理解と寛容


小浜の皆さん。
除雪作業の疲れでイライラ募っていませんか?

若狭坊は最近は怒鳴ってしまったり愚痴を溢したりが若干。
若いときは、そればかりのイヤな人間だったな!と振り返ることがあります。

最近は年齢を重ねたからか…気をつけているからか…少なくなってきたけど。
若い人でそういう人をみると「元気だな」という目でみるとともに、「損しているな」とも感じます。
自分がそうだったから。

若狭坊は長年一緒にいた大好きな先輩と修験道におしえられました。

「忘れて、捨てて、離れて、恕して、悦べ」

執着せずに客観視してから相手を認めて水に流し、思いやりをもって学びに感謝してわだかまりをとる。

「恕」の心

常に相手を思いやり互いの価値観を尊ぶ。
「怒」ではなく「恕」なのです。

わが母校の「異質なものへの理解と寛容」という校訓と一緒です。
思いやりと協調の心。
それが我が国の成長と発展の根本であったように、若狭坊の成長にもつながる。

怒りがこみ上げるたびに「恕」を想い生活しているのでした。

結局、たまに忘れて声を荒げるのですが(笑)
もちろん自己主張も忘れてもいけません!

それも人間…ということで「恕」の心で受け止めてやってくださいませm(__)m

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人口減少の克服


昨日の日本遺産大学。
いつも良い講座を聞くと、もっと若い人に聞いて欲しいなと思う。

地域の魅力やブランドに触れてもらうと、まちづくりのヒントが一杯。
だから次世代を担う人に聞いて欲しい。
子どもたちにもわかり易くフィードバックもしないといけない。
人口減少の時代でとても大切なことだ。

前々の記事で「天川に行きたい」って書いた。
(毎年行っているが・・・)

奈良県天川村の人口減少。
1985年に2700人だったのが、2016年で1300人。
その内、洞川地区は2005年に791人。2010年に710人。2015年に619人。
5年間隔で100人弱の人口減って・・・・
若狭坊の山修行後の憩いの場はどうなっていくんだ・・・
若狭坊が大先達になる頃には町がなくなっていたらどうしよう。

ちなみに若狭坊が住む小浜市口名田地区の人口は約1800人。
実は天川村と同じような人口減が推測される。
真剣に考えないといけない時期。
昨年、地区に新しい協議会が設立されるということで「メンバーに」とお声がけいただいた。
ありがたかった。
で、「真剣にやらんとあかん!」って強く言ったら事務局の某長さんから「それなら結構!」って・・・
どやねん!!!

てな愚痴は置いておいて(笑)

この人口減の時代。
「産めよ増やせよ」ができなければ、結局UIJターンといいながら地域間競争による生産人口の取り合いをするだけであって。
日本全国で取り合ったり、狭域では市内で取り合うわけだから、実は何の解決にもならない。
減っていく中でも、元気の素として最低限生産性のある地域にしなければいけない。

それが口名田地区の場合、
農業なのか?
瓦などの伝統産業なのか?
元に返って林業や河川漁業なのか?
それらをMIXした新産業なのか??

意識のある人たちと考えて、行動に移していきたいな。
居住に便利なまち・むらじゃなく、住み甲斐のあるまち・むらとして。


ところで歴史人口学でいうと、日本の人口減は4回あったらしい。

1) 縄文時代後期
 小氷河期による気候の寒冷化であり、狩猟採集時代としては危機的だったんだろうな。
 これは、稲作の輸入という新しい食料革命で人口増に転じていく。

2) 平安時代末期から鎌倉時代
 全世界的に中世温暖期であり、小浜のラグーン湊が発展した時期。
 いまの温暖化に近いんだろうけど、洪水・旱魃を繰り返すゲリラ気候は、
 水田耕作には大打撃だったのでしょう。
 これは武士の台頭による生産性向上のための
 新田開発や治水革新によってクリアしていく。

3) 江戸時代中期
 知る人ぞ知る小氷河期で、不作が続いた時期。
 これは明治の産業革命により、米中心の社会からの脱却を図りクリアした。

4)そして現在
 言わずと知れた温暖化時代。次の人口増へ転じる革新は何なのか?

寒冷化減少→温暖化減少→寒冷化減少→温暖化減少(現在)

気候の急激な変動による食料不足と感染症が原因なのですが、
現在の気候変動中による食料問題や感染症の感覚はあまりないですね。

でも、よく考えると「食の安全」は危機的状況であり、それに伴う新たな疾病も増加している。
実は生命的にそれを感じ取って出生率を下げているのかもしれない。
食が減退すると人口を下げないと個体維持ができない。

人口減少の根本を考えたとき、新しい核心のヒントが出てくるような気がする。


短期的な解決策を歴史的視点でいうと・・・

日本人は温暖期には山の恵みに恩恵をうけて生活する。
イノシシやシカをたべて、山菜をたべて、温暖に見合った食料を生産する。
近くの安全安心の食に人の生きがいが出てくる。
ベストセラーとなった『里山資本主義』の世界である。

だから若狭坊は、山に感謝する山伏になったのか?
荒れた田んぼは、たぶん果物栽培がもっとも適している。

歴史にはヒントがいっぱい隠されている

久しぶりの写真無し長文ブログでした。


山岳信仰と冬山


正月・・・山から歳神様を迎え、
すでに市内では山の口講も終わったところが多くなってきた。
12月初旬に閉じた山に入ることができるようになる。

今日の新聞。
年末年始6日間の山岳遭難事故は49件、死亡者6名だったらしい。
昨年の遭難は22件で、2003年からの統計で最悪だそう。

いろんな意味で気軽に山に入れるようになったことは良いことだと思う。
でも、改めて山の怖さというものを知ってほしい。
山は長い歴史の中で、神から人にパワーを与える地となり、
かつ神が住む恐ろしい場所であることも変わりない。

このこと・・・毎年書いている。
アルプスだけの話では決して無い。

日本の山岳信仰については、いわゆる修験道から語られることが多い。
若狭坊もその端くれではある。

現在の修験道は縄文時代からの固有原始的スピリチュアルな信仰に、
中国・朝鮮半島から入った原始的山岳信仰
仏教、道教、陰陽五行説、シャーマニズムなどなどが習合して成立したもの。

石や木や水などに宿る八百万の神に触れ、その集合体である山を畏怖し
月や太陽を方位に祈り
自然神から仏に化身した権現さまを信仰する。


固有のものを残しながら新化し、平安時代に一つの信仰として成立した。
江戸時代には仏教宗派として位置づけられ、
明治時代の神仏分離で根幹を揺るがされながらも現在に至っている。

いずれにしても、日本人の古層・基層にあるものを最も残しているのではということで、
比較宗教や比較文化、文化人類、民俗などの各専門分野で注目されている。
そして日本人の古層というだけでなく、人類の古層という観点で海外からも注目されているのである。

中央集権化において異質なものを排除していくのが人間の根幹。
さまざまな自然信仰を排除し、一神教に進んでいったのがヨーロッパである。
そして、科学の進歩において自然を制圧していこうというのも人間の根幹。

しかし、日本人は自然の神が住むという山を愛しつづけ、
さまざまな異質の先進思想や文化を巧みに融合させてきた。

今もその根幹に「山」があり、自分を見つめ直したとき、山に力を求める。
江戸時代には、宗教登山は日本の旅行の人気商品となった。

近代国家となり、忘れられてきたようで忘れられていない。
団塊の世代の登山ブームの根幹ともいえる。

仕事に疲れた若狭坊を癒してくれた修験道の根幹ともいえる。


一方、ヨーロッパから流入した近代登山というものがある。
ヨーロッパでは深山や深森は、そもそも魔が渦巻く異境であり、
そもそも山に神が住み不入の地であった日本と何ら変わらないものであった。

日本人はそこに入り、自然と一体となり験を得るという協調をとったのと反し、
ヨーロッパの人々は、設備の充実を進め、闘い、征服するという道に喜びを持つようになった。
極限状態に立ち向かうことに喜びを感じるようになった。

今の日本は、宗教登山と近代登山が融合している。
戦後、山の制覇を目指した大学の山岳部は隆盛した。
日本の百名山もその典型で、百を制覇する達成感をゴールにおいている。
でもどうだろう?
たぶん日本人なら、それだけでない理由や爽快感に動かされている。

山は制覇する場でないことが深層に根付いている。

制覇せず、山とともに生きる宗教登山や
生活に根ざした生業の山民文化では、
冬に山に入ってはいけない期間を設けている。

大峯は9月から5月まで入山できない。
市内の山の口では、12月から1月は入山できない。

この意味を今一度考えて欲しい。
日本人なら。

神仏が暴れる冬山は制覇する場所でない。
遠くから遥拝し、神仏を崇める場である。

冬山に入ることができるのは、認められたほんの一握りの人である。




若狭坊の節句


今日は人日の節句(1月7日)。
五節句〔上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)〕の一つ。

今や七草粥をたべる日ですね。
もともとは正月の若菜摘むという風習だともいわれ「枕草子」にあります。
門松の松も、実は松を摘むの一つだという説もあります。

また、七草は七種といって七種雑穀の餅がゆを食べていたことが「延喜式」にあります。
文化として根付いたのは節句行事となった江戸時代からです。

まあ、色々なものが習合して現在に至っているのが、いわゆる「伝統」です。
なにが起源とか、なにが本来とか、知ることは大切ですが、意味を押し付けることはいけません。

現代社会では、御節料理で疲れた胃を癒す行事ですから。
でもこれに意味があるのならそれでいいでしょ。

逆にいろんなことが想定される物語をわかり易くいうことがロマンだと思いませんか?

これが歴史にたずさわるものの使命だと思っています。
もちろん、起源や根本を突き詰めるスキルの上に成り立つものですが。

ということで、
いや・・・関係ないのですが、節句も人それぞれあってもいいかな?と。
若狭坊にとっても今日1月7日は大切な節句です。
毎年思うのですが、大峯蓮華入峯まで半年という大切な節目なのです。

ちょっと長めに勤行し、地域の社寺に参詣するよう心がけています。

DSC_2879.jpg

今朝は、元旦と同じコースで地域社寺に参詣して大峯へ向けての長い前行のスタートです。

DSC_2880.jpg

若狭坊の節句
  人日(1月7日) 大峯半年前の前行スタート
※ 酒は鳥浜酒造とコラボし、今年3年目となる「若杯者」の新酒をいただきましょう。
  上巳(3月3日) 宵行として神宮寺修二会およびお水送り
※ 酒は本来白酒ですが、地元若狭富士酒造の「鵜の瀬」をいただきましょう。もうないかもですが・・・
  端午(5月5日) 若狭三山修行登拝(なかなか行けませんが・・・)
※ 酒は・・・何でもいいでしょう。たまには「麦酒」もいいでしょう(笑)
  七夕(7月7日) 吉野蓮華会・大峯蓮華奉献入峯
※ 毎年、八咫烏で有名な北岡本店の「行者政宗」をいただきます
  重陽(9月9日) 窪谷勝願寺馬頭観世音御祈祷法要&菊酒
※ 本来は菊酒なのですが、毎年大量の「わかさ」をいただきます

若狭坊の節句はお参りとともに酒があり(笑)

みなさんも伝統的な五節句にこだわらず、
年に5回くらい自分の節句を設定しませんか?
1年の目標や生きがいも出てくるし
自分の生き様みたいなものも見えてきます。


奉仕と祈り


今朝の南無南無☆

DSC_2405.jpg

何を求めるわけでもなく自然の神仏に感謝して祈っています。


さて、南無南無にはお不動さんの真言も唱えています。
修験には必須の仏様でもありますので。

思い起こせば・・・・

大峯の新客で西の覗きを南無南無させていただいたとき。

「毎月のお不動さんの縁日には南無南無するか!!!」
「はい!!!!」

と答えてからだと思います(笑)


お不動さん。という名称のとおり。

日本人には馴染みが深く、滝や水場の近くには
「不動沢」や「不動滝」などの名称が多くあります。

若狭小浜だと、飯盛寺などの寺にもあるし、地域の小さな滝にもある。
上根来の集落の上にもあったな☆

「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」に
静かな山林の清らかな地に霊場を作って修行をし、川水につかり真言を唱える
修行をすれば不動明王の姿を見ることができて願いがかなう。
とあります。

ここに根拠があるのかな?
修験の山に入ると、不動の川に入る。
現在の修験道の大きな柱になっています。

小浜で不動の名称探すと面白いだろうな。
若狭の密教・修験の繁栄が目に見えるから。

小浜で一つ隠れた名瀑に宮川地区小沢寺不動滝があります。

20090829_440686.jpg

いい滝ですよ。
御堂もしっかりしており、行場であった雰囲気が今も残る小浜では珍しい滝です。



8月のお不動さんの縁日がご祈祷日のようです。

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この滝は、江戸時代に小浜藩医であった杉田玄白が幼少のとき病弱だったので
父が祈祷していた滝でもあります。

来年は杉田玄白没後200年。

あらたに注目されるかもしれません。



昨日は馬頭観音ご祈祷法要前の奉仕作業でした。

DSC_2406.jpg

しっかり境内清掃しました。

掃除は無になれるいい修業です。


さあ、今日は無でお詣りしようかな。

13:00から別当飯盛寺様の大般若経転読。
14:00からは六斎念仏の法要です。



プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

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