今年最後の勤行

1年の締めは地域の神仏に・・・。

配りものを兼ねて、地域「くぼたん」を約1時間かけて練行。

薬師堂から隣慶院、香梅庵跡、六所神社、西宮神社、疱瘡神、
山の神遥拝、旧勝願寺の馬頭観音堂と、胸に忍ばせた、豆錫杖を
ふりふり南無南無。

1年の諸悪業を懺悔し、区内安全と五穀豊穣を感謝!

最後は白くなった多田大明神を遥拝し、

その先の大峯金剛蔵王権現、神変大菩薩、大峯満山護法善神に
祈りを捧げた。

忘年会続きで増えた体重も少しだけ絞れただろうか?(^^ゞ
不純だなぁ~
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民俗文化財の危機

昨日の新聞記事!

若狭の美浜町の伝統行事「浜祭り」が中断。

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若狭地方でも多くの地で行われている正月の弓射ちの行事である。

最近、毎年のようにこのような記事が目につく。
小浜の県指定無形民俗文化財「手杵祭」も中断して5年くらいたつ。

新聞に出るものは著名な行事や祭礼だから、地域の小さな行事は
なにもわからないままに廃絶していっている。

なんとかしなければ・・・は使命だと思っている。
と、同時に時代に見合わない行事は淘汰されていくのも歴史の必然。

まずは、これだけの行事が残っている若狭の特異性。
行事の真意。
すばらしい歴史を行事に携わる方と再確認。
そして楽しむこと!!
の手助けがしたい。

ということで来年度の予算で動かすつもりなんですよね。
「歴史文化基本構想」具現化事業の第二弾となります。

こうご期待。

若狭湾の津波二

昨晩、小浜の中世末から近世初頭の伝承や近世中ごろの出来事を記した
「拾椎雑話」を紐解いていた。

ものすごく面白い本で、室町時代から江戸時代を研究する上では、不可欠
なものである。一八世紀半ばの出版である。

何に注目したかというと「津波」(*^^)v

津波に関する記述はないんですよね。もちろん天正大地震を含めてね!
かなり伝承関係も丁寧に書いている書籍なのに、二〇〇年弱前に起こった
かもしれない大津波にはまったく触れていない。

この本には一七世紀半ばにおこった「寛文近江若狭大地震」の記録を
つぶさに記している。著作から約一〇〇年前の出来事である。

建物崩壊やら液状化やら大きな被害があったらしい。古文書なんかでも
この地震では小浜城が損壊していることが判っている。
震源は京都から若狭にかけての花折断層から三方断層といわれ、三方
五湖周辺では隆起や水没の記述もある。

ちなみに「拾椎雑話」では、
一.汐が引くと津波がくるという話をうけて大勢が高台に避難したこと。
二.ある老人曰く、「津波は東南の海にはあるが北の海にはない」と
  いって住民を落ち着かせたたこと。
が記されている。

古くからの伝承や、中世末からの連続した大震災によって、「引き潮津波説」
「日本海の津波希少説」が流布していることが判る。

ちなみに、小浜は大きな半島に囲まれ、湾口が小さく湾の懐は大きいので、
津波の影響を受けにくいという。
小浜の港町自体も中世の街路などの都市区画を良好に近世まで引き継いでおり、
津波の被害を受けた形跡を都市史、歴史地理的にも示していない。
港の社寺にも多くの中世以前の遺産を現存させている。

どうしても、小浜が天正大地震で津波の大きな被害を受けたとか考え難い。
フロイスが書いた「長浜」は、若狭からの話と近江の長浜が混同したのだろう。

では、吉田兼見は?
天正大地震が断層連動型だとすれば、海底の小さな断層が起こした突発的
な津波が若狭湾周辺のどこかの狭域を襲っていることは否定できない。

ちなみに、今まで携わった発掘調査では、津波の痕跡を見たことがない。
(というか注目してなかったから、再度土層図や写真で確認すべきか?)
熊川断層が動いた形跡を示す調査事例もない。

若狭の考古学担当者仲間と議論したいところだ。

若狭湾の津波

今年に入ってからよく聞かれる若狭湾の津波。

天正大地震に際する京都の「兼見卿日記」やフロイスの「日本史」の記述である。

「兼見卿日記」では、丹後、若狭、越前に大津波がきたことが、
「日本史」では、港として賑わう若狭の長浜に大津波が来たと記載されている。

フロイスの日本史の長浜は小浜じゃないかという人がいる。
また、この地震の液状化で大きな被害をこうむった近江長浜と混同されてるかもしれない。

兼見卿日記は、中世の一次資料としてはよく引用される日記である。
著者の吉田兼見は、丹後や越前に近親者がいるし、当時の京と若狭の深いつながりを
考えれば、すべてを「否」とすることはできない。

ちなみに天正大地震はようやく研究が進んできて、東海、関西、北陸の広範囲に影響があった
断層連動型という。事実、お城では、越中木舟、飛騨帰雲、美濃大垣、近江長浜などが
大きく被災しており、吉田兼見も京都でも数日揺れが続いたと記載している。
フロイスは和泉堺でも影響があったと記している。

先般、関西電力がボーリング調査の結果として、「天正大地震の津波痕跡はなかった」
と公表した。
若狭小浜にも当時の古文書やそれに近い近世地誌にも地震や津波の記述がない。
現在、判明している諸資料の精査はそれなりにした結果である。

聞く範疇では、旧若狭国や周辺地域にも、史実を示す記録はない。
時期は特定できないが、若狭の常神半島東部の一集落が消滅した伝承はあるが・・・

で、
いま、わたしたちがこれ以上をどうこういうことができない。

のに、
某市民を代表する人は、「もっと研究せい!」みたいなことを言う。地震があった。津波があった。
ありきでの研究要求である。


歴史の研究成果は現在に活かさなければならない。当然のことである。
でも、単一資料で主観がある中で研究する危険性は、歴史に携わるものとしてはもっとも危惧しな
ければならない部分でもある。

今回は、研究結果によって、科学的に調査が行われ、実証されたのであれば、それはいいこと。
ものすごく進歩している。

その科学的調査の内容や取り組み、結果精査をしないまま、歴史的研究の不備をいわれても
ちょっと困ります。

当然、研究は進めなければならない。
「想定外」という文言が先行する世の中だが、現在ある歴史資料や地形特質、科学的調査を
総合的に勘案しながら状況分析しなければならない。

直接見聞きしていない歴史文献のみで、「津波があった」と断定するのはどうなんだろう?
いや、否定はしてないんですよ!想定の一つとしては貴重な文献だから。

4連チャン最終

昨日は若狭管内の埋蔵文化財行政のみんなと地域論やら都市論やら
恋愛論やらに花を咲かせて6時間のみ。楽しかったな。

今日は最終日!

地盤であるじもとくぼたん。

地域で荒れ行く耕作地をなんとかしようと立ち上げた
「くぼたん米舞倶楽部」の忘年会!

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実は仕事場より熱いまちづくり論が語り合える場かもしれない(^^ゞ

うちの会社の若者もどんどん地域活動には参画してほしい。

うちの会社。
そこだけで活動していると頭でっかちの現実離れした仕事になってしまうよ。

でも家庭もちゃんと見ないとね。
今日はクリスマスイブなのに(^^ゞ(^^ゞ

深酒になりませんように

忘年会2日目

昨日は民宿でタラフク&歌を歌いまくり&〆ラーメン。
乾杯は課長持参のドンペリで。

朝から二日酔いでした。

午後も直らないなぁと思っていて、えらい寒気するなと思ったら高熱。

今日の木曜会忘年会は急きょ欠席となりました。
残念。

というか家にだれもいないので晩ごはんどうしよう?
食欲ないし寝ますか。

本日より忘年会4連チャン!

今日から肝臓を刺激する日々です。

今は宿直明けでまったり中。

みんなに言われて・・・
訳も分からずface bookに登録し勉強中(^^ゞ

宿直明けで湯につかろうかと思ったら
お気に入りの「浜の湯」も「湯っぷる」も定休日(*_*)

家の小さな風呂でひとっぷろあびでカットにいって
プチリフレッシュして忘年会に向かいますかぁ~

なんだかんだで般若湯大好きな若狭坊です。

中世「山の寺」研究の最前線

シンポジウム参加のために大阪歴史博物館へ


ひさしぶりに電車利用。
近江今津から湖西線で京都から大阪へ。
たまには電車もいいもんだ。

17日~18日の二日間のシンポジウム。
古代山林寺院に派生して、中世には全国に展開していた山の寺。

小浜も多田ヶ岳周辺に密集する寺院群はこれらだから興味がある。

でも。
なかなか難しいもので。
考古学や文献、建築史、思想史すべてが学融合しないと解決しない
問題なのだが、やはり個別の領域を超えることは至難の業なのだろう。

個の専門家はどうしても個の枠で形式論に走りがち。

地方の担当は一生懸命試みているが。

よい研究方法論が示せればいいですね。

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ひさしぶりに会う方が多く、本来なら前日入りで懇親会にも参加
したかったのに・・・イベントだったからしょうがないのです。

あいさつもそこそこに帰路についた。
藤岡さん神宮寺の資料をお使いいただきありがとうございました。
で・・・
肝心の仁木宏さんの総括と山村亜希さんのコメントを
スケジュールの関係で聞いていないのです(^^ゞ

小浜の寺院研究。前進させなければ。神宮寺の調査も中途半端になってるし。

今日のシンポジウムで思ったこと。

小浜でいいもん示せますよん。北陸は白山中心で声がかからなかったのが残念!

杉田玄白記念公立小浜病院

本日の杉田玄白・中川淳庵顕彰祭および杉田玄白賞表彰式および
記念講演会の会場は公立小浜病院です。

4年ほど前に改修が終わりそれを契機に杉田玄白記念がつきました。

解体新書に深く関与した杉田玄白・中川淳庵は、ともに小浜藩医!
学問に篤かった小浜藩の象徴でもあります。

これも歴史を生かしたまちづくりなのです。

全国的に著名な杉田玄白先生。
小浜にも記念館くらいあっていいようにも思いますが。

病院には小さいですけど杉田玄白展示コーナーがあります。

病院展示コーナー

一度ごらんください(極力足を運びたくないところですがね)。

杉田玄白賞も10回を数えます。
知る人ぞ知る権威のある賞なんですよ。
御食国や鯖街道に見られる「食の歴史」と杉田玄白が唱えた「食と健康(養生七不可)」
そして先端を目指した学問意欲。

これらから「食と医療」「食と健康増進」に先進的に取り組む全国の
研究者や市民活動を表彰するものです。

今日の講演会は、わかりやすいものじゃないかな?

ちいさなお子様をお持ちの方は特に拝聴いただきたいですね。

テーマは「体内時計の乱れを改善する食生活」~時間栄養学という視点でみる疾病予防~

歴史と文化を守る市民の会2012カレンダー

今年も発刊しました。
小浜市の歴史と文化を守る市民の会2012カレンダー。

昨年のは、市内文化財のいい写真で。
今年のは、市内の古写真でノスタルジックに仕上げた。

2012年版は、市内の民俗行事で仕上がりました。事務局、ももさん渾身のカレンダー。

カレンダー

表紙写真は若狭坊撮影のくぼたんの民俗行事「松上げ」&「六斎念仏」です(*^_^*)

小浜市の歴史と文化を守る市民の会は会員数約300名強。
市内の人の100人に1人は会員だからなかなかのものです。

年会費1,000円。

主催講演会や偉人顕彰祭、バスツアーのご案内。
市内のイベントや関連事業の紹介をニュースレターでお知らせしています。

そんでカレンダーも貰えて1,000円ですからお得ですよ!

ぜひご入会ください。

次回の市民の会イベントは2月末に総会にあわせて講演会を計画中です。

そんで明日は!
小浜が生んだ偉人「杉田玄白・中川淳庵両先生顕彰祭」および
第10回杉田玄白賞の表彰式と講演会が開催されます。

受賞者の講演「体内時計の乱れを改善する食生活」がおもしろそうです。

ぜひお越しくださいな。

日時:平成23年12月17日(土)13:00~15:00
場所:杉田玄白記念公立小浜病院 本館9階大会議室

もちろん申し込み不要。無料です。

ひさびさの旭座

ひさしぶりに旭座にいった。
県内唯一、全国でも残存30件あまりの近代芝居小屋である。

仕事関係の皆様への現況説明。

少しは興味もってもらえただろうか?
意識のある人はたくさん疑問点を聞いてくれた。

牛歩で前進!!
保存活用へ・・・

帰りには今年度の町並み保存の竣工チェック。

谷口


少しづつ町並み景観がもどっていっている小浜西組である。

そうそう、今日の新聞の見出しはブリの豊漁。
12月~1月で毎年300本程度しか揚がらない寒ブリが2日で3000本。
ブリバブル!!
ここ何十年かで漁師さんも記憶にないらしい・・・

でも、古写真にはブリ豊漁の写真が結構あるので
なにがしらの潮流などによる回遊関係なのだろう。

ちなみに小浜といえば鯖。
小浜が鯖の豊漁に沸いたのは江戸後期から昭和初期。

それ以前、以後いままで鯖はあまりとれない。
のに「鯖街道」のネームは先行している。

でも、小浜の鯖は一塩や焼き。その他の魚もささづけ等の加工品。

小浜の食文化は加工技術の歴史でありブランドである。

交通網が発展した現在、産地の豊かな食材はどこにいても食べられる。

歴史に裏打ちされた加工技術。もっと押していくべきですね。

小浜の鯖は、ほとんどノルウェー産。でもそれを豊かな食に加工する
のは鯖街道起点にある食のまち小浜である。

江戸時代でも丹後や越前でとれる小鯛は若狭小鯛として、
若狭でとれる鯵(鰯だったかな?)は、丹後産として流通していた。

今なら産地偽装??(?_?)
でも食の安全が確立されていて、売る人が儲かり、食する人がおいしく
食べれていた時代はそれでいいんですよね。ダメ??

なんだか・・・

モチベーションが上がらない数日間である。

めずらしく・・・

なんとかならないのか・・・うちの会社・・・

何のために仕事してるんだ??しっかり考えてほしい。
組織論か??プライドか???もっとあるだろう!!!

綺麗な月を眺めても。
心が晴れない。

今年もあとわずか。テンションあげないと。

明日は自分で創り上げた意図とはまったく別の・・・
何のためかわからない回答が連続する。

ホントにする気があるのだろうか。

だれか慰めて~~

酒が増えていく毎日だ。

山のパワー

大峯蓮華入峯を終えて半年。

最近、山からいただくパワーが一年もたない。
在家信仰もむずかしいものだ。

里には色々なものがうごめき、年をとるにつれ体をむしばむ。
あぁ里の行の厳しさよ。日々が修行である。
「山の行より里の行」である。
里の行が人間を大きくしていってくれているからね。


小浜は山にも白い将軍が舞い降り冬本番!!を迎えた。

各地で山の口講が行われ、山のカミはしばしの眠りに入った。
ので、地元の山にも登れない。とうか、基本私は、この期間どこの
山にも入らない。


ユズリハにのってやってくる山のカミを再び迎え、山をひらくまで。

山に入ることはできない。昔からのしきたりである。

もっぱら白い山を遥拝。山に入ればカミが怒り山が荒れるから。
冬山登山で神に挑戦する皆様とはちょっと違うんだよね。

山の口講。小浜にはわりと残っている。
しかしその意味は廃れ、何のために行事しているのか?という人が多い。

なんとかしないとね。残ってるうちに。変化は気にしないから。

冬将軍到来だ(泣)

今朝から大荒れ!

横なぐりのあられの中を5分強てくてく駐車場から歩く。

福井県は北陸だが、小浜は比較的温暖で雪もすくなく、
文化も近畿に近いので、だぁれも北陸という意識はない!(^^)!

古代から若狭国だし、明治の福井県誕生の経緯を引いているのか
いまだに福井県というものに違和感をもっているのだ。

北陸と山陰という地域に囲まれた小さな畿内の玄関なのだ。
言葉も文化も京都に近い。

で、寒さも比較的おだやかで雪も少ないとはいうものの冬は冬!

だいっきらいな季節だ。

今日は3カ月に一度の季節労働に明け暮れる。
国も県も市も、討論の裏側には、人知れぬ謎!?の世界が
広がっている。
いや、間違い。謎ではないのだが、無駄な時間が多すぎる。

疲れがピークだ。

いやしに・・・・

万両

今年は実が多いんじゃないかな。
山川登美子記念館の万両??の赤い実。

小浜の歴史文化を支える活動も、このように実ればいいな。
「実」に風雨が当たらないように雨風をしのぐ枝葉を与えるの
が私たちの仕事。
種をおとし、どんどん株を増やしていってほしい。

だから今の仕事も無駄じゃないでしょう。

と、自分に言い聞かせる一日であります。

「漆紙文書」県内初出土!

という記事が今日の福井新聞の見出しにある。

漆紙文書という古代の文書が付着した土器が県内初出土だというもの。
高柳遺跡という福井市でも有名な遺跡である。

???うちの方が先なんですけど…
と思いつつ記事を読み進めると、二〇〇二年度調査で検出されたものらしい。

土器というのは、現場で土だらけのものを持ち帰るので、数年後に
整理調査をしていると新たな発見があることがままある。

小浜の漆紙文書は二〇〇七・二〇〇八年には出土して二〇〇九年で報告している。

「県内初出土」という記事、日本語では間違いないですね(^^ゞ
でも、普通の読者は福井県で初めて発見されたと読み解くでしょう。

詐欺的記事~!!と朝から新聞の前で叫んだ(*_*)

この場合の記事の正解は、「小浜市の西縄手下遺跡」でも検出されて
いると書くことが真摯な記事となる。

が・・・そんなこと書くはずがない。

広報する方は今回の場合企画展の目玉としての説明をするし。

報道は、意味もわからないまま初○○、最古○○、○○か?を使いたがる。
見出しには映えるからあたりまえだ。

この両者の思惑が合致したのが今回の記事。

新聞読者(市民)に不審や疑問を与えてはならない。これは両者に合致する。
両者の資質向上が必要なのです。

もしもうちの出土情報をつかんでいなければ圧倒的に発表都市の担当者の資質低下である。狭い県内なのに。

むずかしいですね。
嶺北の某町の発掘の記事がよく出るが、このことを毎回感じる。
常にびっくりするくらい大きな言葉が使われている。
小規模かつ単発のたいした調査じゃないのに。なんかお宝発見隊みたいで(^^ゞ

一方、嶺南の美浜町は地道な継続調査で大きな成果をあげている。城とテラをしているが
殊にテラの成果はすごいと思う。城は目立つので施設まで出来てしまったが。

一時のお宝発掘見出しがいいのか、ちいさな積み上げによって大切さを発見して、
恒久的文化財保存につなげるのか?

どちらも必要なのだが、やはり後者に重きを置きたいのが我々の仕事だろう。

やはり広報発表者の資質なのだろうか?
いや、資質というと語弊があるかも?自信なのでしょうね。裏付けはわかりませんが。

そんな自信をもてる専門家になるのも我々の使命でもあるのかな???

ともかくも。「人の批判・分析をする前に自分を見つめなおせ!」
報告書も関係者にしか発送していないという何ともお粗末な状況。
新聞の中見出しになるものを眠らせている私たちに、埋蔵文化財を活かしたまちづくり
をする資質がないことを改めなければ・・・

できないものは指示で終わらせるのではなく自分で動かないといけない。
これが仕事なのだろう。頭が痛いが。

なんとかクリア

月曜・火曜の仕事関係の大きな検査がおわり
最近スタッフみんなで飲み会なかったので急きょ設定!

疲れから会話が少なかったが(^^ゞ

今週から仕事柄忙しい時期。
いわゆる3、6、9、12月に到来するアレです。

歴史的建造物の復元や活用に関するものが多数あります。

関心が高いということ。

いいことです。

明治をしのぶクリスマスのひととき

昨日のイベントの余韻に浸りながらかたづけやら
あいさつやら。

昨日は「明治をしのぶクリスマスにのひととき」と銘打ち、
国登録文化財の「山川登美子記念館」と「小浜聖ルカ教会」を
会場に、ちょっと早いクリスマス。

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山川家に伝わった和服や明治頃の小浜の古写真のスライドショー

私とななちゃんも明治時代の衣装でお出迎え。
「謎の探偵」とからかわれながら、ふるまいのキャラメルを配った!(^^)!
与謝野鉄幹がイメージなんですが・・・

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午後からは登美子の母校である梅花女子大学のハンドベル部をゲストに
クリスマス演奏会。すごいベルらしい。

2011120417260000.jpg

その後は地元のガラス工芸作家KEiS庵の恵子先生の講師でキャンドル作成の
ワークショップ。楽しく終えることができました。

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夜からは聖ルカ教会へ。
梅花ハンドベルのオープニングの後

設立40周年を迎えた小浜少年少女合唱団のクリスマスキャロル。
アンサンブル若狭の演奏会と続いて終演。

会場で、七面鳥やスープ、グリューワインなどをみんなで試食。

2011120417300000.jpg

ホットワイン。初体験。心地よく酔い、スタッフみんな?でラーメンを
食べにいってお開き。

いろいろなパワーでいろいろな事業ができることに感謝。
でも後の反省会があってこその事業なのに、さっさと帰る周りの
スタッフにもがっかりする。
みんなが飲んで反省するなかで新しい発想も出てくるのにね。

イベントは「やってる時」がメインじゃなく・・・・
計画するときの和気あいあいと反省会のワイワイがメインなのにね。
結局、仕事なんだから・・・そんなんでは協働なんてできないよん。

今日は「まちづくりの仲間」の会員もいるし、手伝いもみんなでってことで
おばま児童文学会「風夢」さんのイベントへ。
急きょモニターのビデオ担当をした。

2011120417320000.jpg

風夢さん10周年おめでとう!谷川俊太郎さんを呼んできて、500人からの
イベントを会員主体でやってしまうパワーに敬服。

とっても良い気持ちになった。谷川俊太郎さんの詩と風夢の市民力にね。

おわって昨日のワークショップ講師のKちゃんの個展を除く。
彼女のパワーもすごいんですよね。

小浜に来たらぜひ覗いてください。

ガラス工房KEiS庵

ともかくも今年のイベントは急きょボスとしてお世話になったAPECさんを筆頭に
いろいろな人と創り上げたもの。

歴史文化の世界へズルズル引きづりこんだAPECさんとのお付き合い。
もう6年くらいになるのかな??早いもんだ。

文化財の保存とは??

文化財の保存の定義って何なんでしょうね。

建物でも祭りでも、時代の変遷で緩やかな変化を遂げながら
現在にまで伝承されている。

重要文化財の社寺でも数百年の中でどんどん時代で形式変遷している。
祭りも当然変化しながら伝わっている。

小浜の放生祭などは、いまでこそ伝統といって出し物が固定されている
が、昔はいろいろな出し物の変遷があった。

祭りや年中行事で神仏にささげる「食」なども時代でどんどん変化している。

山伏の修験道にしても、信仰の根幹は変わらないにしても、それを取り巻く
文化財は変化しながら現在に至る。

それを昔はこうだった。根本はこういうもの。という理念だけで、現在に
見合わないものにしていいのだろうか?

文化財とはいうものの、地域に住む人の思いや心意気によって変化しながら
守られてきたものが、現在に伝承されているホンモノの文化財ではないのか。

人がいてこその文化財!

公的な援助によって守られてきたものなどは歴史上ほとんどない。

住む人、使う人、願う人の思いにより伝えられてきた。

生活に見合わないものは、悲しいかな無くなってきたというのが
歴史でもある。

祭りの大きな山車や立派な社寺。
いずれも地域の思いや出資者がいてこそ守られてきた。

文化財として「国民共有の財産」と位置付ける文化財保護法に
異議を唱えるつもりはないが、公的援助で守るための条件に、
人が関連づかない保存や修理指導があるとげんなりする。
文化財に関わる「人」をないがしろにして、それぞれのせまーい
専門的知見からだけで文化財保存をしていいのだろうか?

常に疑問に思いながら仕事をしている。

やはり、文化財に関わる「人」をないがしろにはできない。

文化財を保存だけの世界から、活用に向けて考えが進み始めた現在。

もう一度、歴史というものを広く見直さなければ、歴史文化を生かす
まちづくりは進まない。ただ文化財という歴史をかたちどる「モノ」
の根幹を忘れないようにしながら…。
いまどきの安っぽい「まちづくり」の定義で、文化財価値をチープ
にするつもりはさらさらない。

そういう意識を専門家・住む人間・行政で共有しないと。

大切なものも残らない。

改めてそう思った1日だった。
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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