独である。
鎌倉期の荘園上層の人の墓か供養塔なのか?
小浜で一番古く大きな五輪塔である。

次は多田にある五輪塔。
曽我兄弟の供養塔といわれる。近くの多田寺には多田満仲の供養塔もある。
真相は謎ですが・・・。

NCM_0031.jpg

小浜の五輪塔は鎌倉時代のもので花崗岩。

若狭町のは南北朝時代で日引石という高浜町産の凝灰岩。

南北朝期以降、若狭地域西部の石塔は日引石になる。
というか、北は十三湊から、南は長崎や鹿児島の坊津まで分布している。

なぜ?かといわれると、大型船運が発達し、若狭小浜から出る大船のバラストとして使われるから。

南北朝期に一つの船運発達の転機があるよう。小浜湊にもこの時期に石屋小路という町名が現れる。

石塔と石材だけでも隠れた歴史が見えてきます。

数珠繰り

小浜でもいくつかの集落で行われている数珠繰り。

昨日は海辺の小さな集落「西小川」で行われました。

nisi1.gif

ここは古くから日本海交易や沿岸漁船の避難港となっていたようで、
今も立派な常夜燈が残っています。

また、平安末期の都風の優雅な十一面観音がいらっしゃいます。

若狭のそれぞれの浦は、荘園制の発展により、京都の大社寺や宮家との
深いつながりを平安時代から持ち、日本海諸国の荘園物資の輸送に
携わりはじめました。
中世に湊の中心が西津や小浜に移るまでは、若狭の玄関だったのです。
いや、日本の首都「京都」の玄関だったのです(古墳時代からですが…)。

数珠繰りは、大きな数珠を参加者が回し念仏を唱えるもの。
自身の往生や先祖の供養、正月から一年の安全を祈願するなどの意味が
あるのでしょう。

NCM_0018.jpg

いわゆる百万遍の一つです。
京都の百万遍は知恩院とその周辺を指します。

京都の疫病を百万遍念仏で沈めた僧が褒美にその名を与えられたため
つけられた名称なのです。

いまでは小さな浜辺の集落。

でも、日本海側諸国と京都をつないた文化の痕跡をいくつも残しています。

福は内、鬼も内

もうすぐ節分ですね。
小浜の密教寺院でも節分会、星祭りが行われます。
ぜひおまいりください。

今日は市内の府中の節分の聞き取り調査を実施しました。
なんと、「福は内、鬼も内」といいます。
だいぶ廃れてきているようですが・・・。

この風習は奈良に多くあります。
元興寺や金峯山寺、天河神社が有名ですね。

小浜の府中は、名前のとおり平安時代後期から鎌倉時代まで
若狭国中心地「国府」があったとされる場所。

当時の信仰、奈良との関係が偲ばれるところです。
市内には、他にこの風習を残していませんので、若狭の官人や
当時の若狭国の考え方を顕著に示しているかもしれません。

ちなみに府中からは、若狭の龍「多田ヶ岳」が正面に遥拝できます。

古代、海に開かれた仏教の受け入れと神仏習合。
奈良との深い関係からの神仏習合。

偲ばれるとことです。


さあ、今から歴史的建造物再生の懇談です。
ここ一カ月はびっちり夜がこの仕事です。

六斎念仏

若狭地方は六斎念仏が多く残る地域です。

現在伝わるほとんどが、お盆の時期に念仏のみをあげる講ですが、
鉦と太鼓にあわせた踊念仏が有名です。

小浜では二件(奈胡・窪谷)が福井県指定文化財となっています。
もちろん踊り念仏です。

六斎念仏は、その名のとおり月に六日ある仏教斎日に行われていたことに起因していますが、現在は江戸時代以降の先祖供養の仏教体系からお盆のみに行われるところがほとんど。

しかし、わが窪谷の六斎念仏は、月に一度の六斎日に、各宿をまわって行っている。六斎念仏の根本を守り通している。

講の本尊である「南無阿弥陀仏」の掛け軸もある。

一方、近世祭礼的な要素も受け入れている。
天狗・おかめ・ひょっとこの面をつけた変わり踊りを観音様で披露するし、特別な時には神楽調の笛が伴奏につく。
子供たちは、花笠に黄色のカンバンを着て舞う。

408-1.jpg


おもしろいですね。

このように、行事の根本を残しながら、自分たちや観客が楽しむものに仕上げる。これが民俗行事の伝統の根本にあるような気がする。

今日は、窪谷は仏法はじめの六斎念仏がある。
本来、月一回は一五日だが、一月だけは松の内があけた一六日が仏法始めと決まっている。

ちょっと覗いてこようかな。
でも、覗くと酒飲んでいけっていわれるしなぁ~(^v^)

週末の旅と帰ってからの自警団初出式の酒により胃がおかしい若狭坊っす。
そう・・・正月は毎週末、区行事・伝統行事で、月曜は調子よくないのです。

取材と旅の予定

来週から、某歴史的建造物の復元再生に係る説明会とイベント準備に
明け暮れる日々になりそうです。ふぅ~。

今日は県のご担当と、小浜の通常非公開の文化財の特別公開ツアーの
計画を打ち合わせしてました。うむうむ。

2月の小浜市の歴史と文化を守る市民の会の特別講演は若狭坊が引き受ける
かもしれません。がーん。

2月は出前講座の仮要望を3件受けています。おまかせあれ~。

その他は・・・

民俗文化財取材予定

  1月14日 戸祝い(遠敷方面および宮川方面)
  1月15日 戸祝い・舟祝い(阿納)
  1月18日 数珠繰り(西小川)
  1月20日 勧請綱(荒木)
  2月5日 山の口講(西相生)
  3月2日 山八講行事(下根来)

旅の予定
  1月14日~15日  神戸(中世??関係)
  1月31日~2月1日  大阪(中世都市関係)
  2月23日~25日  東京(歴史文化基本構想関係)
  2月18日  京都愛宕山参詣予定
  2月26日 某所お参り
  3月○日 東京(民俗文化財調査打ち合わせ)

あとね!どこかの週末で伏見稲荷におまいりしたいな。

あとね!あとね!おいしいお酒が飲みたい…
いや、浴びたい(^u^)
今、そんな感じです。
  

立木観音参詣

若狭坊は後厄です。

本日は昨年に引き続き、大津の立木観音参詣!

関西(特に京都・滋賀)の厄払いといえば立木観音です。
京都では、男・石清水、女・立木観音らしい。

若狭小浜では、町部の人は伊勢参りする人が多いが、
村部の人は立木観音参詣の風習があります。

近世から近代初頭では、農民にはほどよい初春の旅になる
距離だったのだろう。
京都や湖南の温泉など、旅のアイテムもそろっているから。

まずは本堂参拝。

NCM_0006.jpg

他の参詣者がご本尊に祈願する横で、観音経、般若心経から諸真言を
南無南無する。ちょっと変な目で見られる(^^ゞ
ちなみに現在は浄土宗だが、弘法大師さまのご開基を伝える密教寺院だ。

次に奥之院へ。

NCM_0005.jpg

曹洞宗の妙覚道了大権現をお祀りする。
室町期の曹洞宗僧として著名だが、修験道とも深く関わったお方。
大峯でも修行されており、炎を背に白狐に乗ったカラス天狗である。

しばらく南無南無・・・

ご祈祷祈願をして山を駆け下りる。
実際、たいしたことないよね七〇〇余段。吉野の脳天さんよりちょっと
多いくらいかな?
まだまだ、いけるね。ダブル成人も!(^^)!

で・・・お分かり?宗派なんて関係ないのよん。
今日の立木さんは、真言密教、浄土宗、曹洞宗、修験道が混在です。

その後、石山寺参詣。ここにも若狭からの水が湧く伝承あり。

それから日吉大社を経由して西教寺へ。
天台真盛宗の総本山である。昨年、小浜の同宗の寺宝が指定文化財に
なったので一度お詣りしたいと思っていた。

途中、昼食のため天下一品。
京都にいれば、みんながたべるこってりラーメン。
中毒になる味で、学生の頃はしょっちゅういった。
でも四〇歳すぎには「こってり大にんにく入り」はきつかった・・・

締めはもちろん比叡山である。
雪がちらつく中、いそいでお詣り。

いい天気に恵まれ、いいお詣りになりました。
後厄を無事すごすパワーをもらった一日です。

帰りは、北方の空は真っ黒。徐々にちらつく雪・・・。

ブルーになるよね(*_*)

寒修行

市内、後瀬山東麓に所在する曹洞宗発心寺。

寒修行で有名。世界各地から修行僧が集まるお寺です。
この時期、「ほーっ」という托鉢修行僧の声が小浜の町の風物詩。

出会いましたらご挨拶を。

location21-5-1_edited-1-thumb-150x226.jpg

このお寺の開基は、後瀬山城跡を築城した若狭守護の武田元光です。
ゆかりの文化財もたくさんあります。

ただ、室町時代初めまでは、津田入り江に面した今富名の拠点であり、
どうやら真言宗のお寺があったようで山伏も拠点にしていたようだ。

なので、出向いた時にはいつも諸真言を南無南無します。

さぁ~
私は明日は、某所にお詣りの日としてプチ修行に出向きます。

明日報告しますね!!

小浜港で町歩き

中世小浜湊地形復元のため、午前中は町歩き。

小浜(今の小浜市街地)の町の形成は地形的には大きく二期に分かれる。
湊の位置はさらに三~四か所程度の拠点が変遷する。

一期は、後瀬山山麓で、湊は青井や津田入り江、和泉町先。

二期は本町通りで、湊は旧南川河口、そして湾内となる。

今日は二期の港の成長過程を調べるため、小浜東組を半日ゆっくりブラブラした。微地形チェックである。

この地域。重伝建群の小浜西組に引けをとらない古い町並みを残す。

NCM_0002.jpg

これは町家の玄関。
井戸のマークは、家内に井戸がある印。
井戸が複数あると井桁の中に「二」「三」という漢数字が入る。
井戸マークの中の「泉」は、湧水がある印。

いいですね。昔のすばらしいコミュニティを示している。
今の時代。東日本大震災からコミュニティの大切さが再認識されている。

いい文化は見直してほしい。
防災面からも評価できる歴史文化ですよね。

みぞれに打たれ冷え切ったので、いつもなら浜の湯なのだが、
今日は空腹優先で道の駅によって「サバくんピザ」を買う。

地元の若手が研究した小浜名物のサバを燻製にしてトッピングした新グルメである。

NCM_0004.jpg

おいしんだなぁ~。これが!(^^)!

がんばっているのは若狭坊と同世代のみんな。

オレもやったるでぇ~!!!

勧請綱

昨日は六日講の勧請綱行事でした。

お正月に龍に見立てた藁綱を作り、集落入口に張って悪霊が
来訪するのを防ぐのです。
集落居住者に不幸があると切り落とします。

kanzyoutuna.jpg

この行事。中国地方山間部や関東の一部にもあるのですが、
若狭、近江、伊賀、大和に集中する民俗行事です。

若狭湾から近江や山城を経て伊勢、大和に抜けるベルト地帯にです。

この地域の共有としては古い十一面観音が集中するという事例もあり。

いずれも渡来信仰と絡めると面白いですね。


ちなみに東大寺二月堂のお水取りは、若狭からの水が若狭井に湧き
出すというが、このベルト地帯には「若狭の水がわく」伝説が、
いっぱいある。

それぞれが断片的に何かを示していますよね。
つなげてみたいな!!


さあ、今から浜辺の渡来信仰と関係ある!?みたいな民俗行事を
取材してきます。

ちなみに小浜の勧請綱行事は二〇日に荒木区でもありますよ。

春へ向けて

ふぅ~!今日の仕事終わり!!

正月は多くの民俗行事があり記録保存に奔走している。
だから、事務仕事は夜なのだ。

で…

小浜に春を告げるといえば「お水送り」である。
東大寺二月堂のお水取りの水はは、若狭から流れている。

ここにも奈良時代初期に国家仏教として受け入れ過程であった
文化の流入拠点としての若狭の大切さが見え隠れしている。

ちなみにお水送りは、昭和に入ってからの観光行事と勘違い
している方も多いが、そんなものではない。

このお水送りを取り仕切る若狭神宮寺はホントに面白い。

大陸文化は南北軸を大切にする。都城にしても国衙にしても
寺にしても南北基軸。平城京も国分寺もそうでしょ。

でも若狭神宮寺は東西なんだよね。しかも春分・秋分を
モロに意識している。山を背景にして。

太陽・山を信仰している日本古来の風習を顕著に残している。

くわしくはお水送りが近づいたら紹介しませう。

で、わたしはお水送りに山伏で出仕する。
そろそろ身を清め始めなければ。

そうそう。
できれば、昨年までお世話になっていた先生や仲間をお呼び
して、その日の夜に民宿で一杯やりたいんだが。
私の精進落としも兼ねて(^^ゞ

バタバタしていてなかなかだ。三年来の懸案なのにね。

お隣町のNさんが段取りしてくれるといいのにな。

中世都市研究会2012大阪大会

まだ詳細確定していませんが事務局からの第1報。

「中世都市と城下町」(仮)
 2012年9月1日(土)~2日(日)

第1日(9月1日)
 現地見学会 9:00~11:30
  四天王寺(中世門前町)、平野町、空堀、船場(豊臣期大坂城下町)
 事例発表 13:00~16:30
  玉井哲雄(国立歴史民俗博物館)「16世紀、東アジアのなかの城下町」
  仁木宏(大阪市立大学)「中世都市から城下町へ」
  中西裕樹(高槻市立しろあと歴史館)「城郭・城下町と都市のネットワーク」
  山上雅弘(兵庫県教育委員会)「摂津・播磨国における城・城下町と町・村」
  大澤研一(大阪歴史博物館)「上町台地の中世都市から大坂城下町へ」

第2日(9月2日)
  山村亜希(愛知県立大学)「阿波勝瑞 -歴史地理学から見る-」
  下仲隆浩(小浜市教育委員会)「若狭小浜 -守護所から近世城下町へ-」
  ※ その他、東国城下町事例発表

こんな感じ!

この手の研究は、ここ10年くらいでようやく学融合が進み始めた分野です。

どうしても都市研究は、「文献」「考古」「美術工芸」「地理学」と分かれがち
(国の組織も縦割りですが・・・)になるため、都市史、都市計画の分野の方が
研究的には先行していたかもしれない。現代の都市計画に活かす!という明確な
命題があるから。歴史研究家も持つべき意識なのだが・・・。
でも、地方職員って、資料評価しながらも、「何でもアリ」的にやっていかない
と、地域の人が求める歴史解明につながらないので、柔軟的に行っていたところ
がある。ようやく研究手法として確立される可能性を包含してきた。
可能性をいっぱい示していかないと、地域のアイデンティティが芽生えない。
「まちづくりに活かす」が地方で歴史を研究する私たちの使命。

「小浜」の都市復元なんかは、文献・考古調査もそうだが、地理的要素や
仏教受容、寺の変遷や移動(宗派含め)、政治権力拠点の移動を総合的に
みるととても面白いものが見えてくる。そして、あまり注目されていなかった
近世地誌や伝承なんかを補助的資料とすると、さらに点から線、そして面へと
繋がっていく。

ひとつの価値ある文化財ではなく、さまざまなものを繋げると見えるもの。

歴史も単一研究から総合研究。そして活用へ。
「歴史文化基本構想」の原点がここにもあるのです。

おめでとうございます

2012辰年スタートです!

大きな社寺への初もうでもいいが、やはりお世話になっているのは
地域の氏神。

愛車のMTBでお参り。

若宮神社の森。田んぼの中に杜が・・・。
若狭の田園部では当たり前の風景。

2012010110300000.jpg

本殿。ウラジロとユズリハの注連縄。
地域(くぼたん)の神社は六所神社で、さまざなま時にお詣りするが、
私の苗字からすれば、そもそもの産土神は若宮社。
般若心経から諸神を南無南無。

2012010110310000.jpg

最後は若狭の龍・多田ヶ岳に向かって諸真言。
今年の平和・健康を祈る。

2012010110340000.jpg
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
地域情報
594位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
中部地方
95位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR