小浜駅のSL給水塔

小浜駅には、大正時代の小浜線開通当初の鉄道遺産がたくさん残っている。

ホームの上屋や貨物上屋、油庫などなど。

一番有名なのはSL給水塔!

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煉瓦造りでいい感じ!
タンクが残っているのもめずらしい。

昭和46年にSLとさよならしているのにすごいと思いませんか?

お隣にはSLを方向転換させる転車台の基礎も健在です。


3年ほど前から、地元有志で「小浜線鉄道遺産を守る会」結成。

勉強会やら絵画展やら冊子作成やら清掃奉仕やらを裏方支援しています。

最初は鳥取の若桜駅の守る会との交流からスタートし、
熱い思いを共有しました。住民パワーは何かを変えるからね。

でも所有者があるもの。安全の観点からは撤去やむなしの方向性は
なんら変わらない。これだけの近代化鉄道遺産がセットで残っている
ところは全国でも僅かなのに…。

また、小浜では意欲的な活動を覚めた目で見るダメダメ風潮もある。
ボランティアが育ちにくい土壌なのか??

自己主張ができず、他人の批判をするものだけが目立つ。

結局、意欲的なメンバーは限定され、また同じ人がやっている…
みたいな批判が出てきてしまうのです。

単純に小浜を良くしたいと願う熱い想いを持っているだけなのにね。



小浜の玄関として、歴史文化都市としてPRするには最高のもの
だと思うのですが。
鉄道マニアの聖地となれば、懸案の乗降客も増加するしね。

住民パワーを結集したい…。

県内唯一の芝居小屋「旭座」の再生もそう。

給水塔も旭座も保存活用を願う市民団体があります。
むずかしいことを考えず、大切なものとして考えられる人は
仲間に入ってほしい。

小さな力の結集が大きなものを動かしていくから。

大切なもの、小浜の誇りとして歴史遺産を万人が評価できるような
地道な取り組みをしなければ。

未来の子供たちへ伝承する誇りとして!

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若狭地域の高校再編

シンポジウムが開かれた。

現在の3高校を少子化と財政効率化(と理解しているが)により
2校に再編する案についての住民討論である。

若狭地域(小浜市に3校集中)には、

普通科と商業系学科をもつ進学校の若狭高校。

農業高校を基盤にもつ総合産業高校の若狭東高校。

日本でも有数の伝統をもつ小浜水産高校。

の3高校がある。


これを、若狭高校を母体とした進学系高校と
残り2校を統合した総合産業高校に再編しようとする
のが県教委の案である。

地域住民の声を聞き取れていないため、住民団体が動き
だした。

ボランティアにより勉強会が開かれ、今日のシンポジウムに
至っている。

すごいパワーに関心というか敬意を表する。


で…

今日のシンポジウムは…

もっと多くの議論が必要であることを再確認。


各高校の先生方の学校分析はすごい参考になった。

でも、県教委に対する3校再編存続案や1校統合案は
ぜんぜんしっくりいかなかった。

小浜の特徴であるのは間違いないが、水産高校の存続
を望むものが基盤にあるとブレブレになる。

それを脱却したく教育論の方向にもっていきたかったの
だろうが、それにより特に3校存続案のペーパー1枚
は死んでしまっていた。

夜な夜なたくさんの議論がされたのだろうが生かされて
ないなぁ~。もったいない。
2高校統合のデメリットも、3校案と錯綜していたし。


優秀な人材と地域リーダーを作るための教育は、場よりも
地域のバックアップと教員の資質だろう。

であれば、普通科進学校2校(ただし地域とのつながりを
もつチャレンジ学科や地域活動をした上で)でよいような
気がした。

まだ、少子化は急には進まない…
は、だめな表現だったように思った。

いまから考え、率先してすばらしい統合再編を考える。
時間がなくても。がんばってほしい。

子を持つ親としても真剣に考えたいし、みんなに呼びかけようと
思った。


夜は地域活動であるミニバスケットボール教室の打ち合わせ。

私は、学校教育とは別に

地域活動や伝統などの観点から、地域に誇りをもつ人材や
地域リーダーを育てていきたい。

木曜会の後・・・

昨晩は「木曜会」

月に一度の小浜のまちづくり有志の結集である。

いつも楽しく酒をのみ、パワーや新しいまちづくり案に華を咲かせる。



いつもなら深酒して最後まで残るのだが、

中座して仕事場へ復帰。


懸案事項が大詰めにきている。

イベントの準備や韓国文化財庁の視察なども目白押し。


みんなに
顔しんでるで・・・負のオーラでてるでぇ~と冷やかされ、

あつい語り合いに水を差すとだめだから中座したのでした。


で…
仕事は進まない。

今日は…
山場だ。

がんばるぞぉ~!!!!

地蔵盆と松上げ

8月23日は地蔵盆。

市内のあちこちで子供があわただしく動いている。
小浜は「化粧地蔵」といって、子供たちが地蔵さんの一年の
あかを海や川で洗い流し、絵具で綺麗に化粧してあげる!って
いうのが特徴です。

「まいってんのぅ~♪」と言われたら、お賽銭入れて参って
あげてくださいね。

わたしの住むところは、同じく23日の夜に「松上げ」なる行事が
子供たちで行われる。

柱の上に、竹やわらで編んだかごをつけて、松明を投げ入れる
行事だ。火を使った玉入れ競走と思ってほしい。

京都の愛宕神社から周山街道を通って若狭小浜に至る道に分布。
「松上げ」の道と呼ばれる。
愛宕の火伏せのほか、盆の送り火や虫送り、五穀豊穣など
さまざまな民俗が融合している。

週末は保存会で籠の部分の制作を実施。

2011082016410000.jpg


なんせ、子供(男の子)が5人しかいない・・・。

この間の精霊船もそうだったが、少子化の波はどんどんと
小浜の民俗文化財を危機におとし入れ始めている。

有名な「手杵祭」は休止中だし、同じく若狭最大の秋まつりと
いわれる「放生祭」も、地区外の親戚から子供を借りている。

わが村の松上げ。

私たちの子供のころには夏休みが始まれば松上げ一色だった。

河原の石拾い、あんどん書き、竹伐り、わらもらい、松明つくり。
すべて楽しみながら子供でした。半分川遊びだったが(^^ゞ

しかも色々教わった。
子供だけだったけど上下関係も教わったし、山道具の使い方や
縄の結び方など様々な生活の知恵を。
もちろん川での遊び方も(^^ゞ

楽しいことから、辛いこと、生活の知恵まで。
教えられ学べるのが地域コミュニティーと民俗行事だとおもう。

だからこそ「歴史文化基本構想」の根幹は民俗なのだ。

子供たちに…
その楽しさ、知恵、地域の誇りを伝承していきたい…

写真は、
これも現在の民俗文化財の性。

毎年23日にやっていたが、仕事をもつものは準備運営は週末しか
できないので、20日(土)に行われたお隣の区の「松上げ」である。

2011082021380001.jpg


日よりも「地域の誇りの伝承」が大事だからしょうがないのかな?

でも、23日にやる意義、行事の意味は忘れてはならない。
こういう歴史的専門の伝承もわたしの大きな仕事だから。

しかし、地蔵盆にしても松上げにしても鯖街道にしても。
やはり小浜は京文化どすえ。

飲み会の後・・・

東京からお客さんをお迎えし、

日本文化や歴史まちづくりの話に花を咲かせ

全国的にまちづくりを研究する人や真剣に小浜のまちを
考えている仲間によって、MY POWER が沸いていることを再確認。

人との出会いは自分を成長させてくれるし、かけがえのないエネルギーになる。
Tさん素敵な夜をありがとう。

また、美味しいお酒で語り合おうね。


で…

飲み会の後、決まって通過するのが「いづみ町商店街」
「鯖街道」の起点である。

2011081219080002.jpg


港に接し、まちのにぎわいを創出していた頃の面影はない。

なんとかしたい。歴史の観点から応援できることは沢山あるから。

地道な活動は続いている。
鯖街道ウォークなど。
店先には参加した子供たちの寄せ書きをいれたのぼり旗があった。

まじまじ見る酔っ払い(^^ゞ通報されなくてよかったがさらに元気がでた。

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昨年はまちづくりのワークショップで鯖街道の活性化を考えた。

「歴史文化基本構想」動かさなければ…

送り盆

一五日は小浜の至るところで送り盆。
お盆にお迎えした先祖の精霊を再び浄土へお送りする。

海辺や川辺にはテントをはって各区のお供えを回収している光景。

昔は海や川に流したのだが、いまは環境??の観点から「×」らしい・・・
それぐらいの自然浄化作用はあると思うのだが。

写真は甲ヶ崎の精霊船。
船に塔婆やお供えものを乗せて送る行事。

おしゃいのう


円明寺(法華宗)のものと瑞月寺(臨済宗)のものと二艘ある。

ふるくは子供だけで段取りしていたらしい。
大将のもと、麦わら集め、竹伐りなど。
上下関係から縄の結び方などいろいろ教わったのだろう。

民俗では子供がとても大事だが小浜の民俗行事はその痕跡をよく残している。

盆行事だけをとっても「精霊船」「六斎念仏」「地蔵盆」「松上げ」。

わが「くぼたん」も大人の助けのもと、子供たちが伝承している。

なかなか少子高齢化の中での存続には四苦八苦だが
いつまでも残ってほしい文化である。

めったに唱えないお題目を南無南無して船を見送った。

さあ、帰ってウチの仏様をお送りしなくては。

蔵を活かしたまちづくり

小浜には古い町並みが沢山残る。

もっとも知られるのは重要伝統的建造物群に選定された「小浜西組」

でも、広市場・狭市場や塩釜や多賀・津島、西津、遠敷など小浜文化を象徴する
町並みは他にもたくさんある。この景観保存も今後の課題だが…

小浜の町でこれから活かしたいのは蔵!!

旧漁港近くや川縁町周辺には港でのにぎわいを象徴する素敵な蔵が沢山ある。
写真下は、廻船業で栄えた家の主家と蔵。
素敵ですよね。

IMG_8216.jpg


三階蔵なんかもあって珍しい。小浜が栄えた象徴ですね。

IMG_8221.jpg


観光地では蔵を活かした素敵なショップや喫茶店、ギャラリーなどによく出会う。
蔵の機能がなくなり、小浜でもどんどん消滅していっている蔵。
なんとかしたいものです。

小浜西組では、酒屋さんが個人でギャラリーとして先行活用している。
「蔵夢」という素敵なネーミングで。

西組は通りに面して主屋、奥に離れと蔵という配置で、町の背割りに防火を兼ねて
蔵を建てられているところが多い。

でも通りに面していて活用可能なものもいくつかある。
ただいま若干画策中!(^^)!

IMG_8233.jpg

山上の古墳調査

昨日は小浜で観測史上最高の三七.六度の気温を記録!

その中を、まもなく某大学先生と共同で調査する山上の
前方後円墳調査の作業道ルートを開拓した。

一昨年、同僚に開拓させたのだが山腹を直登するルートで
大ブーイング。

近頃の考古学担当は山の地図を詠む力も備えていない。
悲しいことである。
地図を読めない人は歴史的景観の復元は不可能なのに…。

結局、私のルート開拓で大分軽減されたと思う。

この調査予定の古墳。
お隣の若狭町と取り組んできた自治体にとらわれず文化圏を
研究し保存活用していく事業の発展形。

海を望む古墳で、いにしえの日本海や大陸と畿内を結ぶ
ルートを考える上で興味深い。

お楽しみである。

歴史とは何か

歴史が好き!!
だけで進学した大学の史学科。

在学中、なんで歴史を学ぶ必要があるのか?疑問がわいた。

出会った本がE.Hカーの『歴史とは何か』

「歴史とは未来と現代と過去との対話であり、現代の視点で過去を断罪しては
いけないし、過去の事実のみを語るものでもない。人類の未来にとって何が
良いのか常に意識しなければならない」

難しい本だったが、この一節だけは心に残っている。

就職して、各地の大学や自治体で歴史に携わる人に出会った。
が・・・ほとんどが過去の事実のみを追求するオタク。

がっかりすることが多い。

特に地方自治に携わるものは、E.Hカーの言葉を肝に歴史まちづくりを進めてほしい。

「歴史専門家」は狭域の「ものしりさん」ではないよ。
未来を創る政治家だ!!くらいにの気質がないとだめですよ。

東日本大震災により、平安時代の貞観地震や前後の連動地震が注目され始めているが
このような過去の歴史に学び未来に生かせるものはナンボでもある。

活かしきれないのは歴史学者の質の低下である。

というか歴史に携わるものは何人であっても未来を意識しなければならない。


ひさしぶりに読んでみよう。『歴史とは何か』

でもまずい翻訳本が多いので難しいですよ。読む方ご注意を!

北前船がやってきた!

先月青森を出港した北前船「みちのく丸」が小浜港へやってきた

小浜に残る古写真や大阪の海洋博物館で見るのとは、また違った趣き。
そりゃ自走航行できる日本で唯一の北前船だから、そのリアリティーの差かな?

市民有志の実行委員会による歓迎セレモニーが盛大に行われていた。

船は…もちろん見る限り忠実に復元されている。
小浜港にず~っといてほしい…そんな気持ちにもなる。

みちのく丸2

江戸時代に入り西廻り航路が開発されると、日本海側各地の船持ち商人が奥州・松前
まで下る北前船の航行により繁栄していく。

若狭小浜では古河屋などが有名だ。

当時は、北国からにしんなどの海産物を、若狭小浜からは茶や米、わら製品、若狭瓦
などが運ばれていた。

ちなみに、小浜が最も繁栄していたのは江戸時代・北前船の頃とよく勘違いされるが…

ちゃうちゃう。

小浜が繁栄していたのは、京都と直でつないで北国や海外と交易していた中世から江戸
初期のことである。
西暦1400年代には南蛮船を僅か一年で新造する造船技術まで小浜にはあった。
千石積の北前船どころではない。

「西廻り航路ができて困った・・・」と江戸時代初期の小浜廻船問屋は嘆いている。
その影響か小浜の船持ち商人は激減するのだが、これを糧として新たな商売を始めるの
が北前船の商人である。

ちなみにいつの時代の小浜の商人も廻船をするのが大商人の証。
でも廻船問屋ではなく、今の時代でいう総合商社であった。
政権との関わりも非常につよい大企業であった。

小浜の国内・国際港機能が死んだ今。
約2000年、日本を代表する港であった若狭小浜は今まさに歴史上の転換期を迎えている。

上手に転換でき、日本の玄関であった若狭おばまのステータスは守られるのだろうか。

港に守られていた商人気質は未だに抜けないから商社自体が現れないどころか
攻めの商人気質がまったくない小浜。

いつまでも若狭の中心と思ってしまう政権気質。

政治経済とも若狭の中心でいるためには、市民全体の意識改革が必要なのです。
歴史的にはそういう時期に来ているのに…。

船が来た!昔は良かった!で終わらないようにしないとね

プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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