放生祭調査1日目


昨日の夕刻南無南無。
飯盛大明神です。

20170915212143a51.jpg

台風前は朝も夕も妖しい茜を見ることができます。

心配ですね。

小浜最大の祭礼「放生祭」が始まるのに

201709152121455d4.jpg

24区の出し物が隔年12ずつ登場!
山車、神楽、棒振大太鼓、獅子など多彩で多様。
あまりないお祭りです。

20170915212146a6f.jpg

1日小浜の旧市街地をブラブラし、
何を調査したかというと…

出番でない12地区の本陣を調査。

20170915212148451.jpg

いつも出し物に飾られている装品をしっかり調査。
什器の箱書や文書類もしっかり調査です。

新しい発見もたくさんありました。
やっぱり調査は楽しいなー。

でも、どこの演し物も本陣も雨対策。

20170915212149ff8.jpg

明日だけでも、もってほしいな☆

明日も明後日も調査です。
見かけたらお声がけください。

放生祭

すばらしい小浜の粋を見ることができます。


スポンサーサイト

土用と五行


昨日は土用の丑の日。

みなさん「うなぎ」食べられましたか?

若狭坊は・・・

小浜と友好都市である西安からの友好使節団のみなさまをお迎えし・・・

2017072617264234c.jpg

御食国のうなぎといえば三方五湖。

20170726172642c3d.jpg

ということで、おいしゅういただきました。



さて、

土用ってどのような日かみなさんご存知ですか?

若狭坊もあまり詳しくはないのでウィキでも参照いただければいいのですが、
実は中国から伝来の思想である五行と深く関わっています。

五行とは「木」「火」「土」「金」「水」が深く絡み合い
一緒になったり離れたりで万物がなりたっているという思想です。

日本の暦の四立を「立春(木)」「立夏(火)」「立秋(金)」「立冬(水)」に
見立てて、その前の18日間を土用(土)としています。

この時期には土を動かしたり穴を掘ってはだめだと言われています。

ただ、立秋前の土用が(土)の周りで一番注目されているだけですね。
うなぎを食べるという平賀源内のキャッチコピーとあいまって
いまの日本の土用は夏です。

さて、中国から五行の思想を受け入れたとき。
日本の国家を形成するときに、
奈良を、そして京都を中心に五行が・・・

最近よく言われる近畿の五芒星

201707261726444fb.jpg

まもなくお披露目ですけれども

小浜もその国家形成を担ってきた大切な地域なのです。


いまも国際都市として、西安や慶州、奈良・京都とつながっている。

日本遺産というのもその一端。

人々の記憶は薄れても、歴史の深層は変わらない。
不思議なものです。

国家の形成ではなく、日本を支えている若狭。
再び表舞台にたつ時期が到来です。

「雲浜」の由来


今朝の南無南無

201706061629453d1.jpg

ここ2日間は寒い朝勤行です。

さて、週末は・・・

20170606162947230.jpg

優勝候補に完敗しました。
近くにはない強さを体感し、次のステップにいくことを望んでいます。
気付きがあったかな?

ただ完敗だっただけに本人もそうなのでしょうが、親ももやもやしてます

でも仕事は進む。

今日は雲浜小学校へ資料調査および寄託資料の受け取り。

20170606162948fe9.jpg

「雲浜」って全国に唯一の素敵な地名ですよね~。

よく、幕末の志士である梅田雲浜に由来があるの?と聞かれますが、
実は雲浜は号であって本名は源次郎義質といいました。

ということで、地名を号(本名の他に使う名)にしているのです。
小浜藩を出てからも、出身の地に想いがあったのでしょうね。

で、この雲浜の地名はいつから?なのか??

江戸時代半ば編纂の『拾椎雑話』には、
「最近、小浜を雲の浜と呼ぶが、もともとは竹原の地で漁師が住んでいた場所で下竹原だった。城をつくるにあたって、下竹原は西津に移しました」と書かれています。
伝承では、城のあった下竹原の漁師が浜に網を干すと蜘蛛の網のようであったので、いつしか「蜘蛛の浜」となり、雅字をあてて「雲浜」となったといいます。
素敵ですね。

元禄時代には、若狭八景に「雲浜朝霧」が詠まれ、その後すぐからは「若狭八景」ではなく「雲浜八景」へと変わっていきます。
文人の雅が「蜘蛛」から「雲」へ変化させたのでしょうか?

ただ、近くの千種の森には、中世初頭段階で牛頭天王がお祀りされており、別称が「雲月宮」だったことが判っています。
もっと古い時代から「雲」とは関わりのある地域なのです。

月が籠もる宮。
これもまた素敵ですね。

月読神(ツクヨミ)と記紀神話を考えると、御食国につながっていったりする。


いや・・・

もしかすると、「浜に籠もる」という根本的なものが「雲浜」の語源だったら。
海が育む美食を支えた地としての意味があるのかもしれない。

地名は面白い。

籠もるといえば、お隣の丹後国、元伊勢の籠神社との関係とか・・・
籠もるといえば小森とか子守にも関係し、籠神社と同じように水分神との関係も。

ほら、吉野水分神社につながってきました。

ということで、次回は吉野と修験道のお話しへ続く・・・

ご遺徳を偲ぶ


今日は小浜の偉人2名が旅立たれた日

5年ぶりに佐久間艇長顕彰祭へ参加。

201704160517302c6.jpg

日本初の国産潜水艇。
その訓練中で沈みゆく艇内での
沈着勇断と心遣い。

海外でもその姿は教本にでてきます。

参加者はご高齢の方が多くなってきました。

201704160517320cf.jpg散る

桜舞散る銅像。
愛する小浜の海と母校を眺めていらっしゃいます。
この姿さえ知らない市民の方が増えているといいます。
残念なことです。

さて、1日準備から片付けをすませ、
登美子女史の墓参り

201704160517356a0.jpg

5年ぶりに仕事につかせていただくことをご報告。

薄命の明星歌人。
本当なら与謝野晶子より著名になる女性でした。
いや…ずっと影の人として生きたかもしれませんが、たぶん故郷小浜に多くのものを残してくれたと思います。

多くの方に山川登美子記念館を知ってもらう。
関わってもらう。
若狭坊の使命です。

終わってスーツで桜散る小坊主の練習お迎え

20170416051733d6c.jpg

夕飯をかきこみ市民ソフトへ

20170416051736df4.jpg

残念ながら一回終了時点で雷雨中止。

あわてて役員会出席で
総会の資料打ち合わせ。

相変わらずハードな1日だ。

明日は1日若狭マラソンスタッフ!
教育委員会の定めです(笑)



宝箱の調査


昨晩は日本遺産大学最終回!

20170324112918765.jpg

講師はスペシャリストのNさまでした。
数少ない職で想いを共有できる同志です。

改めて再認識!
そして、もっと多くの人に聞いて欲しいと思った。
若狭坊の力不足です。

あけて今日は上根来助太郎。

宝箱の調査です。
本来なら改装前にすべきことなのですが(笑)

201703241129206e1.jpg

作業場であったニワの土間から梯子で二階納屋へ。

201703241129206e1.jpg

背負いのネコガイや傘、木製スキ、カンジキなどなど。

大黒柱には木槌と俵。
こっこれは…

201703241129217e4.jpg

やっぱり棟札ありました。
目視ではうっすらと「五帝龍神、岡象女神」しか見えません。
これから画像処理して読みます。

休憩スペースに色々飾り付けて

201703241129238e5.jpg

お客様にも旧街道を感じてもらう雰囲気づくり

さあ、雪囲いもとれて
春到来です。

鵜の瀬にも観光のお客様が数組いらっしゃいました。

職場は人事異動の季節。
想いを共有できる同志と離れませんように☆
プロフィール

若狭坊

Author:若狭坊
1970年生まれ。奈良大学史学科卒業。当時からの専門は中近世考古学、中近世流通史、中近世都市史。
と書くと難しい(^O^)
現在の専門は仲間と行う歴史を活かしたまちづくり。
だが、実は修験にめざめた山伏なのでアール。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
地域情報
633位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
中部地方
95位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR